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華と花の散るところ  作者: 音の葉
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 ケイキはセイショウの家を出たところで、突然誰かに腕を取られた。


「なっ!」


「ちょっと、こちらに」


 何か抗議をする間もなく、横にいる緑色の髪の男はぐいぐいとケイキを引っ張って行く。その男は細いわりに力は強くて、ケイキはなすすべなく連れていかれてしまう。


 そしてその男はセイショウの家の裏庭にある小さな林までケイキを連れ出すと、そこでようやく手を離した。


「ケイキ様、どうぞ御無礼をお許しください。ちょうど通りかかったものですから。でもそのご様子でお供もつけずに後宮内を歩かれますと、たちどころに後宮のうわさになってしまいます。少し落ち着かれてから、帰られたら如何でしょうか?」


「!」


「あ、私は後宮の庭師なのですが。あのー、すみません、仕事が立て込んでいますので、これで失礼いたします」


 緑色の髪の男は、それだけ言うとケイキの返事を待たずにどこかに姿を消してしまった。


「待て!」


 声をかけた時には、ケイキは木々の中に一人取り残された後だった。



 あの男は一体誰なのか。彼は自分で言っていたように、ケイキから見ても庭師の格好だった。恐らく後宮専属の庭師なのだろう。


 ふと冷静になってあの男が言った事を思い返した。

 セイショウの家を出た時、自分はどんな様子だったのだろう。確かにあの庭師の言う通り、周りのことなど全く考えられないくらい動揺した様子だったはずだ。あんな姿で後宮内を一人で歩けば、たちどころに後宮でうわさがたつ可能性があった。

 そうなれば、セイショウの家を訪ねたことが発覚する恐れがあり、今セイショウが注目されれば大変なことになることは想像するまでもなかった。ケイキはこのことが皇后の耳に入った時のことなど考えたくもなかった。


 ケイキはふーと息を吐き心を落ち着かせた。心に少し余裕ができたことで、自分は何本もの木が生えている林のような所に連れてこられたことがわかった。

 そしてその木々の新緑の青々とした葉の間からは、自分に向かって春の優しい光が降り注いでいた。


 ここの庭にはケイキはずいぶん前から知っている。セイショウの前の主が住んでいた時からだから二年にはなるだろうか。しかも前の主の時はかなり意図して頻繁に通っていた時期もあった。

 しかし、ケイキはこの場所に来たのは今日が初めてだった。たいして大きくもないこの庭で、この場所に来たことがなかったのは自分でも意外だった。


 すぐ目の前にはひと際大きな木が立っていた。その木の幹にケイキは寄りかかると目を閉じた。ケイキは庭師が指摘した通り、もう少し冷静になってから宮殿へは戻ることにした。






 ヤオはセイショウの前で泣き出した。シオンはそんなヤオの様子に驚いて駆け寄った。


「ヤオ、どういうこと?」


「私、知ってて話していないことがあったんです。どうしても言いずらい話だったから……」


「何?どんなこと?」


「……この家にセイショウさんの前に住んでいた人の話です……」


 セイショウもヤオのその言葉にびくりと体を動かした。


「ヤオ、どんな話?言ってみて」


 ヤオはシオンに促されてぽつぽつと話を始めた。


「他の女官から聞いたことです。ずいぶん不吉な話だったから言いだせなかったんですが。でもこうなってみると、セイショウさんに早く話しておけばよかったって後悔してます」


 シオンもセイショウも黙ってヤオの話を聞いていた。



――この家に前に住んでいた妃候補ははじめからこの家に住んでいたわけではなかった。妃候補として後宮に入った当初は東宮からかなり近い大きな屋敷に住んでいたという。


 彼女の名はアンジュ。実は皇后の遠い親戚の娘で、ケイキとは幼いことから面識のある娘だった。皇后の一押しで入宮したこともあり、皇后からは妃候補の中で一番信頼されていた。さらになかなか人と打ち解けることのないケイキとも、他の妃候補よりずっと近い関係を築いていたという。


「じゃあ、その頃ケイキ様の一番寵愛を受けていた妃候補ってこと?」


 シオンは相手がヤオであるせいか率直に疑問をぶつけた。


「私も聞いた話で、ケイキ様が実際にどう考えていたのかはわからない。でも、周辺では恐らく皇太子妃にはそのアンジュ様がなるだろうと思われていたのは確かみたい。皇后のお気に入りでケイキ様とも仲が良ければ誰だってそう思うんじゃないかな」


 ヤオはさらに話を続けた。


 その頃、ケイキが一番足を運んでいたのはそのアンジュだったのは間違いない。

 ところが、ある頃ケイキの公務がかなり忙しくなった時期があった。そのためそれまで頻繁に訪れていた彼女のところへ、突然ケイキの足が遠のいてしまった。もちろん、どの妃候補の所にも、その頃ケイキは通ってなかったという話だったが、アンジュにはそのことを受け入れて待ち続けることができなかった。


「……」


 シオンはキリンのことが頭をよぎった。おそらくこのアンジュという人も寂しさに囚われてしまったのではないだろうか。後宮では信頼できる人をつくるのは難しい。その上、妃候補達はすることもほとんどなく時間だけはたっぷりある。口にはしなかったがセイショウも同じことを考えているのだろう。


「そう。言いずらいけどこの状況はちょっとキリン様に似ている。ただアンジュ様の場合はケイキ様と親しくて、それまで頻繁に訪れてられていたって話。それだけに急に訪れなくなったことで反動が大きかったみたい。公務で忙しいと聞いていたはずなのに、他の妃候補のところに行っているのではないかとか疑心暗鬼になったりして……」


「……それで、やってはいけないと言われる文を出した?」


 シオンは自ずと想像できた展開を口にした。


「うん、そういうこと。最初は何か用事をつくって来てもらうというような内容の文だったみたいだけど。それがだんだん頻繁になって……」


 三人はもうそれ以上話さなくても想像ができた。


「ついにこのことが皇后様の耳に入って、怒った皇后様が東宮から一番遠いこの家にアンジュ様を移してしまったんだって」


 ヤオはそこまで話して一息ついた。聞いていた二人もそれぞれに、思いを馳せていた。


「でも一番話ずらいのはここから先……」


 シオンは息を飲んだ。ヤオの言うアンジュという人は今この後宮にいない。ということは、どう考えてもいい結末が待っているわけがない。


「ここに移されてからもケイキ様は、できるだけ訪れていたと聞いているわ。きっとこんな東宮から離れた家に皇后の指示で移されたことを心配して来てくれていたんじゃないかな。だけど、アンジュ様の方にはその思いは届いていなかったみたい。その頃にはケイキ様が毎日来てくれないと落ち着かないくらいにまで精神状態が悪くなってしまっていたとか。でもさすがケイキ様も毎日訪れる訳にもいかないしね。もう周りがどうすることもできないくらいどんどん自分を追い込んでいってしまったって……」


「……それで?」


 シオンはかぼそい声で話の続きを促した。


「ここに移されて半年後ぐらいに……」


 ヤオはこの先をなかなか言えないようであった。


 シオンもセイショウも静かにヤオの話の続きを待った。


「ある朝、女官が見つけたって。ほら、後宮のまん中の大きな池。あそこで……」


「!!!」


「………………」


 三人とも長い間沈黙したまま何も言えなかった。



 少ししてセイショウがやっと口を開いた。


「ヤオ、話してくれてありがとう。でも、キリンはそうはならない。今はどうしたらいいのかわからないけれど、私が絶対に助けるから。……ただ、ケイキ様には、どうお詫びをしたらいいのか……」


 シオンもセイショウの言葉を聞いて考えを巡らしていた。セイショウは前にケイキは過去に囚われていると言っていた。それはこのヤオの話のことだったことは間違いない。そして今回のセイショウの文は、明かにケイキにはアンジュのことを思い出させる内容だったはずだ。


 ケイキがあれほど怒ったことにシオンは驚いていたが、ヤオの話を聞いた後では理解できた。セイショウがどのような文を書いたのか詳しくはわからなかった。けれど、ケイキはそのセイショウの文を読んでキリンの辿り着く先を想像したのかもしれない。

 シオン自身も昨日のキリンの様子を思い出すとそのアンジュという妃候補と重なるものを感じてしまった。もしキリンが同じ道を歩んでしまったらと思うだけで恐怖に襲われる。



 その時、戸口の方から声がした。


「あのー。誰かいますか」


 シオンは重い体を無理やり動かすようにして、のろのろと戸口の方へ向かった。


「あ、シオン、よかった。あの庭の奥の例のシオンのお気に入りの木の近くのところのことなんだけど。今通ったらケイキ様が一人でいるのを見かけたから。だけどなんか様子が変だったんだよね。大丈夫かな?」


「!!! ありがとう。セイショウに伝える!」


「うん、それじゃ、ちょっと通りがかっただけだから。もう仕事に行くね」


 ヨウヤはそれだけ言うとどこかへと姿を消した。



 シオンは急いで部屋に戻るとセイショウに言った。


「セイショウ、ケイキ様が庭のあの奥の木の所にまだいるみたいだよ。さぁ、立って!早く行ってみて」


 シオンは床にぺたりと座ったままのセイショウを無理やり立たせると、戸口の方へとひっぱって行った。


「さぁ、早く。帰られる前に行ってちゃんと話をしてきて」


 セイショウはシオンと目を合わせると小さくうなずいた。そして少しよろよろしながらも庭の奥に向かって歩いて行った。


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