白、灰色、黒、そして答え
未希は白か黒、良いか悪いか、好きか嫌いかで生きていた。
自分の価値観が他人にも通用すると思っているらしく、どちらともつかない生ぬるい返事をする僕に、いつも間違った生き方をしていると説教をした。
灰色を生きる僕のことを未希が振らなかったのは、僕の本質が彼女が持っていない中間そのものだからなのだろう。
人は自分が持っていないものには興味を持ち惹かれるものだ。
この理解が出来ない僕という不思議な生き物を、どうにか正しい道に導けないものだろうかなんて気持ちで付き合ってくれているんだと思う。
未希は答えの見つからない会話を嫌った。
「私は行くと決めているんだけど? どっちなのよ!」
これは、二人で出かける時によく繰り返される会話だ。
「だからさっきも言ったでしょ? 明日は降水確率80%でもしかしたら低気圧が早く行ってしまうかもしれないから、朝起きてから決めようって」
僕はいつもこんな感じで柔軟なのだが、未希にはそれが優柔不断に感じるらしい。
外出する話が持ち上がった時点で白黒つけないと我慢ができないのだ。
前もって行くと決めたのなら槍が降っても行くし、行かないと言いだすとどんなに行楽日和でも出かけない。
そんな未希だから交友関係も落ち着かない。
あの子は良い子だから好きよと言ったかと思うと、次の場面では何故か悪い子で嫌いになっている。
中間の選択肢は彼女にはない。友人たちの行動に伴う評価も好きか嫌いに揺れるのだ。
僕との関係も同じで数日間に好きと嫌いが交差する。
それでも別れなかったのは、直ぐに答えを出さない留まることを良しとする僕の性格のお蔭だと思うよ。
答えを求める彼女と、答えなど二の次で過程を楽しみたい僕。
パクチーを不味いからと二度と食べない未希。
今回は不味かったけど、料理法が違うなら味も変わるし慣れるかもしれないからまた食べる僕。
彼女は極端に生き、僕は中間に生きているのだ。
我儘だと評価される彼女だけど、我儘なのではなく考え方が両極端なだけなんだと解かったのは、振り回され続けた僕の自慢すべき成果なんだ。
それでも彼女なりに結婚という答えを出さないこの同棲生活を3年もよく頑張ったと思う。
そんなところがいじらしく可愛いのだ。
料理だって僕のために手料理と決めているし、決めているから多少体調が悪くても台所に立つ。ふらつく足元で懸命に作る姿に何度後ろから抱きしめたことか……。
そろそろ僕も灰色に留まってばかりはいられない、白と決断をする時かもしれないな。
僕が指輪を買った日、未希が通り魔に刺された。
病院に駆けつけた時にはもう、虫の息ってやつだった。
僕が手を握り締めると微かに指を動かした彼女は、とぎれとぎれの息の中で言った。
「……あのね……私を忘れて他の人と結婚してもいいし、忘れないでずっと……思っててくれてもいいわよ……」
そして確かに笑ったんだ。
(どう? 私、成長したと思わない?)
笑い顔はいかにも自慢げにそう言った後、スーッと気持ちよさそうに消えた。
程なく心電図がフラットになり、看護師と医師が病室に走り込んで来て蘇生の処置をしている中フラフラと廊下に出た僕は、背中に彼女の母親の叫び声を聞きながらポケットの指輪の握り締めた。
「なんだよ! 最後に灰色の考え聞かせるなんて、そんなの望んでいない」
こんな方法で試さなくても答えは出てたのに、俺だって成長してたんだ。
未希が亡くなってから三か月たっても、僕がやっと出した答えはポケットの中にある。
通り魔は目撃者もなく警察の捜査は難航しているらしいと聞いた。
通勤帰りに通りかかる橋の上での一服が習慣になっていた僕は、その日も暗くトロリとした川面を眺め煙草に火をつけた。この川の水は動いていないように見えるけど、暗がりの中でもゆるりと何処かに向かっているのだろう、まるで僕のように。
ポケットから指輪を取り出し蓋を開けると街灯のあかりで微かに光った。
「その指輪、私にいただけませんか?」
振り返ると未希の唯一の親友である詩織が立っていた。
詩織とは未希と出会う前に大学のサークルで友達になった。物静かな女の子だったが気遣いができ優しかったので、サークルの中では癒し系として男子に人気だった。
僕もその中の一人で詩織といると落ち着いて居心地もよく、帰る方向が一緒だったこともありカフェでお茶を飲むときもあた。
そんな時偶然、未希に出会い詩織に親友なのと紹介されなければ、もしかしたら詩織と付き合っていたかもしれない。
友達といえども二人で食事をするまでになっていたのだから。
でも僕は一目で未希に惹かれてしまった。
大輪の花を思わせる華やかさと、僕とは違う何かに魅力を感じたんだと思う。未希を強烈に知りたいという欲求は僕の中から詩織の存在を消していた。
「その指輪、私にいただけませんか?」
詩織は壊れた人形のように繰り返した。
「それは出来ないよ、これは未希にあげるつもりで買ったものだから」
「未希はもういませんよ、あんな性格の悪い女のどこがいいんですか? 私の方が優しくて穏やかであなたを癒すことが出来ます」
「君は未希の親友じゃなかったの?」
「親友でしたが、我儘に振り回されて……大嫌いでした」
「未希は我儘じゃないよ。ただ、考え方が極端なだけさ。理解するのはすごく難しかったけど僕はよく知っている……大好きだった」
「…………私にはわかりません。ところで、その指輪を私にいただけませんか? 私には何も無いのです。未希が親友だったおかげで何も……何も……あなたも」
詩織の右手に未希の気配を目にした僕は首を横に振り、トリガーを引いた。
「未希は君よりずっと魅力的だったよ」
スマホを握る詩織の右手は震え、カタカタとイヤホンジャックアクセサリーを鳴らした。
カタカタ、カタカタ、と詩織を嘲笑うかのように。
狂気の表情に決意の火が灯り、足は橋の欄干をよじ登った。
こちらを向いてニンマリと口を曲げた詩織の顔には、何も見ていない目がポッカリと浮かんでいた。
「私を止めないのですか?」
「未希を殺した君をなぜ止めなきゃならないの、背中を押したいくらいだよ」
一瞬、瞳に正気の光が戻った詩織は、懇願する泣き顔で上半身を回しこちらに向かって両手を伸ばし、両手は僕のシャツを掴む手前で空を掴んだ。
傾いた身体がこちらに半転しながらスローモーションで背中から黒い水面に引っ張られ、手から飛び出したスマホが僕の足元で酷い音を鳴らした。
水面のドボンッという重い物を飲み込んだ音を確認した僕は、詩織のスマホを拾いあげイヤホンジャックアクセサリーを引き抜いた。ヒビが入った画面に触れた指先が未希が送ったメールを浮かび上がらせる。
日付は亡くなる前日のものだった。
「私決めたの、明日ね、彼に結婚してって言おうと思うの。逆プロポーズもありだと思わない」
僕は叫びながら川面の詩織が落ちたであろう一点をめがけて、思い切りスマホを叩きつけた。
ローズクォーツをあしらったイヤホンジャックアクセサリーは僕が散々迷ったあげく未希に初めて買ってあげたプレゼントで、通り魔に刺された当日も着けていたハズのものだった。
たった一人の未希の親友は理解していたのではなく、ただひたすら耐えていただけだったのだ。
僕が、僕だけが未希を理解していた。そして多分、僕のことも未希は……誰よりも深く解っていたんだと思う。
だから逆プロポーズだなんて……。
指輪と共にイヤホンジャックアクセサリーをケースにしまう。
答えを届けるために未希の元へ向かおう。そして言おう僕の答えを……。
「遅すぎてごめん、僕は未希を忘れることはできません。結婚してください」