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夜遅くリコウの部屋にはセイヤが来ていた。セイヤは先ほどリコウの部屋に入ろうとし、ケイキがいるのに気がついて退室するのを待っていた。
ケイキが無事帰ったところでセイヤは部屋に入る。
「こんばんは、リコウ様」
「ああ、久しぶりだな。庭仕事に勤しんでいたか?ヨウヤくん」
「ええ、宴の後からかなり忙しくて。まず宴の後の片付けが大変で……リコウ様は知らないと思いますが、あの宴、結構植物使って飾っていたんですよ。その後始末ってそりゃ力仕事なので。ううん、失礼。リコウ様に文句を言っても仕方ないですね。これは俺の仕事なんだから」
セイヤはついリコウに仕事の愚痴を言っていた自分を反省し、すぐに話題を変えた。
「ところで、宴で大騒ぎだったセイショウは、想像以上に軽い罰で終わったそうですね」
「ああ、ケイキのお陰でな」
「いえ、リコウ様のお陰でしょ。忙しくてもそこはしっかり押さえてますから」
セイヤは少しだけ自慢げに言った。
「それにしてもリコウ様がケイキ様に協力するとはどういう風の吹き回しですか。ずいぶん珍しいことですよね。初めはリレン様のためだと思いました。リコウ様もリレン様にだけは甘いですからね。リレン様がセイショウの琴を気に入っていたので、助ける気になったのかと。でもセイショウの琴は二度と聞けなくなることはわかっていたんでしょう?どんな処分になろうとも」
「まあ、そうだな。それでリレンには聞きたいならすぐ行けと言ったんだが間に合わなかった」
「それなら何故?」
「……敢えて言うなら、カリュウのためかな」
――カリュウ。セイヤもその名が出たことで冗談で話を進めて行く気にはならなくなった。セイヤはカリュウのことをよく知らなかった。しかしもうこの世にいない人というのは軽弾みに口にしていいわけがない。
「カリュウがセイショウを結婚まで考えていた相手だと知ってしまったからな。あいつが選んだならそれなりの人間なんだろ。セイショウは今、後宮を追い出されたら寺くらいしか行くところもないしな」
確かにそうかもしれないとセイヤは思った。『青琴の君』であったことが理由で後宮を追い出されたら、良家に嫁ぐのは難しいだろう。
「まぁ、これが最初で最後の助けだ。セイショウはケイキの妃候補なんだから。そうそう俺もお人好しじゃない。ところで、キリンの様子はどうだ?あれから一週間は経っただろ。具合は良くなったのか?」
「ええ。私も気になって様子を見て来たのですが、熱は下がったようです。足はまだ歩くのも大変みたいですね。でも筋とかは切ってないと聞きました。毎日医官が消毒をしに通っているようです」
「そうか。硝子を踏んであれだけ走れば傷の治りも悪いだろう。そのくらいの傷で済んで良かったと思うしかないな」
リコウはそっけない言い方をしたが、セイヤはキリンのことも心配しているのだろうと推測した。何といってもキリンはカリュウの妹だ。
「宴も終わりましたし、当分平和な日々が続きそうですね。実は俺、科挙の試験のための勉強をしたいんですけど許してもらえますか?」
「科挙?何で取りたいんだ?」
「そりゃ、将来リコウ様が偉くなったらリコウ様の右腕、いや左腕か左足でもいいんですが、なりたからです」
「俺は実力主義だ。別に科挙の合格などいらないが」
「リコウ様はそうでも、リコウ様の部下達から馬鹿にされるのは嫌なんです。元庭師ですなんて言いづらいでしょ。元“影”ですはもっと言いづらいですが」
「お前庭師目指してなかったか?ずいぶん勉強してただろう」
「あれは、仕方なくですよ。仕事ですから。そりゃ、向いてなくはないですよ。力仕事得意だし。とにかく今まで通り庭師も“影”もちゃんとやりますから許可してください」
「いや、文官でも学者でもなりたいなら、庭師はやめていいぞ。学舎にでも入って真剣に勉強しろ」
「いえ、俺はそういう団体行動は苦手なので。数年はかかりそうですが自分で試験の合格を目指します」
「それなら何でも好きにしろ。庭師の仕事は本当に辞めていいからな。誰か適当な人間を探してそいつにやらせろ。“影”の方はたまに頼むことがあるかもしれないが」
「ええ、大丈夫です。今まで通り働きます。一言言っておきたかっただけですから」
セイヤは話したかったことが話せたので今日はこれで帰ることにした。
「では、今日はこれで失礼します。何かありましたらいつもの手段で」
「ああ」
セイヤは部屋を出ようとした。そこで棚の上にたくさんの粘土細工が置かれているのが目に入った。
セイヤが目に留めているのを見てリコウが言った。
「また、リレンが置いていったんだ。箸置きとかに使うなら、いくらでも持って行っていいぞ」
「いえ、俺も持っていますから」
「?」
「いえ、こっちの話です。では失礼します」
夕方、セイヤはセイショウの様子を見に行っていた。セイショウの処分のことは既に知っていたが、少し気になる人間がいたからだ。
「ルリ……」
宴の翌日セイヤはセイショウの家を見に行った。そこで会ったシオンはセイヤが木から下ろそうと手を出した時、セイヤのことをそう呼んだ。
ルリとは一体誰なんだ。
セイヤのことを間違えて呼んだわけではなかった。セイヤの先にそのルリを見て呼んだのだ。
セイヤは何となく気持ちがもやもやしていた。
シオンがいるとは思っていなかったが、庭のあの木を見に行った。すると信じられないことに、シオンは木の上に一人で座っていた。
「ねぇ、また木に登っているの?」
庭師のヨウヤは木の下から声をかけた。
「あ、仕事、今日はもう終わったの?良かったら上がってきて」
シオンは上機嫌だった。ヨウヤはわかりやすいやつだなと思いつつ、木を上手に登って行った。
「今日はね、セイショウ……セイショウ様の処分が決まったんだけど、すごく軽い処分だったの。安心したらうれしくてここに来てた」
「そう。それは良かったね。で、何でうれしいと木に登るの?」
「うーん、うれしくても悲しくても何かあると木に登ってたから。私が街にいた時は」
「ふうん。変わった行動をとるんだね。初めて見た。何かあると木に登る人」
「そう?あ、でも心配しないでね。私、木に登るのは得意だから。木は痛めてないよ。そぉっと登ってるから」
シオンはヨウヤが庭師なので木を心配していると思っているようだった。
「そうだ。この間はお世話になったから、これあげる。まだまだ下手なんだけど、ずいぶん作って練習したから、ちょっとは上手になってきたの」
シオンは懐からひとつの粘土細工をヨウヤに渡した。
「これは?」
「あのね。この前ヨウヤと会った後、あ、ヨウヤって呼んでいいって言ったよね?リレン様がここに訪ねてきたの。その時、粘土細工を見せてもらって。粘土もいっぱい置いてってくれたから、作るの練習してたんだ。私ちょっと下手ってリレン様に言われたから」
ヨウヤの手の上には蛇のようなものが置かれていた。
また白蛇?!ヨウヤはシオンから以前もらった白蛇の饅頭を思い出した。
「ねえ、シオンって白蛇が好きなわけ?」
「え?これは龍だよ。よく見てよ。手と足もちゃんと付いている」
ヨウヤはもう一度よく見た。確かに小さな手足が付いていた。でもこれは龍だろうか……
「まだ、ちょっと下手だけど、だいぶ上手になってきたんだから。もっと上達したらまたあげるね。それは箸置きにでも使ってて」
「……ありがとう」
「さて、夕御飯の用意をしなきゃ。今日はなんかお腹すいちゃったな。久しぶりに心がすっきりして」
シオンはそう言って木から下りようとした。
「あ、先に降りて降りるの手伝うよ」
ヨウヤは急いで下に降りると、シオンの手を取った。
「どうもありがとう」
今日はヨウヤのことをシオンはルリとは呼ばなかった。
「それじゃ、今日はこれで。何か庭のことで困ったら、ヨウヤを呼ぶからよろしくね」
シオンはあっけないほどさらりと家へと向かって行った。
セイヤはリコウの部屋を後にして廊下を歩いていた。そして歩きながら懐からひとつの粘土細工を取りだした。
龍?
もう一度よく見てみたが、やっぱりとても龍には見えない。さきほどリコウの部屋で美しい粘土細工を見たせいか、ますます不格好ぶりが気になった。
まあ、いいや。部屋に戻ったら失くさないよう首輪でもつけよう。
夜はかなり更けていた。ヨウヤは家路を急ぐことにした。




