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ケイキは皆が集まっている光景を見て驚いた。リコウだけでなく滅多に外に姿を現わさないリレンまでがいるのを見て、セイショウにどんな目的で訪ねてきたのか疑問に思った。
「あ、あのー、ケイキ様ですか。僕はセイショウの琴がもう一度聞きたくて……」
リレンは慌てて説明をしようとした。ケイキはそれを聞いて眉をひそめた。
その時セイショウが一歩前に出て口を開いた。
「ケイキ様、ケイキ様にはお話したいことがありました。大変申し訳ありませんが、リコウ様、リレン様、今日はこれでお引き取り願えませんでしょうか」
「そうだな。琴はまたの機会にしよう。この琴は置いて行く。音の調律ができていないようだから、しっかり調整しておいてくれ。さあ、リレン行くぞ」
リコウはリレンの手を取ると、引っ張るように連れ出そうとする。
「え?……あの……僕……」
リレンも何か言おうとしたがすぐに諦めたのか、挨拶だけしてそのまま立ち去ることに決めたようだった。
「それでは、今日はもう帰ります。また来ますので、それまでに粘土、少しは上手になっていてください。それからセイショウ、今度来た時は絶対、絶対、琴を聞かせてくださいね……」
リコウはリレンにもうこれ以上喋らせないとばかりに強く手をひいた。そして二人はその場から立ち去っていく。
「……ご機嫌よう、セイショウ、さようなら」
リレンの挨拶の言葉だけがその場に残った。
セイショウはケイキを部屋の中へと案内しようとした。
その時ケイキはシオン達に向かって言った。
「私もセイショウに話があってきた。お茶などいらないから部屋に二人だけにしてほしい」
そして二人は奥の部屋へと消えていった。
シオンは震えた。滅多にここには訪れないはずのケイキが、お供もつけず宴の翌日に一人でやってきたのだ。
それに、ちらりと見ただけだったが、ケイキの手には腰帯が握られているように見えた。あれは、連日セイショウがケイキへの贈り物として作っていたもののようだった。
『青琴の君』のことで憤慨し、腰帯を突き返しにでも来たのだろうか。
ケイキは奥の部屋の長椅子に腰をかけた。目の前の卓の上には粘土やら、ヘラやら色々なものが散らばっていた。ケイキは少し気になるものだけを乱雑に脇のほうへ手でよせた。
すると突然セイショウはケイキの目の前で膝をつき、震える声で言葉を紡いだ。
「ケイキ様、この度の宴の席での一件は大変申し訳ありませんでした。せっかくのお誕生日の祝いの席を私は台無しにしてしまい、謝罪の言葉も見つかりません」
「やめてくれ、セイショウ」
ケイキはセイショウのそんな姿を見ていられなかった。すぐに立ち上がり、セイショウの両肩に手を置くと急いでその場に立たせた。それからそのまま肩から手を離さずに自分の横に座るように導いた。
セイショウは戸惑っていた。それにケイキと同じ長椅子に座ることに躊躇しているようだった。
「いいからここに座って。今日私がこの家を訪ねて来たのはセイショウに謝ってもらいたかったからではない。私が謝りにきたのだ」
セイショウは目を見開き、一瞬言葉が出ないようであった。
「ケイキ様は何をおっしゃていらっしゃるのでしょうか。『青琴の君』を隠して後宮に入り、さらに宴で大騒ぎを起こしたのはこの私でございます」
「セイショウ、そのことはもういいんだ。『青琴の君』などというものが迷信であることは、君が一番わかっていることだろう?」
「いいえ、『青琴の君』は迷信などではありません。私は周りを不幸にする者なのです」
セイショウは語気を強くした。ケイキはセイショウのその切迫した言い方に驚いた。
「私も『青琴の君』が迷信であったらどんなにいいだろうと思います。でも実際にはそうなのです。『青琴の君』は間違いなく人を不幸にします。ですから、ケイキ様のお傍になど本来いられるはずのない身だったのです」
セイショウは一息ついて話を続けた。
「私は、今、皇后様からの処分を待っている状態です。どのような形になるかはわかりませんが、私がこの後宮を去ることになるのは確実です。ケイキ様には最後にひと目お会いして、謝罪する機会が持てて良かったと思っています」
「何を言っているのだ?セイショウ。私は今回のことで後宮から君を出したりするつもりは全くない。後宮のことは確かに皇后がすべて決めることになっているが、絶対に後宮から追い出すようなことはさせないから」
セイショウはケイキにそのように言われ嬉しいというよりさらに悲しくなった。ケイキには事の重大さが全くわかっていないのだ。
皇帝の臣下達までいたあの席で、あれほど宴を掻きまわし大騒ぎをした妃候補などどんな理由があったとしても、もう必要のない人間なのだ。
県令の娘として後宮に入ったセイショウには、妃候補としての自分の価値など少しもないことを痛いほど実感していた。少々街の人間のうわさにのぼったことで後宮などという縁の全くない場所に入ることになっただけのことだ。ここはセイショウには全く場違いな所であった。
それに何よりセイショウには、もう誰も不幸にしたくないという気持ちが強くなっていた。キリンから言われた一言は今もセイショウの胸の中に矢のように突き刺さり、だらだらと多くの血を流し続けていた。
後宮を去ると言っても言葉通り、ただ去るだけでは済まないことをセイショウは判っていた。
騒ぎを起こした、あるいは『青琴の君』を隠していた罰としてどんなことが科せられるのか。それでも、そういうことも含めてセイショウは全てを受け入れる覚悟のようなものができていた。カリュウへの罪をここで償いたいという気持ちもあった。キリンの気持ちがこれで少しでも慰められればいいと願う。
「ケイキ様にそのようなお言葉をいただき大変うれしく思います。ですが、ケイキ様がお心を配る様なことではございません。私が後宮を去ればこの一件は何とか収まる事でしょう」
ケイキは激しく動揺していた。これまでの人生でケイキに近づこうとする人間は山のように存在した。しかし自ら去るのでいいとケイキから離れていく人には会ったことがない。
「そうではない。セイショウ、君に去られては困る」
ケイキ自身そう言いつつ、自分は何て滑稽なんだろうと思った。大体今まで半年もの間、セイショウと会う機会はいくらでもあったはずだった。それなのに月に一度しか行かないと決めたのは他でもない自分自身だ。
ほとんど会わず、会話さえなかった付き合いで彼女の何を知っているというのだろう。自分からは全く興味を示さずただ時間だけを過ごしていて、今さらこんなことを口にするのは、おもちゃを取り上げられそうな子供と同じなのではないだろうか。
それでも……
「セイショウ、君には後宮に残りたいと思ってもらいたい。今さら私がこんなことを言うのはおかしいと思うだろう。でも今本当に去られては困るんだ。もう少し君を知る時間がほしい」
ケイキは切実な思いをセイショウに素直にぶつけた。
「この腰帯を持って来たんだ。君からの贈り物のね。知っての通り私にはいつも大量の贈り物が届くんだよ。その中から君の贈り物を探すのは大変なんだ。この紅梅の印は私のものだ。でもこれだけでは見落としてしまう。君からの贈り物には必ず隣に白梅も入れてもらいたい」
ケイキは無理やりセイショウの手にその腰帯を押しつけた。
「次に来る時までに、昨日の宴の件は必ず解決しておく。だからそれまでに、その腰帯に白梅の刺繍もつけておいて」
ケイキは立ち上がった。そして戸惑うセイショウの返事を待たずに部屋を後にした。




