それは、鴨上貴恵が完璧だから。
桜井由梨香は自分のことを地味な顔つきだと思っている。考えてみれば父も母も純血の農耕民族といった感じで地味である。畑で働いていたら似合っていそうだ。
でも自分までもが地味なるとはどういうことだ。由梨香はそのことを考えるといつも不機嫌になり、頭に鴨上貴恵の顔が思い浮かぶ。
友達から聞いた話によると、鴨上貴恵はクオーターで、四分の一イタリア人の血が流れているという。その血のおかげで、鴨上貴恵の顔は少しだけ彫が深く陰影がはっきりして、きれいな顔立ちを演出している。目の色も茶色が色濃く出ていて、髪の毛も自然な茶色である。
桜井由梨香も自分の見かけをどうにかせねば、と髪を染めたりはしているのだが、どうもパッとしない。前よりはマシにはなったとは思うけど、貴恵には程遠い。
由梨香の家は「桜井模型」というなんとも貧相な模型屋である。
商店街の一角に構えているのだが、そもそも商店街そのものが貧相なので仕方がない。
父親の模型好きの延長線上にあるような店だから、客のことなんか考えてもいない。父は日々、由梨香には理解できない戦闘機やらロボットのプラモの制作に没頭し、店のこれまた貧相なショーケースに飾る。
由梨香は父親やら桜井模型やらさらには商店街そのものに不満だ。何ゆえ自分はこんなところに生まれてしまったんだ? といつも思っている。
貴恵の家はゴールデンレトリバーがキャンキャン吼えて走り回っていそうな広い庭付きの家で、イギリスかどっかからそのまま持ち上げて日本に投下しまったかのような佇まいだ。
そんな家に生まれた鴨上貴恵はさぞかし幸せだろう。
不満もないだろう。
不安も、
不機嫌も、
不幸も。
何もかもが貴恵には釣り合っている。
――あたしには……不釣合いなんだ。
桜井由梨香が鴨上貴恵を羨ましがっているのは言うまでもない。
けれど「桜井模型」に嬉々として通う者もいる。一橋将也だ。
彼は「桜井模型」の隣の隣に店を構える「一橋文具店」の息子である。言うまでもないが貧相な文具店だ。
彼と桜井由梨香は幼馴染で、中学二年になった今はクラスが一緒だ。
将也は小学生の頃から今に至るまでプラモ作りに情熱を捧げている。幼い頃から「桜井模型」に通い続け、由梨香の父となにやらプラモ道について熱く語り合ったりしている。由梨香はいつもそれを冷ややかな目で見ていた。
将也は昔から「桜井模型」に来ると「くーだーさい」か「ゆーりーか」と叫ぶ。前者は買い物に来た時、後者は由梨香を遊びに誘いにきた時の掛け声だ。
だがさすがに中学になってからは遊びの誘いはなくなった。仮に来た時しても、由梨香は追い出す気満々だ。どうせ遊びに行ったところで、作ったプラモを見せてくるだけだからだ。
なんだか由梨香は不幸の星も元に生まれたように見えてならないが、一つだけ彼女にも誇れるものがある。写真だ。
もう他界してしまったが、由梨香の祖父は写真家だった。由梨香は小さい頃に祖父からカメラの使い方を教わり、よく風景写真を撮っていて、今も趣味にしている。将来は祖父のように写真家になりたいと密かに考えている。
――いつか日本を飛び出して、世界中を飛び回る写真家になってやる。でもその前に、この商店街を、いや「桜井模型」を飛び出さなきゃ。
そんな写真をこよなく愛する由梨香にとって、昨日撮った貴恵の黒い鼻血写真は汚点だった。なんでこんなものを撮ったんだろう。
由梨香はいつも決定的瞬間を追っている。風景写真も好きだが、報道写真にも興味がある。ならば、決定的瞬間に敏感にならないといけない。
そして昨日、その機会が訪れたのだ。
なんでまたよりにもよって貴恵だったんだろう。もし貴恵じゃなければ、写真を皆の携帯に送ったりなどしなかった。
貴恵は完璧だ。彼女を見ていると、まるで自分が彼女の靴を舐めているような屈辱を感じることすらある。イライラする。ああイライラする。
そして由梨香は黒い鼻血写真をクラスメイトたちへばら撒いた。苛立ちは沸点に達し、もうどうしようもなかった。
でも、由梨香は後悔している。
汚点は消せたのだ。
ただ、データを消せばそれでよかった。もし写真なら燃やせばよかった。ネガなら引きちぎって捨ててしまえばよかったのだ。
なぜ送った?
それは――、と心の中のもう一人の桜井由梨香が答える。
それは、鴨上貴恵が完璧だから。




