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狙撃手は突然に  作者: カカオ
狙撃手の手にはスポイト
3/13

鴨上貴恵について語る

 九条通明は小学校四年の時に通い始めた塾で、鴨上貴恵と知り合った。

 塾に行き始めたのは中学受験のため、ではなく、単純に学校の勉強についていけなくなってきたからだ。とくに算数が通明にとっては脅威だった。

 彼にとっては算数の成績がどうなろうと知ったことではなかったが、母親が「お姉ちゃんみたいになりたいの?」と死の宣告のように恐ろしいことを言って、通明を説き伏せた。ちなみに当時の姉の成績ときたら超低空飛行、彼女が高校受験を合格した時は、家族の誰もが奇跡だと信じて疑わなかった。

 その塾は個人経営で、頭が見事なバーコード禿げの中年の男が塾長を勤め、経営していた。

 小学校六年ぐらいになると塾に通いだす者も多くなるが、小学四年でしかも中学受験もしないとなると、通う者はまずいない。案の定、その塾でも一つのクラスしかなく、しかもクラスメイトはたった一人だった。

 通明は塾の初日、緊張してぷるぷるしながら塾に足を運んだ。

 クラスメイトがたった一人ということは、その子との親密度の程度によって塾が楽しくもなるし地獄にもなる。

 フレンドリーに、爽やかに、そう自分に言い聞かせて通明は塾の教室のドアを開けた。

 そこには一人の女子が席についていた。小柄で、クラスで背の順で並ぶと間違いなくかなり前のほうになりそうだった。耳が隠れる程度の長さの髪の毛を、左右で小さく束ねていた。

 ただそんなことよりも彼女の顔つきに、通明は引き寄せられた。

 少し彫が深くて、目の色も茶色がやけに目立っていた。はっきり言ってしまうと、同じ日本人に見えなかった。ハーフ? とも思った。

 通明は話しかけるべき第一声に悩んだ。ただでさえ何と言ってきっかけを作って仲良くなろうかと作戦を練りに練っていたというのに、これでは日本語が通じるかどうかも怪しい。

 結局、通明の第一声はこの間抜けな一言から始まった。

「は、はろー」

 するとその女子は通明のほうに視線を移した。彼女の第一声はまともな日本語だった。

「阿呆ねえ、私は日本人よ」

 その女子が鴨上貴恵だった。

 聞けば彼女には四分の一イタリア人の血が流れているとのこと。クオーターだ。祖父がイタリア人なのだ。でも鴨上貴恵はイタリアには一度も行ったことがなく、国籍も日本だ。イタリア人の祖父は貴恵が生まれる前に他界したらしい。

 なんとも間抜けな初対面に、通明が快適な塾ライフを諦めたのは言うまでもない。

 だが彼の苦悩をよそに、貴恵は彼に明るく話しかけてきた。自分が通う小学校のことや習っているピアノのこと、大好きなジャズの話など。九条通明にとってはどれもこれもが聞いたことがない新鮮な話題だった。

 彼女の口癖は「阿呆ねえ」だった。今もそうである。

 通明が何か馬鹿なことをしたり見当外れなことをすると「阿呆ねえ」と言って笑う。

 通明は塾が楽しくなった。塾と学校を入れ替えてくれ、などとわけのわからないことを思ったりもした。

 そして彼は気付いた。自分が貴恵を意識していることを。

 塾が楽しいのは、貴恵がいるからだ。彼女の話だけじゃない。貴恵は小学生とは思えないほどに大人びて「きれい」だった。「きれい」なんて言葉を自分と同学年の女子に使うのは初めてだった。大体「きれい」をどうやって漢字で書くのかもわからない。中学生になった今もわからない。

 塾で鴨上貴恵と二人きりで話していると、まるで付き合っているかのような錯覚を覚えた。

 五年生になっても六年生になっても通明のクラスは一向に人数が増えることなく、貴恵ただ一人が唯一のクラスメイトだった。塾の経営的にはバーコード禿げ頭の塾長の毛が抜けるほどに頭が痛かったに違いないが、九条通明にとっては好都合だった。

 そして小学校を卒業し、九条通明は鴨上貴恵と同じ中学校に入学した。

 期待に胸を膨らませ、ついでに妄想で脳みそも膨らませて意気揚々と中学の門をくぐった通明だったが、現実は妄想のようにご都合主義的展開を見せてはくれなかった。

 当たり前の話だが、塾と違って中学にはたくさんの人間がいた。

 通明には小学校の頃からの友達が何人も一緒に入学したし、もちろん貴恵にも友達はいた。そんなわけだから話しかけづらかった。しかも同じクラスになることもなく、中学で貴恵と話す機会はほとんどなかった。

 まあいい塾があるさ、と思っていると、中学生になった途端に通明たちのクラスの人数がどっと増えた。中学生になれば英語やら数学、もっと先へ目を向ければ高校受験も控えている。皆、塾へ通い出すのが普通だったのだ。バーコード禿げの塾長は大喜びだったに違いない。通明は頭をかかえたが。

 案の定、塾でも貴恵と話す機会は減った。

 学校ほどではないにしても、やはり二人きりに比べればその差は歴然。恋人みたいだなぁ、などと自惚れていた自分が恥ずかしくてしょうがない。貴恵に「阿呆ねえ」と言われてもグウの音も出ない。

 だが中学二年になると通明は、学校で鴨上貴恵と同じクラスになれた。

 週二回だけの塾より、毎日の学校にこそチャンスあり!

 九条通明はそう自分に暗示をかけて、日々、貴恵攻略に余念がないが、進展もない。それどころか墨汁の一件で後退する気配すら感じられる。

 やかましい姉さえいなければ「あおーん」と咆哮するところだ。

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