21
シオンはいよいよセイショウの番がくるとわかり、身を乗り出すようにして臨時に作られた庭の中央の舞台を見つめていた。
するとそこに女官たちが琴を二人がかりで抱えて運び中央に置いた。
それを見てシオンはセイショウの出番はなかったようだと理解した。どうやら自分は順番を間違えていたらしい。
ところがその後信じられないことにセイショウとキリンが二人で登場し、皇帝陛下と皇太子に深々とおじぎをした。
ケイキはキリンから満面の笑みで誕生日の祝いの言葉を受けた。しかしその隣に立つセイショウはどこか上の空な様子で、祝いの言葉を述べる時もケイキとは全く目が合っていなかった。
ケイキはセイショウがキリンのように笑みを顔一杯に湛えるとまでは思っていなかったが、それにしてもいつもとは違う彼女の様子が気に掛かった。
一方、シオンは二人で何か演奏をすることにしたのはすぐに理解できた。キリンはもう舞が踊れないのだ。急遽変更をしたのだろう。ということはキリンが琴を弾くということなのかもしれない。
しかしそれも違うことはすぐにわかった。キリンの手に横笛が、そしてセイショウは琴の前に腰を下ろした。
セイショウは今自分が琴の前に腰を下ろした現実を、自分は何か悪い夢でも見ているのだろうかと思うだけで、全く受け止め切れていなかった。
それでも、もうここまで来てしまったのだ。この時何故かセイショウにはその場を逃げ出すといった考えは全く頭に浮かんでこなかった。後戻りはできない。琴を演奏するしかないという気持ちになりつつあった。
キリンから目で合図を受けて、セイショウは頭の中を空にすると、琴を人前で弾くことでこれから起きる恐ろしい現実を考えないことにした。もう、なるようにしかならないのだ。自分が琴を弾き、キリンが笛を吹く。
セイショウの中で、世界はセイショウとキリンだけになり、キリンの吹く笛の音色に琴を合わせることだけに集中した。
セイショウはずいぶんと長い間、琴を触ったことさえなかった。『桜の精』は二胡でさえ、後宮に来てから一度も弾いたことはない。しかし自分でも驚くほど何の問題もなく、思い通りに手は動いた。セイショウ自身はうまく思いだせない音律を、手だけはしっかりと覚えていたようだった。
キリンもまた何の問題もなく、間違えることもなく演奏を続けていた。キリンは自分の演奏に集中しセイショウの琴の音との調和をしっかりと実感していた。
セイショウが琴の名手だというのは間違いない。キリンもここまで美しい琴の音色を今まで聞いたことがなかった。
二人がそれぞれに、これならば無事に自分は『桜の精』を弾ききれるだろうと確信をもったその時、舞台の周りに設けられた皇族や臣下達の席からほとんど同時に、曲が掻き消されてしまうほどの大きなざわめきが一斉に湧きあがった。
「『青琴の君』だ!」
その時にはもう曲を聞いている人などのその場に一人もいなかった。あちこちから『青琴の君』という言葉が飛び交って辺りは収拾がつかない状態になっていた。
その騒ぎによってキリンは演奏への集中を切らしてしまった。そして周りの人々が『青琴の君』と騒ぎながら指で指すセイショウの方に、笛を吹きながらゆっくりと頭を傾けた。
キリンはセイショウの姿を目にすると、無意識の内に手が止まっていた。今自分が宴会場にいて舞台に立ち、皇太子の為の演奏をしているということを一瞬にして頭から消え去ってしまっていた。
「……セイショウ……あなた『青琴の君』だったの……そんな……」
キリンは手にしていた横笛を床に落とすと、舞台の中心から二、三歩後ろに下がっていた。
セイショウは、キリンが床に笛を落とした時に発したカラーンという響いた音を聞き、琴を弾く手を止めるとキリンの方をゆっくり見た。
「……キリン……」
二人はお互いに怯えた目で、全く血の気がないそれぞれの青い顔を見つめていた。
キリンは遂に耐えられなくなると、自分の立場をすっかり忘れ、舞台を駆け下りて行った。その時にはあまりの動揺に足を怪我していたことも、足の痛さも全く感じていなかった。自分でもどこへ向かっているのかさえわからず、全速力で駆けていった。
そんなキリンの様子を眺めながら、セイショウは呆然としていた。キリンを追いかけることも声を上げることもなくその場に座り込んでいた。
皇太子のケイキはもちろんその様子を高いひな壇の上から全て見ていた。セイショウの胸の痛さが自分のことのように感じられ、思わず席を立ち上がろうとした。
しかしその瞬間、隣に座る皇后から静止が入った。ケイキが皇后に何か言おうと口を開きかけたその時、ケイキの横をリコウが素早く通り抜けて行った。
リコウは席を立つと、堂々とした様子で中央に設置されている舞台へと降りて行った。
そしてキリンが落として行った横笛を拾うとケイキに向かって話す。
「ずいぶんと久しぶりに心に深く響く、とても美しい琴の音を聞きました。私もこの琴の音を聞き、是非ケイキ様にお祝いの曲をお送りしたくなりました。ケイキ様、琴の音を伴奏に一曲この場で演奏してもよろしいでしょうか」
ケイキは驚きを隠せなかったが、一言短く返答した。
「……構わない」
「それでは『桜の精』を最後まで演奏させていただきます」
リコウは横笛を口にあてた。
しかし二人のやりとりがあったにも関わらず、セイショウはこの状況が理解できているのか、いないのか、変わらず呆然としていた。
リコウは手を琴の上にも乗せずぼんやりとしているセイショウを横目で見て、強い口調でセイショウに声をかけた。
「早く『桜の精』の続きを弾け」




