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華と花の散るところ  作者: 音の葉
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「シオン、おまえには後宮に入ってもらうことにした。急ではあるが、二週間後には都に向かうことになる。すぐに準備を始めるように」



 お菓子を袋一杯詰めた紙袋を抱えて上機嫌で家に帰ってきたシオンは、使用人から父が呼んでいることを伝えられ嫌な予感がした。仕事が忙しくて最近ではあまり会うことのない父がわざわざ自分を呼ぶということは、何か注意されるのだろうとその時は覚悟をしていた。年頃の女の子なのだからあまりふらふらと外へ出歩くなとか、琴の練習をもう少し真剣にしろとか。しかし、父から出た話はシオンが全くも予想していなかった「後宮へ入る」というものだった。


 唖然とするシオンに父は話を続ける。


「とは言え、後宮へ入ると言ってもおまえは皇太子の妃候補として行くのではない。セイショウの身の周りの世話をする女官として行くのだ」


 シオンはここまで話を聞いて、やっと父の言うことを理解し始めた。「セイショウ」と「後宮」。この二つの言葉の組み合わせは、何度この家の中で飛び交った言葉だろうか。


 シオンには2歳年上の姉セイショウがいる。そしてセイショウは半年ほど前、突然皇太子の妃候補に選ばれ後宮に入ることが決まった。皇太子妃候補に選ばれるなどと言えば一般的には名誉なことに思われるが、この決定はセイショウが望んでいたことでは決してなかった。


 シオンは半年ほど前のことをぼんやりと思い出し始めていた。しかし、すぐに父からの声で現実に戻される。


「そういうわけだから、その準備をお母さんと相談して速やかに始めるように」


 話は短くすぐに終わり、シオンは父の部屋を出た。すると扉の外では使用人の一人が待っていて、次は母が部屋で待っていると告げられる。シオンは頭の中を停止させた状態で、言われるがまま、次は母親の部屋へと向かおうとした。

 しかし、シオンはそこで今まで考えることを意識的に避けてつづけていた現実を突き付けられ、居てもたってもいられない気持ちになり何かを考える間もなく家を飛び出した。




 シオンはふと我に返ると、街外れの小高い丘に立つ一本の大きな木の太い枝の一本に座って街をぼんやりと見下ろすように眺めていた。一人になりたい時によく来るお気に入りの場所であった。

 三月初旬の風はもう春の風だとは言っても、ひんやりと冷たくシオンの頬を掠めて行く。


 シオンはセイショウのことを考えるのを今日この時が来るまでずっと意図的に避けていた自分に嫌悪する。セイショウはここ半年の間、月に一度は便りを送って来ていたが、そこには後宮で健やかに過ごしているので心配しないようにというような内容のものばかりであった。とは言えシオンはセイショウがその便りの文面通りに後宮で楽しく過ごしているとは俄かには信じられなかった。セイショウは一人静かに本を読むが好きというあまり社交的とは言えない地味な性格だったし、後宮に行く一月ほど前に、セイショウの人生を揺るがす大きな出来事が起きたばかりであったからだ。

 それでもシオンはセイショウは後宮に入って新たな生活を楽しく過ごしているはずだと無意識に思い込もうとしていた。自分の中のセイショウのために何もできなかったという罪悪感のようなものに蓋をし自分を偽って過ごしてきていたのだ。そしてそんな風に半年もの間過ごしてきた自分を今改めて自覚させられていた。

 シオンの想像は願望でしかなかったことは父からの言葉ではっきりした。父がセイショウの後宮での生活についてどんな情報を誰から得たのかは知る由もなかった。

しかしシオンが後宮に女官としていくということの意味は、セイショウは決して幸せに暮らしているわけではなく、そんなセイショウを助けるために後宮に入れということなのだ。



 しばらくすると遠くから丘に向かって道着を纏ったまま走って来る青年の人影が目に入って来た。人影は小さくて顔から誰であるか判別するのは難しかったがシオンにはすぐにそれが誰であるかわかった。見慣れた少しくせのある歩幅の大きな走り方。幼馴染のルリだ。


「やっぱり、ここにいた」


 ルリは木の下まで来ると前かがみになって膝に手を置きながら息を突く。


「何か用?」


 シオンはルリの方に全く目を向けず地平線の彼方をぼんやりと眺めながら返事をする。


「さっき、シオンのとこの使用人がうちに来て二週間後に必要な菓子を大量に注文して行った……」」


 ルリの家は街でも評判の菓子屋だ。大福や饅頭といった庶民のおやつから、お茶会で出すような高級な菓子まで何でも作っている。ルリの父親が店主でルリの6歳上の兄のリツがその店を将来継ぐべく共に働いている。シオンがつい先ほど袋一杯の菓子を抱えて家に帰ったのは、立寄ったこのお店で、最近入手しづらかった砂糖が問題なく手に入るようになったからと言ってリツからもらった菓子だった。


「シオン・・・都に行くのか?」


 息を整えたルリは木の幹に凭れかかりながらシオンに尋ねた。


「ルリ、午後は道場に行くんじゃなかった?サボっていいの?」


 シオンはルリの質問を聞いているのかいないのか、それには答えずに全くかみ合わない返答をした。

菓子屋の息子だというのにルリは毎日ずいぶんと熱心に道場通いをしていた。ルリもまた兄のリツ同様に将来はお店を手伝うことになるはずだったが、ルリが菓子作りの修業をしているところをシオンは見かけたことがまずなかった。さきほどシオンが菓子屋に立ち寄った時もルリは道場に行く準備をしているところだった。


 ルリはシオンから検討違いな問いを返されて、ちらりとシオンの方を見上げた。しかし何も答えずに、シオンの見つめる地平線の先に同じように視線を移した。二人はそれ以上話すことなく時を過ごした。


 半刻ほど経っただろうか。日の光が赤く変化し始めた頃、ようやくシオンは口を開いた。


「突然だけど私、都に行くことになったから。後宮に入るの。女官として」


 ここまではルリもつい先ほど店で聞いて知っていた。ルリは黙ってシオンの話の続きを待った。


「都にはいつか行ってみたいと思ってた。きっとすごく広くて人がここよりもずっとずっと多くいて、見たこともないものがたくさんあるはずだから……。でもまさかいきなり後宮に入ることになるとはね。お妃候補ではなくてセイショウを世話する女官としてっていうところは私らしいけど」


 シオンは少し微笑んで明るくそう答えたが、ルリは眉頭に少ししわをよせてそれを聞いていた。


「・・・セイショウ、後宮で何か問題が?」


 ルリもまたセイショウが後宮で穏やかな生活を送っていないのではと案じていた。


「さぁ・・・後宮に行くようにって言われただけで動揺しちゃって。詳しく話を聞かずに家飛び出してきたから」


 ルリにも何となく察しはついていた。セイショウが後宮に向かって半年が経っている。それなのに今頃になってシオンにセイショウの世話をするために女官として後宮へ行くようにという話になっているのだ。

 二人ともセイショウが後宮で順調に生活を送ってはいないのだろうということは想像ができた。しかしそれ以上セイショウのことを推測で話題にできる心境ではなかった。


「とにかく、セイショウのためなら私はどんなことでもするし、どこにでも行くってこと。私が女官になるなんてちょっと驚きだけど、行けばなんとかなるでしょ。お妃候補ってわけじゃなくて女官として行くんだから。セイショウが無事お妃になって幸せになるまで私は自分にできることをやるだけ」


 そう話すシオンの紫色の髪は夕陽を浴びそよ風になびいて、赤に青に輝いていた。


「……まあな。何と言ってもセイショウのことだ。実はそんなに心配するほどの問題もなく過ごしていて、シオンはすぐにここに戻って来るってことになるかもしれないし」


 シオンが少し落ち着いてこれからのことを考え出したのに比べ、ルリはセイショウの心配もさることながら、シオンが後宮に行くことを内心まだ受け止めきれずにいてひどく動揺していた。しかしそれは表には出さず心にもない返答をした。


「もう家に戻らなきゃ……」


 シオンが木から下りようとしたのでルリはいつもしているように手を貸して降りるのを手伝った。辺りは徐々に夜に近づいていて、何かもう一枚羽織るものほしいくらい気温も下がりつつあった。その時、サーっと少し強い風が二人の間を吹き抜けて行き、シオンの紫色の髪がルリの頬を風と共に撫でていった。


「そんな変テコな髪の色じゃ、後宮でも女官くらいが相応しいさ。セイショウをしっかり補佐して早くここへ戻って来るんだな」


 ルリはシオンの気にしている髪の色の事をわざと持ちだして憎まれ口をたたくと勢いよく木からシオンを引き下ろして受けとめた。


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