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華と花の散るところ  作者: 音の葉
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 ケイキは医官の説明に特に疑問を持つことはなかったようだった。


「それならば」


 そう言うと、キリン付きの女官にお供が携えてきた花や菓子らしいものを手渡して、また来るのでお大事にとだけ言って帰って行った。



 イオリはケイキが帰った後も、まだ心臓の音は大きく鼓動していた。皇太子に会うのが始めての上、自分でも驚くことに皇太子に嘘までついたのだ。



 キリンの部屋に戻るとキリンは椅子に座り瞼を伏せてうつむいていた。


「ケイキ様は帰られたよ」


 イオリはこの時、それまで意識して使っていた敬語を使うことを、すっかり頭の中から失くしていた。


「うん……」


「どうしたの?せっかく来てくれたのに。皇太子様がお見舞いに来てくれるなんて光栄なことじゃないか」


「そうじゃないわ。イオリにはわからないのよ。妃候補のことなんて」


 キリンは震える声を抑えるようにして寂しそうに言った。


 イオリはそれにどう答えたらいいのかわからなかった。確かに妃候補のことをイオリには全く知らなかった。イオリの想像上の妃候補とは、高価な着物を身に纏い、美しい飾りで着飾って、優雅に皇太子と過ごしていると言ったものだ。普段、後宮でどんな風に時間を過ごしているのか。具体的に考えたことなど一度もなかった。

 

 それが突然、キリンと会ったことでイオリの中で徐々に現実感を帯びて来ていた。


「キリン……。ケイキ様と何かあったの?」


「……何もないわ。そう、何もないことが問題なのよ」


「キリン……」


 キリンはそれまでよりもずっと頼りなく小さく見えた。


 イオリは切なさを含んだ胸の痛みが体の中を走った。そして今すぐにキリンを抱きしめたい衝動に襲われた。しかしまだ自分は医官であるという自覚がイオリを何とか押しとどめた。


「ごめんなさい。変なことを言って。イオリにはどうすることもできないことだから。今日はどうもありがとう。明日も来てくれるでしょ。待ってるわ」


 この日はイオリより先にキリンから別れを告げられた。イオリはこれ以上話をすることもできないまま帰ることになった。


「それではまた明日参ります。今日はゆっくり休んでください。失礼します」




 イオリは太医院に着き、自分の席で先程のことを考えていた。そして自分にはどうすることもできないとキリンから言われた一言が胸を突いていた。


 何度も何度も自分に言い聞かせてきたことをまた繰り返す。


 キリンは皇太子妃候補で自分はただの医官である。


 だとしたらキリンの幸福を願う以外に自分にできることはないのではないか、結局その結論に辿りつく。


 その時席の隣を先輩医女が通った。イオリはふと何気ない気持ちで聞いてみた。


「ねえ、先輩。ケイキ様には寵愛している妃候補っているのかな?」


「え?何、突然。……もしかして、今診察しているキリン様を見ていて気になっちゃったの?」


 イオリはそう言われて慌てた。太医院の誰にもキリンと面識があることは話してはいなかったが、何か推測されそうで焦った。


「いや!別にそうじゃないけど。後宮に最近行くようになってちょっと気になっただけ」


「ふうん。なんか怪しい。イオリ君、全然今まで後宮のことなんて興味なさそうだったのに」


「そりゃ、今まではそうだったけど、通うようになったから。ちょっと気になっただけだよ」


「本当かな?でも妃候補のこと好きになったりしちゃ絶対駄目よ。身分も立場も全然違うんだから」


「そんなの当たり前だよ。全く考えてないから」


 イオリは言い繕うのに懸命だった。


「まぁ、注意するまでもないことだよね。私も後宮のことなんてよく知らないわ。でも食事の担当している女官から前に聞いた話だと、ケイキ様には特に今、寵愛している候補はいないみたいだったけど……。ほら、ずいぶん前にアンジュ様のことがあったでしょ?あれ以来はね……」


「アンジュ様?」


 イオリはその名前を聞いたことがなかった。


「あ、イオリ君が来る前のことだった。忘れて。今言ったこと」


 先輩医女は明らかに慌てて動揺しているようであった。


「それより、ケイキ様って本当に絵巻物に出て来る皇子様そのものよね。私、まだ一度しか見かけたことないけど、あの時の衝撃ったらなかったわ。あの金色の髪の毛、輝いていた。本当に美しくって。妃候補の人達がうらやましいわ」


 医女は明らかに話題を変えて取り繕っているようにイオリには感じた。



 医女がその場から居なくなっても、イオリはケイキの事を考えていた。医女の話を信じるなら、今のところ寵愛の妃候補はいないということになる。アンジュ様という妃候補のことは聞いたことがなく、今はいないはずだ。何かあって追い出されたのだろうか。


 それならキリンには十分可能性があると思った。イオリは妃候補の中で知っているのはキリンだけなので、身びいきのようなものはあるとは思った。それにイオリがよく知っているのは何と言ってもキリンの幼少期だけだ。それでもその頃のキリンは明るくて愛嬌があってやさしい性格だった。今もそんなに変わっていないのではないかと思った。


 仕事をしながらも、イオリはあれこれケイキとキリンのことを考えていた。しかし結局二人の間のことなどだ、自分には関係がないという、いつもの結論に辿りついていった。

 もう考えるのはやめよう、何十回目になるのか、自分に言い聞かせた。




 イオリがケイキと会ってからさらに一週間ほど、セイショウが処分を言い渡されてから二週間ほどが経っていた。


 セイショウは皇后から罰として言い渡されていた着物の製作を順調に進めていた。元々セイショウは刺繍に始まり裁縫が得意だ。不謹慎で口には出せないが、豪華な着物の製作はセイショウにとっては楽しみのようなものであった。この分であればひと月で作るよう言い渡されていたが、それよりも早く完成できそうであった。誰にも会ってはいけないと命令が出ていたこともあり、ただひたすら着物を縫うだけの日々を送っていた。


 シオンは毎日に退屈な日々を送っていた。セイショウの着物作りを手伝いたかったが、セイショウは一人で作ると言い張っていた。

 そうなると、シオンは裁縫がそんなに得意ではない。無理に手伝って縫い目の粗さを皇后に指摘されても困るので、手伝うのはやめることにしていた。



 そんなある日の昼すぎ、突然誰かがセイショウの家を訪ねてきた。


 セイショウは謹慎の身だ。訪れる者などいないはずだと疑問に思いつつ、シオンは戸口に向かった。


 そこには一人の若い医官が立っていた。


「セイショウ様が風邪のような症状であると聞いて伺いました。これから少し診察をしてみますね」


 シオンは驚いた。すぐにセイショウは元気だと答えようとした。


 しかし、その青年が何か強く訴えかけるような目でシオンをじっと見ているのに気が付いた。そこで取りあえず家の中に入れて話をすることにした。


「あの……セイショウ様は特にご病気ではありませんが。何かの行き違いだと思うのですが」


 シオンは家の中に医官を入れるとそう答えた。


「ええ、そうでしょう。すみません。強引に家に入れてもらいまして。私は医官でイオリと申します。今日はキリン様のことで訪ねて参りました」



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