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シオンがキリンの家に招かれたその夜、皇太子のケイキは皇后から呼び出しを受けた。
「ご機嫌よう、皇后様」
皇后の部屋は相変わらず装飾で溢れかえっていた。壁には金糸が織り込まれた細かい文様が全面に施され、床は地の厚い真っ赤な絨毯が敷き詰められている。
そしてそれにもまして皇后の衣装は、特に何かの式典があるわけでもないのに豪華な刺繍が施され、髪に至っては漆の塗られた簪にいくつもの宝石のちりばめられたものが何本も差されていた。
ケイキは皇后の重さで首が痛くなるのではと思われるほどたくさんの飾りで彩られた金色の髪を見て、不快な思いに襲われる。ケイキの髪の色もまた皇后と同じ金色で、それは間違いなく皇后と同じ血を持つ息子であることを表していた。
「まぁ相変わらずなこと。自分の母親のことを皇后様などと呼ぶ息子がどこにおりましょうか。それに私が呼ばないと、いつまでたっても顔を見せませんね、ケイキは」
ケイキは皇后の嫌みにも全く動じずに簡素に答える。
「公務がなかなか忙しいもので」
もう幾度となく同じように繰り返された最初の挨拶をお互いに済ませると、ケイキは皇后が用件を話し出すのを静かに待った。
「まぁ、いいでしょう。実は今日、妃候補者達の講義を見に行って面白いことがありましてね。一言言って置きたくて呼んだんです」
ケイキは眉をひそめた。皇后には一番関わってほしくないことであった。
「あなた、最近、赤毛の娘……名前は何と言ったかしら?彼女にご執心ですの?」
ケイキはその話し方にもうんざりする。皇后がわざと名前を言わなかったことは明らかだった。皇后が妃候補達のことで知らないことなど一つもなかった。名前はもちろん親の地位も財産もあらゆることを把握している。妃候補達の中で赤髪の娘と言ったら一人しかいない。
「皇后様は恐らくコウ大将軍の娘のキリンのことをおっしゃているのではないでしょうか」
ケイキはそう答えたが、ご執心と言われた意味はわからなかった。
「そうそう、キリンと言いましたね。あの娘は。彼女、今日の生け花の講義で他の妃候補の者達から嫌がらせを受けてましたのよ。中心に差すはずの花を全て駄目にされてましたわ。あなた、最近キリンのことを特別にかわいがっているの?」
皇后の話をそこまで聞いてケイキはすべてを把握した。ケイキは最近珍しく何度かキリンの家を訪ねていた。キリンのことを特別に想って通っていたわけではない。単にキリンが出すお茶を気に行ったからだった。
あえてさらに理由をつけるなら、キリン自身とキリンの住む家や庭に好感をもっていたのは確かだ。キリンは歳のわりに少々子供っぽい面があったが、大らかでさっぱりした性格だったのでケイキには気楽だった。それにキリンの家、特に庭は大将軍の趣味だとは聞いていたが、他の妃候補者達の作る庭のように媚びたところが全く、心を落ち着かせることができた。
それにしても数回家を訪ねただけでキリンが嫌がらせに会うとは、妃候補者達とは何と陰湿なのだろうかとケイキは腹が立った。
「特別想っているということはありません。ここのところたまたま何度か訪ねたまでのことです」
ケイキは冷静を保ってそう返事をした。
「そう、それならいいのですけれど。前々から言っていますが、今は特別な妃など持ってはいけません。左大臣の娘と右大臣の姪の娘、あの二人を両天秤にかけて様子を見るのです。皇太子が迎える妃というのは単に妻という存在ではありません。常に政治と絡んでいるのですから、よく考えて自分に有利になるように事を進めるのですよ」
いつも通りの皇后の話にケイキは反論せずに黙って聞いていたが、我慢の限界に達したため席を立つことにした。
「ご用件がお済みでしたら、これで失礼致します」
その様子を見た皇后は、帰る前にとばかりに空かさず話を続けた。
「キリンという娘にあまり価値はありませんが、まぁ機転は利く娘でしたよ。私が声をかけた時も泣き言ひとつ言わず、冷静に対応していましたから。あの時、他の者から嫌がらせを受けたことを私に言って泣きついていたら、即、後宮から追い出すところでしたわ。後宮とはそういう所だということが全くわかっていない馬鹿ですからね。そんなことをしたら」
ケイキはそれを聞いて無意識に足を止めていた。自分の母親ながら皇后はどこまで深い闇を持っているのだろうと思う。
皇后はケイキが話に反応し立ち去ろうとする足を止めたため、さらに話を続けた。
「あと、キリンの隣に座っていた青い髪の娘、セイショウと言いましたかしら。あの娘はお人好しとしか言いようがありません。自分の花をキリンに分けて助けていましたよ。ああいう娘はまず先に後宮で脱落するものです。競争相手に同情を示すなんて自分は他の妃候補達よりも少しばかり見栄えがいいからと勘違いでもしているのかもしれません。美しいというのは後宮ではそう役には立たない武器だというのに」
キリンの話だけでなくセイショウの話まで出たことで、ケイキはもうこれ以上こんな話を聞いていられないとばかりに皇后を睨みつけた。
「皇后様、他にお話がないようでしたら、私は明日の朝早いのでこれで失礼致します」
ケイキは何とか感情を抑えて挨拶を済ませると、今度こそ皇后の部屋を後にした。




