24
翌日、シオンは朝早くから起きていた。というよりも夜もよく寝つけず朝を迎えていた。
昨日はセイショウを連れて戻ったものの、憔悴したセイショウは自分の部屋に籠るとその後一度も部屋からは出てこなかった。
さらに夜遅く、皇后からの伝達が届くとセイショウの処分が決まるまで一切の外出を禁止する旨が伝えられた。
ヤオはこの状況に戸惑いシオンに詰め寄った。
シオンはたった一日で大きく変化してしまった状況に頭が混乱していた。育った街ではこんな時、丘の上へと駆けあがり大好きな木の上で心を落ち着かせたものだった。しかし、後宮にはそんな丘も木もなかった。
それでもどうにか気持ちを整理しようと一人庭に出てみる。
セイショウの作った庭はそれ以前の家主の庭を継承しつつ、とても落ち着く作りになっていた。シオンは狭い庭ではあるが一周してみようと歩き出す。
庭の奥まで歩いていくと一本の大きな木が目に入り、ふと登ってみようかと思い立った。
シオンはとても器用に木に登って行く。思っていた以上に太く安定した枝の木で、難なく枝の上に座ることができた。育った街のお気に入りの木とは、座り心地も見える景色も全く異なってはいたもののシオンはとても満足した。
そこで昨日のことを思い出す。女官によって弦の切れた二胡が届けられ、セイショウが琴を弾くことになった経緯は想像ができた。
経緯はともかくセイショウが『青琴の君』であることは皆に知れ渡ってしまった。皇后はこの後セイショウをどうするのかという激しい不安がシオンを襲う。さらに衝撃的だったのはキリンがカリュウの妹だったことだ。この先キリンはどのように付き合って行けばいいのだろう。
「あのー、もしもし、そこで何をしてるの?」
突然、下から声をかけられシオンはびくりと体を震わせた。
「あ、いや、驚かせるつもりはなかったんだけど。木の上に女官がいるなんて思ってもみなかったから」
シオンは下を見下ろすと、そこには不思議そうな顔をした庭師のヨウヤが立っていた。
「お、おはよう。ちょっと考え事をしてて」
シオンはうまく説明できず戸惑った。
「ねぇ、良かったら僕もそこに行ってもいい?見てたらちょっと登ってみたくなった」
シオンはヨウヤの言葉に少し驚いた様子だった。しかしすぐに頷くと、ヨウヤを引っ張りあげようと手を差し出した。
「いや、僕は見た目以上に重いから。大丈夫。自分でそこまで登れるから。ちょっとそこから動かないでね」
ヨウヤはそう言ってあっという間にシオンの隣の枝まで登って来た。そして全く危なげなく一本の枝に腰を下ろす。
「この木なかなかいいね。確かにこの木なら枝が太いから安心だ」
ヨウヤは感心しているようだった。
「昨日は結構大変だったね。何だかずいぶん色んなことがあったみたいで」
「あの……キリン様の具合はどうだった?」
「うん、かなり傷は深いみたい。それに熱も高いと医官が言っていた」
「そう……」
二人はそれだけ話すと沈黙した。
「ところで、ここで何してたの?」
「色々と考え事。後宮に来るまでは、頭が混乱したときはいつも木に登ってたから。育った街には丘の上に大きな木があって、そこに登るとすごく景色が良くてね。街全体が見渡せるの。ここにはそういう所がないから、この木に登ってみたんだけど」
「ふうん。それで考えはまとまったわけ?」
「全然……。これからどうなるのかわからないし。ねぇ、ヨウヤさんは『青琴の君』って本当に人を不幸にすると思う?」
「ヨウヤって呼んでくれて構わないけど。どうかな?僕は『青琴の君』なんて言葉でしか知らなかったから。今まで一度も琴を弾く時、青い光を放つ人なんて見たこともなかったし。セイショウ様がそうだって言われても、そうなんだとしか言いようがない」
「私、『青琴の君』なんて絶対迷信だと思う。だって、私は今までずっとセイショウと一緒だったけど、全然不幸になってない。だけど……カリュウ隊長が……」
ヨウヤも心の中では迷信だろうと思っていた。リコウは昨日、馬鹿馬鹿しいとまで言っていた。しかし軽々しく迷信だということで片付けられる問題でもなさそうだった。人々の思い込みは時に驚くほどの力になる。
さらにキリンのことを考える時、自分の兄が死んだ原因を何かに押し付けたい気持ちもわからないでもなかった。兄の死を“運が悪かった”というだけで片づけるのはとても難しいことだろう。原因があって結果を迎えたと思えれば、それがどれだけおかしな考えであったとしても、少しは心の拠り所になるのかもしれない。
「さて、そろそろ仕事の準備をしなきゃ」
ヨウヤはそう言って木から下りることにした。
「うん、私も朝の支度をしないといけない」
ヨウヤは先に木から下りると、シオンが降りるのを手伝うため手を伸ばした。
シオンはその差し出された手に自分の手を合わせようとして、急に泣きたい気持ちになった。
「ルリ……」
突然、幼馴染のルリのことが頭に浮かんだ。ルリはシオンが悩んでいる時、いつでも傍にいてくれた。そしてシオンが木から下りる時、ルリは必ずこんな風に自然と手を差し出してくれていた。
それにここは故郷と大きく違う。丘の木はどこまでも遠く見渡せた。それなのにここの庭の木は目の前にある黒い瓦の屋根しか見えない。
シオンは後宮に来てからずっと、毎日セイショウを助けるため必死に時を過ごしてきた。覚えなければならないことも、やらなければならないことも色々あった。そのため、故郷のことを思い出すことは、ほとんど今まではなかった。
しかし今はすぐにでも家に帰りたい気持ちになっていた。セイショウの心はひどく傷ついているのに、シオンにはどうすることもできなかった。キリンにさえかける言葉が見つからない。
ヨウヤはシオンが突然泣きそうな顔になったのを見て、驚いた表情をした。しかし何も言わずにシオンが木から下りるのを手伝った。
ヨウヤに今できる唯一のことはシオンの手をしっかり握ってあげることだった。




