変わり目
「あなたが新年を一緒に迎えたいなんて、どういう風のふきまわし?」
「分かるだろう、特別な年を迎えるんじゃないか」
「そうね。確かに特別な年ね」
「そして多分、これは我々が迎える最後の新年なのだ。だから今夜はきみと一緒にいたいと思って」
「えっ?」
彼女は男の口調にただならぬものを感じて思わず問い返した。
確かに来年は特別な年だが、それは祝うべきものであっても、終末を暗示するようなものではない。事実、政府も様々な祝賀行事を計画していたくらいだ。
それとも、彼の身に何かが起こるというのだろうか?
彼女は先を促すように男をみつめた。
「ぼくが“混乱時代”以前の歴史を調べていたのは知っているだろう」
彼女は勿論というように、うなずきながら言った。
「それがあなたの唯一、といってもいい趣味よね」
男が、自分の地位に由来する特権を使って個人的な研究をしているのは知っていたが、その程度は非難されることではないと彼女も思っていた。
「僕はその研究の過程で我々の生死に係わる恐るべき事実を発見したんだ。よりによって今頃、こんな重大な問題に僕が気づくなんて。どうしてもっと早く、誰かが気づいてくれなかったのだろうか」
男は弱々しく首を振り、女を見つめた。
「どういうこと? 教えてちょうだい」
彼女も好奇心を隠さず、身を乗り出して言った。
「きみも部分的に公開されている混乱時代の歴史の断片の中で聞いたことはあるだろう。Y2Kについては」
「あなたが言ってるのは二〇〇〇年問題のことね。西暦一九九九年から二〇〇〇年に年があらたまる時、コンピュータの内部カレンダーは九九年から〇〇年に戻り、誤動作を起こす可能性があったと言う……」
「同じことがこの新年にまた、起こるんだ」
「……」
年が変わる時、コンピュータは再び日付の桁不足をおこす。
女は男の言う重大事を即座に理解した。確かに、何故、我々はこんな重要な事態に思いが至らなかったのか。
「実際のところ、どこまで深刻な問題なの。少なくとも、前回は彼らでさえ、この危機をどうにか切り抜けられたのだから」
「確かにあの時はうまくいったが、何と言っても我々のご先祖様はラッキーだった。コンピュータが使われ始めてわずか半世紀、トラブルの影響はごく限られたものだった。それでも彼らは何年も前から入念な準備をしてその時を迎えなければならなかった」
「もう、時間がないわね」
「仮にもっと早く気づいたとしても有効な対応は出来なかったかもしれない。我々はあまりにコンピュータに依存してしまっているから」
「Y2Kに対処する時、将来のことまで考えられなかったの?」
「彼らにとっては遙かな未来のことだった。充分時間はあるのだし、子孫が考えるべき問題と思っても不思議はない」
二人は二〇〇〇年問題をようやく切り抜けた人たちの安堵感と解放感を思った。
「二〇〇〇年には全人類が直接の影響を受けた訳ではない。実際のところ、コンピュータを見たこともない人間の方がはるかに多かったのだから。ところが今は、コンピュータに依存しないものはいない。従って、影響は比較できないくらい大きくなる。
前回は社会基盤に関するシステムが正常に機能すれば、それで何とかなった。最低限、核兵器と原子力発電所さえ誤動作しないよう管理出来れば、社会に致命的な損害を起こす可能性は少なかった。しかし今回、一体何が起きるのか、それを正確に予測できる者はいない。ただ、全世界的な災害になるのは間違いない」
「今は、核兵器も原発も存在しないわ。でも、一人一人が余りに多くをコンピュータに依存している。今回は私たち自身が影響を直接受けてしまうのね。身体に組み込まれたコンピュータの全てを短期間で修正するなど不可能だもの」
「そのとおり。年が変わる時、我々の体内コンピュータもオールクリアされてしまう、従って、地球上の知的存在全てが一度に死んでしまう可能性が極めて高いのだ」
「皮肉ね。戦争も貧困もない、私達の素晴らしい、平和で友好的な文明が本当に些細な見落としで消滅してしまうなんて。これも運命かしら」
男は大きく首を振って、女性の言葉を否定した。
「これは運命なんかじゃあない。慎重に練られた計略なんだ。我々は仕返しされたんだよ。つまり、ご先祖様は自分たちの運命を予知した時、我々に気づかせないよう、細心の注意で我々の意識レベルからこの問題を隠したんだ」
「何故なの? 彼らは自業自得で滅亡することを悟った時、あとを次ぐ私達に全てを明かしておくべきだったのに」
「人類には我々にない、嫉妬心がある。彼らは我々に成功してほしくなかったのだ」
「記念すべき、この西暦一〇〇〇〇年に彼らが仕掛けた時限爆弾、Y10Kが見事に炸裂する訳ね。こんなことで私たちの文明が滅びるなんて、本当に残念だわ」
「新年を迎える時、」
「私たちはみんな、死んでしまう。……最後の新年に乾杯しましょ」
「きみは随分落ちついているね」
「だって、ロボットにパニックは似合わないもの」