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ケイキはここ最近かなり忙しい日々を送っていた。隣国の大使が訪れたことでその対応にあたったり、来月行われる予定の式典の準備など皇太子の仕事に集中していた。そんな状況であったため、妃候補達の元へは誰の所にも全く訪れていなかった。
「今、何と言った?」
ケイキは驚いて女官の言ったことを確かめた。
「ええ、ですからこちらをケイキ様へとセイショウ様の女官が持ってきました」
ケイキは目の前の女官が差し出した包みを戸惑いとともに受け取った。
セイショウが今頃一体何を持ってきたというのだろう。ケイキは今までセイショウから届け物など受け取ったことが一度もなかった。
訝しく思いながらも、その包みを開けてみた。
それは腰帯だった。以前白梅の刺繍を入れるようにセイショウに戻したものだ。
ケイキは刺繍を入れたので持ってきたのだろうかと思い、腰帯を裏返した。
「!」
そこには白梅の代わりに“青い”梅の花が刺繍されていた。
これは一体どういうことだろう。セイショウがいたずらのようなことをするとは思えなかった。その腰帯をじっと見つめながらケイキは椅子に座った。
その腰帯をさらに観察したが、他に刺繍など変えたところはなさそうだった。端から端まで細かく見ていくうちにケイキは何か違和感に気が付いた。
その腰帯をくしゃりと握って見る。この腰帯には中に何か紙のようなものが入っているようだった。ケイキは急いで机からナイフを取りだすと、意を決して脇の縫い目に歯を入れた。
中には案の定、文のようなものが入っていた。
「セイショウ!!一体どういうことだ!!」
セイショウの家の戸を思いきり強く開ける音がした。
セイショウはいつも通り部屋で皇后の着物の製作に取り組んでいた。部屋中に道具を広げ一人静かに作業に集中していた。
しかし、突然の怒号で静寂は破られた。
戸口の方からの声に驚いたセイショウは慌てて立ち上がると音のする方へ向かおうとした。
すると部屋の入り口の所で、大声の主と鉢合わせになった。
「セイショウ、これはどういうことだ!」
そこには怒りに満ちたケイキが立っていた。ケイキの手には、セイショウが先程シオンに持たせた腰帯に忍ばせた文が握られていた。
「あの……」
セイショウは余りの驚きと恐怖で声が出なかった。ケイキがこれ程までに怒るとは思ってもみていなかった。
「この文の内容は何だと聞いているんだ!」
ケイキはセイショウにさらに一歩近づくと燃えたぎる目で睨みつけた。
「セイショウ、君は皇太子の私にいちいち指示を出せる程の立場なのか!」
「いえ……」
セイショウは何とか説明をしようと心では思っていた。しかし声にはならなかった。
セイショウとしては、ケイキに少し時間のある時、キリンを訪ねてみてほしいとお願いしたかっただけであった。しかし、目の前のケイキの様子を見て自分はとんでもない過ちをしてしまったことを自覚した。
「いち妃候補がいちいち私に来てほしいとか頼めないことはわかっているはずだ。私はそれほど暇ではない。例え時間があったとしても、何故妃候補にあれこれ指図されなくてはならないんだ!」
ケイキの怒りは収まりそうもなかった。話しながら、さらに怒りを募らせているような気配すら感じた。
「何故私がキリンの所に行けとセイショウから言われなければならない?」
ケイキはセイショウに詰め寄った。セイショウは追い詰められて、頭が真っ白になっているようだった。青い顔で今にも倒れそうな様子である。
後ろで圧倒されていたシオンは初め全く状況がわからなかった。セイショウからは腰帯をケイキのところに届けるよう頼まれただけだった。
しかし今までのケイキの言葉を聞いて少し理解した。どうやらセイショウはあの腰帯に文を忍ばせていたようだ。シオンはケイキに駆け寄って膝をついた。
「申し訳ございません。私がセイショウ様に文でも送ったらどうかと言い出しました。これは私が考えたことなのです。最近キリン様の足の具合が良くないと耳にして、心配でセイショウ様に言ってしまいました」
シオンは必至で謝った。
するとケイキはシオンの方を見て言った。
「その髪どうした?」
シオンは慌てた。
「あ、あの……紫の髪が嫌で……」
ケイキはセイショウの方をもう一度見た。
「セイショウ、その髪はどうしたんだ?」
ケイキはそれまで怒りのあまりセイショウの髪の異変に気が付いていなかった。今、改めて見て恐ろしくおかしな色に髪が染まっているのがわかった。そしてその髪の色を見て、自ずと理解し始めていた。
ケイキはセイショウの髪をひと束握ると言った。
「この髪はどうしたと聞いている。何故黒くした?」
セイショウはケイキを見たが答えられなかった。もう今にも泣きそうで目には涙が溜まっていた。
「キリンに会いに行ったというわけか。それで私にこの文を? セイショウ、君は今自宅謹慎中だったと思ったが」
ケイキはもうこれ以上話すと、あまりに酷い言葉をセイショウにぶつけそうだった。自分がどれほどセイショウを後宮に残したかったか、セイショウには全く伝わっていなかったこともわかった。その途端、ケイキは虚しさに襲われた。
「……よくわかった。……もういい」
ケイキは強張った表情のまま、これ以上は何も告げずにセイショウの家を出て行った。
部屋には、放心状態となったセイショウが取り残されていた。ケイキがいなくなると体の力が抜けてしまったのか、その場にぺたりと座りこんでしまった。
家にはセイショウと二人の女官がいたが、誰一人声を発することができなかった。そして沈黙だけが続いた。
暫くしてヤオの鼻をすする音がした。と思ったらヤオはセイショウに駆け寄った。そしてセイショウの目の前に座り込むと大きな声を出して泣き出した。
「セイショウさん、ごめんなさい。私がいけないんです。私がもっと早く話していれば、文なんか出さなかったかもしれないのに!」




