依頼
一橋将也に連れてこられた先は、彼の家「一橋文具店」だった。店の看板は日に焼けて色褪せ、そこかしこの壁には亀裂が走っている。ちなみに桜井由梨香が住む「桜井模型」も似たような佇まいだ。
二人は二階の将也の部屋に入る。
由梨香は足を踏み入れた途端、ぎょっとする。飾ってあるプラモの数が前よりもずっと増えていたからだ。本棚や机の上にぎっしりと並び、さらには天井から凧糸か何かでぶら下がっているモノまである。
最後にこの部屋に来たのは彼女が小学校六年の時だった。その時もかなりの数はあったけど、天井に吊るすほどの数はなかった。
勉強机のほかに作業用の机まで置かれている。その上でプラモを作るのだろう。今も作りかけのわけのわからないパーツ類が無造作に散らばっている。
「頼みっていうのはこれなんだよ」
将也は机の上に立たせてある一体のロボットのプラモを見せる。
「こいつはニャンダム・マークⅡっていうんだ」
彼はまるで知人でも紹介するかのように言う。
「ふうん」
将也は呆れ顔の由梨香に気付きもせず、話を続ける。
「頼みっていうのは、由梨香にニャンダム・マークⅡの写真を撮って欲しいんだ」
「はぁ? そんなもん自分で撮れよ」
「いや、最初は自分で撮ったよ。でもさあ、見てよこれ」
彼は机の上のノートパソコンを起動させ、ブラウザを立ち上げ、とあるブログを表示させる。
「何それ?」
「俺のブログだよ」
「うわ、そんなのまで作ってんの……」
由梨香はさらに呆れる。
ブログは「プラモ道まっしぐら!」という阿呆なタイトルがつけられ、将也が作ったらしきプラモの写真がたくさん載せてある。
「このコメントを読んでみてくれ。あまりの屈辱的な内容に、俺は危うく作りかけのプラモを粉砕しそうになったよ」
彼が問題のコメントを表示させる。
『写真が酷いですね。これではプラモのクオリティがよくわからない。でもおそらく、大したことはないでしょう』
「な! 酷いよね!」
「たしかに酷い」
「だろー」
「写真が」
「ぐあっ」
桜井由梨香はコメントを読むと、改めてブログの記事に載せてある写真を眺める。たしかに写真は酷いものだった。背景にはこの雑然とした部屋が写りこんでいるし、光りの当て方もなっちゃいない。
「で、あたしに写真を撮れって?」
「そうなんだよ。俺のプラモのクオリティは言うまでもないけど素晴らしいんだ。でも、写真が……。写真が上手く撮れないんだよ。これじゃあブログを見ている人に俺のプラモの魅力が伝わらない」
バカらしい、と思ったものの、プラモの写真を撮ることに由梨香は興味を持つ。そんなものは撮ったことなどなかった。
光の当て方や背景の問題をどうクリアするか、といったプランが頭の中でどんどん出来上がっている。
わくわくする。
「……わかった。やってあげる」
「ホント? サンキュー!」
翌日、桜井由梨香は実に数年ぶりに自らの意思で「一橋文具店」を訪れる。
昨日一橋将也にはすぐに撮ってほしい、とせがまれたが、由梨香はちゃんと準備がしたくて断った。
今までほとんど使う機会がなかったマクロレンズや、背景用のグラデーションペーパー、撮影用のライト、三脚を持って来ている。
「なんか凄い荷物だなぁ。まるで写真家みたいだ」
「未来の写真家なんだよ、あたしは」
由梨香はてきぱきと撮影の準備を始める。
机の上にグラデーションペーパーを敷き、その上にプラモを立たせ、ライトをいい具合になるように当てる。それからカメラのレンズをマクロレンズに替える。被写体が小さいから自然と接写になってしまうために、普通のレンズだとぼやけてしまうのだ。
そして三脚を立ててカメラをのせる。
準備完了。
桜井由梨香はファインダーを覗く。ニャンダム・マークⅡの白いボディがしっかりと入っている。光の当て方も強さも良好。背景のグラデーションもプラモを引き立てている。
桜井由梨香はシャッターを切る。
パシャッ。
良い音……。
彼女はうっとりとする。携帯のカメラの出来損ないの擬似シャッター音なんかとは違う、本物の音だ。
由梨香は角度を変え、光の当て方を変えて何度も写真を撮る。シャッター音の小気味良い音が部屋に響く。
ふと鼻につくシンナーのような臭いに気付き、由梨香は振り向く。将也がなにやら塗料を調合していた。
「何してんの?」
桜井由梨香は怪訝そうに訊く。
「色を作ってんだよ。売っている塗料にない感じの色だからさ」
「ふうん――」
その時、桜梨香は将也が手にしているモノを見てハッとする。
「スポイト……」
「え、ああ。調合する時の必須アイテムだよ。少しずつ色を加えていくからね」
由梨香の頭に、貴恵の顔に墨汁がかかる瞬間がよぎる。
「間違ってもこれを人に向けちゃいけない。中身によっては危ないからね」
将也は静かに言った。
「え――」
由梨香は驚いて彼のほうを見る。だが、将也は作った塗料を筆に馴染ませプラモに塗り始めている。こうなってしまうと彼は人の話など全く聞かない。
由梨香は気を取り直して撮影に戻るが、さっきまでのように夢中にはなれなかった。




