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華と花の散るところ  作者: 音の葉
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 翌日もまたイオリは一人薬箱を抱えてキリンの家を訪ねた。


 キリンは昨日とは打って変わって、笑顔でイオリを出迎えた。


 治療の最中も、ずっと機嫌よくイオリと昔一緒に遊んだ時のことを話していた。


「あの時のイオリの顔ったらなかったわ。ずごくびっくりして……」


「いえ、あれは少し驚いただけです。突然でしたので……」


 キリンは細かいことまでよく覚えていてそれを次々と話していた。イオリが敬語で答えることも、もう気にしていない様子であった。


 イオリは、昨日はキリンは幼い頃の知っている人間に会って、動揺しただけなのだろうと思った。そして矛盾している話だったが、自分から今は身分が違うと話しておきながら内心少し寂しい気持ちでもいた。キリンと自分は明らかに立場が違っていた。



 イオリの家は都でも街の有力者の多くが住む地域で医院を開業している。そのためその医院の近くに住む高級官僚や商人達は、そのほとんどをイオリの父がかかりつけ医として診ている。


 父親の患者達は相手が医者というだけで不思議と信用するもののようだった。自分の病気を詳らかにしているということで、心を許している部分もあるのかもしれない。

 特に宮廷内の人事などについては、どこよりも早く情報が入った。

 医院という所は、入った情報は決して出ないという点は大きく異なっているものの、情報屋以上に情報の集まる場所なのである。


 イオリとカリュウはいつの頃から大きくなるに従って、縁遠くなってしまっていた。しかしカリュウが学舎を出て軍に入った時も、辺境の地へ軍の隊長として派遣が決まった時も、イオリの耳にはその動向が入っていた。


 そして、カリュウが戦いで戦死したという情報もまた、街の中ではいち早くイオリには届いていた。


 イオリはその知らせを知った時は宮廷の医官になってすぐの頃だった。太医院に入ったばかりで、とにかく覚えることもやることも多くて忙しかった。

 カリュウとはその時にはもうほとんど付き合いはない状態だった。しかしそれでも幼い頃一緒に遊んだイオリには、言葉では言い表せないほどの衝撃が走ったのを覚えている。


 同時にキリンはどうしているだろうとキリンの心境のことも気にはかかった。しかしイオリは何もせずに、ただ仕事に追われて時を過ごしてしまった。



 その後半年ほどして、キリンが後宮に入ると決まった時もイオリには情報が入っていた。

 すでにそれは決定事項であり、イオリは今後キリンとは後宮で会うことがあるかもしれないと漠然と思った。そして心のどこかがちくりと痛く感じていた。



 イオリは太医院の医官になったとは言え、宮廷内を用もなく歩くことなど許されることではなかった。まして後宮など、診察など確固たる理由がなければ絶対に立ち入れない場所であった。

キリンが後宮に入ってから半年以上の時が流れた。すぐ近くでイオリは働いていながら、それまでキリンとは一度も会うことはなかった。


 それが偶然キリンの診察の担当としてイオリは選ばれた。


 確かに足の経過観察と消毒などというものは、新米の医官が担当する仕事であった。しかも患者はまだ皇族にもなっていない妃候補である。

 イオリはその命令を受けて心が逸った。



 キリンとは十年以上会っていなかったが、見間違えることがないほどその雰囲気は変わっていなかった。キリンは明るい赤髪に相応しい華やかさを幼い頃から持っていた。

 そして大人になってその華やかさは益々輝きを増していた。美人という分類からは少し外れるかもしれないが、かわいらしいと言うのであれば間違いなく皆同意する容姿をもっていた。



「さて、消毒が終わりました。足は順調に回復しているようです。このまま良くなれば、あと一週間程で無理をしない程度に歩けるようになります」


 イオリは言った。そして薬箱に広げた薬をしまい始めた。


「ねぇ、イオリ、お茶でも飲んでいかない?今、何か用意するから。もう少しイオリと昔話をしたいから」


 キリンはそう言った。


「いえ、私は仕事がありますので。それに妃候補と医官がお茶を一緒にするなど許されません」


 イオリは急いでそう答えた。


「大丈夫よ。ちょっとの間なら。私の足の具合が良くなくて時間がかかったとか言えばいいでしょ」


「そういうわけにはいきません。今日はこれで帰ります。また明日参りますので」


 イオリはそっけなく答えて立ち上がった。


 キリンはそれでも諦めようとしなかった。同じように立ち上がるとイオリの前に立ちふさがった。


「ほんの少しだけでいいから」


 イオリは何も言わず固い表情でキリンの目をじっと見つめた。


「わかったわ。ごめんなさい。また明日来てくれるんでしょ。待ってるわ」


 キリンもそこでようやく諦めた。




 太医院へ戻る途中、イオリは複雑な気持ちでいた。キリンが妃候補でなく自分が医官でなかったら……間違いなくキリンからのお茶のお誘いを受けていただろう。


 どこかの時点でやり直せたとしたら、キリンとの仲はもっと近づく機会があったのかもしれない。そんな思いがイオリの心の中をよぎっていた。


 しかしイオリは太医院に着くと、もうその事は考えないようにして仕事に集中することにした。もう過去は取り戻せず、考えてもしかたのないことだと自分に言い聞かせた。




 そしてイオリが診察に訪れ始めてから五日ほどが経過した。


 毎日キリンは診察の間ずっと休むことなく、昔一緒にイオリと過ごした思い出を話続けた。その話は全く途切れることがなく、次々と思い出は繋がっていた。


 そして診察が終わりイオリが立ち上がると、いつも名残惜しそうにイオリを見た。


 あの時以来キリンはイオリをお茶に誘うことはなかった。しかしイオリは帰り際にキリンからいつも寂しそうな目で無言のまま見つめられ、密かに後ろ髪を引かれる思いをしていた。


 その日も同じような気持ちをもって、帰ろうと立ち上がった。



 すると家の戸口の方からケイキの来訪を知らせる声が聞こえた。


 イオリは驚いた。今まで宮廷内で働いているにも関わらず、皇太子とはそれまで一度も会ったことはなかった。しかしよく考えればここは妃候補の家なのだ。当然訪ねてくることもありえることであった。


 イオリもまたケイキの出迎えの挨拶のため、戸口の方へと向かおうとした。


 すると、突然キリンはイオリに近づくとイオリの着物の袖を強く掴んだ。


「今日、私は具合が悪いから会えそうもないと伝えて」


 キリンの目は真剣だった。


「そんなこと……」


 キリンはさらにイオリに近づくと泣きそうな顔で言った。


「どうかお願い、早くそう言ってきて!」


 イオリはキリンのその真剣なお願いに圧倒されてしまった。何も考えられなくなって、よろよろと部屋を出て行くとケイキに挨拶を済ませ言った。


「はじめまして。ケイキ様。私はキリン様の担当をしている医官です。実は今日は残念ながらキリン様は足の具合があまり良くありません。そのためどなたとも会えそうにないのです。今、キリン様はお休みしています。今日は引き取られた方がよろしいかと……」


 ケイキはそれを眉にしわをよせながら黙って聞いていた。


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