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華と花の散るところ  作者: 音の葉
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 翌日、ケイキは朝目覚めても昨日の皇后の不愉快な話が思い出されて、とても気分が悪かった。


 昨日の話を受けてキリンの家を訪ねるのは当分控えなければならないことは判った。そのこと自体はケイキには何でもないことであったが、事情を知って行かないようにするという行動は皇后の思惑通りに操られているような気がして腹が立った。


 そしてその苛立ちを抱えながらケイキは一刻ばかり時を過ごした後で、ふと、それならば今日はセイショウを訪ねてみようかと思い立った。セイショウの住む“家”はケイキにとって特別な場所であったため、月に一度しかあそこには訪れないと自ら決めていたが、そろそろ前に訪ねてから一月ほど経ったはずだった。ちょうどよい頃合いだ。

 ケイキがセイショウを訪ねれば、すぐに皇后の耳にもそれが入るはずである。それも皇后への当て付けのようでこれはいい案だとケイキは思った。




 いつものようにお供を一人だけ連れてケイキはセイショウの家へ向かった。皇后は普段から女官やら宦官やらを何人も引き連れて威厳を示しながら歩くようケイキに忠告していたが、ケイキはこれを全く無視していた。

 ケイキはセイショウの家の前に辿りつくとお供には三刻後に再び来るように言いつけ、一人家へと向かった。


 ケイキが家の中に入ろうとすると慌てたように二人の女官が出てきて深々とおじぎをした。


「セイショウ付きの女官は一人だけだったはずだが……」


 ケイキは首をかしげた。


「もう一人、私の妹が女官として入りました」


 奥の部屋からセイショウが出てきてそう答えた。


 ケイキはその女官をもう一度見てみたが、セイショウにはあまり似ていないようだった。そして特にその女官に興味を示すこともなくセイショウの招きに従い、すぐに奥の部屋へと入っていった。



 手前の部屋が薄暗かったのとは対照的に、奥の部屋は目を開けていられないほどの春のやわらかい日差しが部屋中に窓から差し込んでいた。


 ケイキはその光を全面に受けて、この部屋での起きた過ぎ去った過去の記憶が蘇ってくるのを感じた。――そう、あの日あの時も今日と同じように春の日差しがこの部屋一杯に広がっていた。自ら封印していた記憶を鮮明に思い出しそうになったケイキはこの場所にこれ以上居られなくなった。


「今日は天気がいいので、庭で寝ることにしよう。あの木陰の下がいいだろう」


 ケイキは一刻も早くこの部屋から立ち去りたくなって庭に出ることにした。

 セイショウは突然の提案を聞いてもそれに全く動じることなくヤオに指示を出した。


「そうですか、それではヤオ、何か敷物を用意してあの木陰の下に敷いてくれる?」


「かしこまりました」


 ヤオは急いでどこからか敷物を探し出すと、庭へと駆けて行った。


 シオンはこの状況に全くついて行けてなかった。唖然として何もせずにその場に立ち尽くしていると、ケイキとセイショウが庭に出て行く姿が窓越しに目に入った。


 ケイキは躊躇することなくヤオの敷いた敷物の上に座り、その後すぐにその場にごろりと横になった。セイショウはその隣に静かに座ると、ヤオから受け取った掛け物をケイキの体の上にふわりとかけた。

 そしてセイショウはケイキの体にかけた掛け物を整え終えると、自ら持ってきた籠の中から、刺繍道具を一式取り出して何かの布に刺繍を差す作業に取り掛かった。


 シオンにはその間、二人に全く会話はなかったように見えた。



 すぐにヤオは部屋に戻ってきた。シオンはヤオにいろいろと聞きたいことがあった。しかし、矢継ぎ早に想像もしていなかった事が起こったことで頭が混乱し、何から話しだしていいかわからなくなっていた。


 シオンは後宮に来る前から皇太子ケイキの名は耳にしていたのでよく知っていた。歳は二十四だと聞いている。結婚を急ぐ年齢だとは思えないが、皇太子という立場ならもう早すぎるという歳でもないのだろう。

 しかしシオンが直接会ったのは今日が初めてであった。


 まず、ケイキ自身のことについて懸命に頭の中を整理しようとした。

 ケイキは皇太子という肩書にふさわしい容姿を持っていた。シオンが幼い頃から想像していた絵巻物の中の王子の容姿そのものであった。いや、それ以上の姿だったかもしれない。背はすらりと高く、全く飾りの気ない着物を纏ってはいたが、生地は高価な絹であることが伺えそれがとても良く似合っていた。誰が見ても目を奪われるであろう金色に輝く美しい髪。突然の訪問に動揺してシオンはしっかりと顔を合わせることができなかったが、確か瞳の色もその髪にふさわしい金色であったはずだ。


 とは言えシオンにはケイキの行動は全く理解できないものだった。


「ヤオ、ケイキ様はさっき何ておっしゃってたの?庭で寝ると言っていた?」


「ええ、そうよ。私も初めは驚いたわ。でもいつもそう。ケイキ様はセイショウ様を訪ねていらっしゃると、二、三刻ほど寝て過ごして帰られるわ」


「そ、それは、セイショウに気を許しているとかそういうこと?それくらい寛げる空間があるという証明?」


 シオンは驚きと同時に何とか自分が納得できるいい解釈を探そうとした。


「うーん、そうだったらいいんだけど……。たぶん違うんじゃないかと思う。皇太子には必ず月に一度以上はどの妃候補とも顔を会わせないといけない決まりがあるの。そうでないと皇太子と全く会えない妃候補者が出てしまう可能性があるでしょ。そのことで何かと問題が起きてしまうのを避けるためにそんな規則があるんだとは思うけど。妃候補達に最低限の機会を平等に与えるってことだと私は考えてる」


 ヤオはそこでシオンをちらりと見て話を続けた。


「それで、セイショウ様への訪問のことなんだけど……。月に一度以上来たことはないわ。今まで一度も」


 シオンはそれを聞いて小さな衝撃を受けた。幾ら何でもセイショウとケイキの関係がそんな状態だったとは。昨日、ケイキはキリンの所へは何度も足を運んでいたと聞いたばかりだ。


「だとしたらケイキ様はセイショウと特に話すこともすることもないから、単に寝に来て時間を潰しているということ?」


 シオンは誰に聞くというわけでもなく思わず口から疑問がこぼれていた。ヤオもその問いには黙って一言も返さない。


 シオンは今すぐにケイキの所に駆け寄って、どうしてそこまでセイショウのことに興味がもてないのか問い質したい衝動に駆られた。セイショウは街一番の評判の娘だ。シオンにとっても自慢の姉である。刺繍も上手く、琴も素晴らしい音を奏でる。本もたくさん読んでいて色々な事を知っているし、思慮深くて、親切で……。

 シオンはこれから先セイショウのために自分はどんなことができるのか、焦る気持ちばかりが大きくなっていった。




 ケイキはふと目を覚まし、今見ていたはずの夢の幻を追いかけようとした。上半身をゆっくりと起こしてすぐ隣を見ると、そこにはいつもと変わらず淡々と刺繍をするセイショウの姿があった。


「お目覚めですか」


 セイショウは手を休めてケイキを見た。ケイキはそんなセイショウを見て、一体セイショウは自分のことをどう思っているのだろうという、いつも思っている疑問が今日も同じように浮かんだ。

 ケイキは月に一度はここを訪ねていたが、これまでセイショウとはほどんど内容のある会話を交わしたことはない。普通、妃候補として入宮した娘なら、いくら皇太子と言えこんな失礼な態度を示せば怒るか泣くかすることだろう。最悪の場合、親に現状を吐露する手紙でも書いて送り、宮廷で問題にされることもありえることであった。


 実際のところケイキは他の妃候補を訪ねて行き、こんなひどい態度を示したことはこれまで一度としてなかった。特に興味のない妃候補であっても、礼儀として何かしら多少の話はしてきたし、それがほとんど興味の持てない親の話や趣味の話だったとしてもきちんと会話を交わせていた。


 もちろん、セイショウに対してもそう接するべきなのは十分わかっていた。冷静にセイショウを眺めてみれば、妃候補達の中でも皇后も感じている通り特別に美しい女性だ。慎ましく思慮深そうな態度でケイキに接していた。むしろケイキはセイショウのことを他の候補者達の中でも特に好感を持っていた。


 それならば何故ケイキはセイショウとうまく付き合えないのか。ケイキは自分でその答えをよくわかっていた。


 セイショウの住む“家”が問題なのだ。


 この場所を訪れると、ケイキは必ず過去のある地点に戻されてしまう。どれほど抗ってみようとしても、部屋の壁、窓、床あらゆる場所を見るたびに、蘇ってしまう思い出があった。ここは、ケイキにとって特別な場所なのだ。本来なら誰にも侵されたくない聖域だった。


 しかし、後宮においてケイキが自由にできることなど何ひとつなかった。ここは皇后の支配域であり、皇后の意志で物事が進む場所である。皇后の考えが絶対であり、皇后の意に反することなど決して許されない所なのだ。


 セイショウがこの家を利用すると聞いた時、ケイキは説明のうまくできないどろりとした感情が込み上げてきた。できることならこれから先、永遠にこの家には誰にも住まわせたくはなかった。


 後にケイキが救いに思ったのは、セイショウはこの家に住み始めても大幅に改築するようなことはしなかったということだ。もし他の妃候補者がここに住んでいたら、今頃全く違った建物になっていたことだろう。それは他の建物を見れば明らかであった。何らかの理由で空室になった建物は次に入宮した妃候補に与えられていた。しかし彼女達は例外なく、入宮するとすぐに自分の好みの建物に作り変えた。それは家の豪華さや美しさは妃候補の魅力の一部であり、そのことを誇示することが皇太子妃への近道であると確信しているかのようであった。


 セイショウは家にしろ、庭にしろ手を入れたのは痛んでいるところや、放置されていた空間に限られていた。ケイキは初め、後宮からある程度までは改築費用は出るにしても、ケイショウが地方の県令の娘だと聞き、財政的な問題で改築を控えているのではないかと思っていた。

 しかし暫くセイショウの様子を見ていると、セイショウはあえて元の建物を生かすようにあまり変更することのないように改善を試みているようなところが感じられた。


 ケイキは冬、この庭の木陰に咲くキンポウゲ科の白い花がとても好きだった。一つ一つはささやかで慎ましい印象の花であったが冬はあまり花が咲かない季節であったし、その花は群生で咲くように植えられていたので、寒い季節に庭の中でよく目を惹いていた。

 ところが残念なことに前の家主がいなくなり、この家が空き家になっていたわずかな間に、管理が行き届かなかったせいか全ての花が枯れてしまった。そして辺りは雑草の生い茂る一帯となっていた。


 そこをセイショウはこの家に入って二カ月程経った頃、以前と全く同じ花を植え、同じ景色を再現した。


 ケイキは驚き、セイショウに尋ねたことを今でもはっきりと覚えている。


「何故あそこにあの花を植えた?」


「ケイキ様があの場所にあの花をお探しになっているように見えましたので」


 セイショウは何一つ細かい事は説明せずに、そう短く答えたのだった。



 ケイキは巡らしていた考えに一応の終着を迎えると、今自分はその庭にいて隣にいるセイショウが目覚めたのかと尋ねているのを認識した。


 普段であればここで公務があるからと言ってこの家を立ち去るのがケイキの常であった。


 ケイキがこの家で見える景色は二枚の半透明の絵を二重に重ねて見ているようなものであった。過去の景色と現在の景色。見ようとして見ているわけでないのに、見えてしまうもの。これはケイキの精神をかなり疲労させた。ここは長い時間滞在できる場所ではなかった。


 しかし何故か自分でもわからなかったが、今日はもう少しここに滞在してもいいような気分であった。


「ああ、お茶でも一杯もらおうか」



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