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誡師  作者: 小声奏
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03.恐ろしい異変

マソオとリョオウ、そしてウカンが長であるシノメの家の戸をくぐったのは、西方にそびえるサゴ山に陽がのまれ、空を流れる雲が赤い名残に美しく染まる頃であった。あと半時も待たずに辺りは暗闇に沈むだろう。 

 シノメはマソオ達の持て成しの用意を整えるよう、村人に指示を出しに行っていた。日の光が残るうちに後始末と明日の準備をしようと、山から帰った村の男達がせわしく動き、女達は竈に付き切りになるこの時間に、余分な雑事を増やしてしまい申し訳なく思いながらも、マソオがそれを止める事はない。手厚く持て成したという自負が、畏れを薄めると分かっているからだ。

 誡師の中には人々との接触を極端に忌避する者もいるが、マソオはそうではない。旅に明け暮れ、一年の半分程の日数を野宿で過ごし、連れと言えばリョオウとカチだけ。とても会話が弾むとは言い難い。

訪れた村々で、温かい食事をいただきながら、村人の話を聞くのをマソオは楽しみにしていた。

 土間に通されたマソオとリョオウが、上がり框に腰掛けると、ウカンが瓶から汲んだ水を桶に注いで足元に置く。

 マソオは手拭を浸して足を擦った。


「ああ、これは気持ちいい。疲れがひくようです」


 手には温く感じる水も、足にかけるとひんやり冷たくて、土埃だけでなく草鞋の緒に締め付けられていた肌の痺れるような痛痒さも洗い流されていくようだ。

 軽くなった足先を確かめるように、指を曲げ伸ばししていたマソオの隣で、足を濯ぎ終えたリョオウが、未だ被ったままだった笠に手をかけた。

 リョオウが笠を取る、その一瞬にマソオはどうしても緊張を覚えてしまう。腹の奥がきゅうと硬くなるのを感じながら、マソオはウカンの様子を伺った。

 緒が緩められると、癖のない真黒な髪がさらりと流れて、リョオウの頬を覆った。長くしなやかな指がそれを払いリョオウの容貌が顕になると、ウカンはまず瞠目し、次にどこか申し訳なさそうに目を伏せた。

 ああ、やはり。とマソオは思う。リョオウの顔を見たものは程度の差こそあれ、皆似たような反応をする。まず、その眉目の良さに驚き、次に、決して開かれることのない眼に気づいて目を逸らすのだ。

 リョオウの両目は光を映さない。三年前にマソオとリョオウが共に在る事を選んだその日から………。他に選択肢がなかったとはいえ、覚悟を決めて歩いてきた道のはずなのに、些細な事で動揺してしまう。そんな時マソオは自分の弱さを思い知る。

 ついとウカンから視線を離すと、マソオは手拭を絞って桶にかけた。


「ウカン殿、長殿と貴方と、我々だけで話をしたいのです」


 不意にかけられた言葉にウカンは目をむいて立ちすくんだ。


「その方があなた方もいいでしょう」


 ごくりと喉を鳴らして目を閉じると、ウカンは息を吐く。膨らんで張り詰めていた気をゆっくりと抜いていくような、長い吐息だった。


「ええ………ご配慮に感謝いたします」


 背負っていたものがすうと軽くなったように、ウカンの肩から力が抜けていた。


 滑らかな肌触りの木の板を貼られた床は、体重をのせる度に、きしきしと小さな音を立てる。

 家の一番奥に造られた客間で、マソオ達は長の帰りを待っていた。


「これは美味しい」


 透き通った薄紅色の酒が入った椀を傾けると、マソオは感嘆の声をあげた。穀物から作られた酒を果実と共に漬け込み、水で薄めたものでラカ酒というらしい。シュザ族はぴりぴりと舌を刺す様なきつい酒を好むと聞いていたマソオは、出された酒に驚き喜んだ。


「咽を潤すにはもってこいでしょう。今年は特にラカの実が大粒に実りまして、おかげでいい酒になりました」


 口当たりも良く、また色も美しいラカ酒を、マソオは大いに気に入った。

 上機嫌で酒を口にするマソオの隣で、リョオウは酒には一切手を付けず、静かに煙管を吸っている。

 リョオウの目が見えぬのに気づいてから、ウカンは盛んに手を貸そうとしては、まるで不自由さを感じさせずに、何事もこなしてしまう様に驚き戸惑っているようだった。

 段差を通れば、後に続くリョオウに声をかけようとし、しかしその前に当然のようにひょいと足をあげて超えていく様子を見て、目を丸くし、円座を敷けば、場所を教えるまでもなく腰を下ろす姿に眉を上げる。煙管を勧められたリョオウが、手際よく煙草を詰めて火をつけた時には、感嘆を通り越して呆れたようにぽかんと眺めていた。

 マソオが部屋の中を漂う煙の匂いにうんざりし始めた時、小刻みに廊下が鳴る音が聞こえて、引き戸が開いた。


「失礼いたします。小半時程で宴の用意が整いますが、先に湯でも」

「長」


 ウカンが膝をついて顔を出したシノメの言葉を遮って声をかける。


「村の者達が来る前に、話をされたいそうです」


 振り向いたウカンの顔を見てシノメは顔を強張らせた。しかし即座に居住まいを正し、手を突いて深々と一礼すると、戸を閉めて、上座に座るマソオの前へ進む。


「誡師様。本当によくお越しくださいました。このような時に村を訪れられたのも、巡り合わせにございます。何卒、われ等ルカタの民にお力添えを」

「力が及びますよう勤めさせていただきます。時間が惜しい。単刀直入にお尋ねします。神に何事かありましたね?」

「やはり、隠し立てできる事ではございませぬな」


 シノメはかぶりを振った。


「神の力が殆ど感じられません。一体何があったのですか。神はどちらにいらっしゃるのです?」


 シノメは答えない。恐ろしさに耐えるように、ただ膝の上の手をぎゅっと握り締めているだけだった。

 街道をそれて、山を登り始めた時からマソオはかすかな違和感を覚えていた。村に近づくにつれてそれは顕著になり、ウカンの態度を見ていくつかの疑念へと変化した。そして今、その中でも最悪の憶測が、疑念から確信に変わった。


「神は………おられないのですね」

「はい」


 シノメは鎮痛な面持ちで頷いた。

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