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誡師  作者: 小声奏
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02.ルカタの村

  旅人と思しき二つの影が、多く人の行き交う街道をそれて、シュザ族の住まうルカタの村へと続く幅6尺程の小さな道に姿を現したのは、一足早く畑仕事を終えた女たちが、夕げの支度に取りかかろうと家路を急ぐ頃であった。

 そのほとんどが村で消費されてしまう僅かばかりの穀物の栽培と、気まぐれな山野の恵みで生計をたてている、取り立ててどうということもない小さな村であったから旅人の訪れなど滅多にあるものではない。その為、彼らはひどく女達の目をひいた。

 いや、女達が旅人に注視したのは、それだけが理由ではない。二人の旅人はいずれもすらりとした痩躯の若者だったのだ。彼らの訪れは、外部との交流に乏しい、閉塞的な山間の村の住人である彼女達に、ちょっとした祝い事の折に感じるのに似た高揚をもたらしていた。

 夏の盛りを過ぎた今、昼日中にはまだまだ暑気が残るものの、夕刻ともなれば、心地よい風が吹く。

 若者の一人が笠をとめた顎ひもに右手をかけて、するりとほどいた。笠の下から現れた若者の顔立ちはよくよく見れば、それほど賛美に値するものではない。しかし色の白い、優しい面差しをしている。屈強でよく日に焼けた男達しか知らぬ年若い娘の胸を弾ませるには十分だった。


 山の頂から吹き降りる風は木々の間を通るうちに、勢いを削がれ、濃い緑の香りを纏う。清澄な風を身体いっぱいに受けながら、マソオはしばし、斜面に沿って段々に作られた田畑に見入った。

 幾重にも重なる丸く区切られた田畑は、シュザ族独自の様式で、大きな鱗のように見える事から竜鱗田とも呼ばれている。

 ―――竜鱗田は季節によって表情を変えてね、雪の積もる冬場が最も美しいとされているが、私は秋が好きなんだよ。色づいた穂が、天に昇る黄金の竜のようでね。あれは壮観だったなあ―――

 ふいに、その美しさを、目を眇めて褒め称える師の姿が思い起こされて、じんわりと胸の底から滲み出た熱が心地よい暖かさでもって広がった。

 実をつけているものの、まだ青い穂を惜しむマソオに、隣を歩く連れの男が無言で手を差し出す。マソオはその手に脱いだ笠を預けると、頭半分背の高い男を見上げて、ふっと笑みをもらした。


「おまえも脱いではどうだ。風が心地いいぞ」

「村につきましたら。………今脱いでは荷物になるだけですので」


 男の言葉にマソオは眉をしかめる。


「リョオウ、おまえいつからそんな嫌みを言うようになった」

「事実を申し上げただけです」


 リョオウの態度は慇懃にも写るが、他意のない率直なものであると、マソオは知っていた。しかし出会った頃に比べて格段に口数が、それも無駄口と言われる類いのものが増えた気がする。それはひょっとしなくとも自分の影響によるものだろう。そう思うとマソオの心は複雑に揺れた。


「どうやら日の落ちる前に村へつけそうですね」

「ああ、久しぶりに野宿をせずにすむな」


 マソオの頬がふわりと緩む。

 馬を使えない為に彼らの旅はずっと徒歩だった。人里から人里までの距離が離れていれば、当然野宿となる。ここ5日程、食事といえば干肉とかちかちに焼きしめたパンに、トッラの実をとかしただけのスープと決まっていた。味気のない食事にもうんざりだったが、それ以上に湯を使って体を清め、固い地面の寝床ではなく、寝具の上で眠れると思うと嬉しかった。


「あなたが無計画に歩を進めなければ前の村でも宿を請えたでしょうけれどね」


 はやるマソオの心にリョオウがすかさず水をさす。マソオはぐっと言葉に詰まった。

 確かに少々寄り道をして、そこいらをさ迷い歩く羽目に陥ったが、それもマソオにしてみれば必要だと思えばこその行いだったのだが。

 マソオはちらりと、隣を歩く男を見た。笠の影が鼻先までを覆ってリョオウの顔を隠しているが、マソオには彼の表情を容易に想像することができた。

 マソオは何かを言いかけて、言葉を発しないまま、また口を閉ざすと、道の先へと目を向ける。村を囲む高い木の柵の尖端が木々の合間に見え隠れしていた。


 村の前にはすでに十数人の人だかりができていた。

 マソオ達が歩み寄ると、厳めしい顔をした男が進み出て、皆を守るようにどんと立ちはだかった。ごく一般的なシュザ族の村人が身につける単を着ているが、色褪せた帯には小刀が差してある。好奇に目を輝かせている女達とは違って男の目には警戒の色がありありと浮き出ていた。

 マソオは胸がざわりと騒ぐのを感じた。

 何事かがあったのだ。そう確信させるだけの切迫さが男の目にはあった。

 鋭い眼差しで素早く男を探ると、マソオはゆったりとした動作で頭を垂れる。再び男に向けられたマソオの顔には愛嬌たっぷりの人懐こい笑顔が浮かんでいた。


  その笑顔の上調子な様子に男―――――ウカンは一瞬毒気を抜かれて怯んだ。

 ウカンが「客人だ」「若い男の二人連れだ」と騒ぐ若い娘の声を耳にしたのは、村を守る柵を点検している時だった。田畑でんぱたに出ていた娘が、息を切らせて帰ってきたかと思えば、浮かれて吹聴して回る言葉を聞いて、体がびりりと痺れた。何か良からぬ事が起こるのだ。そんな気がしてならなかった。

 十日程前に起こった異変からこちら、ウカンの心は安らぐことがなかった。何時か凶事がやって来ると、ずっと案じて来たのだ。それが、とうとう押し迫った。そう思ったウカンはすぐさまに戻り、寝台の下から行李を引き摺り出した。乱雑に服をどけて現れた小刀を手にすると、鞘から抜いて二度三度感触を確かめるように柄をぎゅっと握る。目を瞑って呪い(まじない)の文句を口にすると、立ち上がってさっと刀を鞘に戻し、帯へと差し込んだ。

 戸口まで来てウカンの母である村長むらおさへ知らせにいくか迷ったが、恐らく長もすでに騒ぎを聞きつけただろうと推し量って、門へと走ることにした。

 集まった村人の中に、やはり長の姿はあった。自分と同じように眉を曇らせた長の元へ駆け寄るが、言葉を交わす前に件の二人連れを認め、ちっと舌打ちしたいのを堪えて、長の前へと身体を出す。

 村外の女子供にはほぼ怯えられる、いかつい顔を活かして目一杯凄んで見せた。ところが返って来たのは、気の抜けるような笑顔だった。

 ウカンの戸惑いを尻目に、マソオが手にした杖をとんと地面に打ち付けると、杖の先に通された四連の輪が擦れあいシャランと涼しげな音をたてた。


誡師いましめしにございます。村長に目通りを」


 凛とした、それでいて柔らかい、よく通る声だった。

 誰かがはっと息を飲む音が聞こえた。それは村長だったかもしれないし、今にも黄色い声をあげんばかりだった娘たちの一人だったかもしれないし、ウカン自身だったかもしれない。


 ―――――――誡師

 

 それはしんの護りを得て、てんを使役し、人に仇なすかいを狩る者達の総称である。


 ウカンはまじまじと目の前に立つ若者を見つめた。

 杖を鳴らした若者は中背である自分とかわりない背丈をしており、肩ほどまでの髪を首の後ろで纏めている。地味な色目の単に野袴、背に負った袋には、赤墨色の丈の短い外套が括りつけてある。目に付くものといえば両の耳についた青い光を放つ石ぐらいで、他はごくありきたりな旅人の装いであった。

 次いで、ウカンは若者の隣で先程から微動だにしない背の高い男に視線を移した。笠に隠れて、顔の大半は見えないが、顕になっている頬や口元から、色の白い、細い面なのが分かる。

 二人を交互に見やって、ウカンは心の内で首を傾げていた。誡師は単独行動を常とする。そう聞いていたからだ。

 実際に今まで出会った誡師の何れもそうだった。ウカンが誡師を目にしたのはこれを除いて六度。うち、三度は村長代理として出席したシュザ族の祭りの席で、二度は他の村や街への行商の折に、そして残りの一度は、ほんの半月ほど前に村の外れで出会ったのだ。これはこの辺りの山村に住むシュザ族としては多いほうだろう。村には誡師に出会ったことがないという幸運な者も多くいる。


「これは誡師様。斯様に辺鄙な村にようお越し下されました。ご挨拶が遅れまして申し訳ございませぬ。ルカタの村長、シノメと申します。これなるは我が愚息ウカンにございます」


 すっとウカンの背後から進み出た、村長―――――シノメが両手の指を組んで、恭しく頭を下げる。


「ウカンにございます」


 シノメに倣いウカンも慌てて礼をとる。


「誡師、マソオと申します」


 杖を手にしている左手を右手で包むと、マソオは深々と頭を下げた。

 マソオの名乗りに、ウカンはますます困惑を深めた。


「マソオ………様にございますか。して、こちらのお方は?」


 そう問うたシノメの声にも多分に戸惑いが含まれている。


「リョオウ」


 長身の男が低い声でぼそりと答えた。

 礼の形をとらないばかりか、笠も脱がずに名を告げる男に、ウカンは大いに面食らった。


「おい、リョオウ! ………申し訳ありません。礼儀を知らぬもので」


 人の良さそうな笑顔を浮かべたマソオに、頭を下げられてウカン達は慌てた。

 なんとも、今まで出会った誡師達とは勝手が違う。

 恐ろしい怪に天を従え立ち向かう誡師に、人々は畏敬の念を持って接する。また、誡師達も己の力を誇らかに思い泰然とした態度を崩さないものである。というこれまでに培った概念をひっくり返された思いだった。だからだろうか、ウカンはぽろりと口を滑らした。


「ところでマソオ様の天はどちらに? 姿が見えぬようですが」


 ばっとシノメがウカンの顔を仰ぎ見る。驚きに見開かれた目を見てウカンは己の失態に気づいた。

 誡師と人々の間にはある種の隔たりが存在していた。誡師は敬意を払われ、どこに行っても丁重に持て成される。反面、人々の中には彼らを疎んじる心があった。

 ―――――誡師のある処に怪はあり。

 これもまた、古く言い伝えられてきた文言である。誡師に付き纏う、怪の影に人々は怯え、また不可思議な力を持つ天におののいた。

 誡師にしても己が性を心得ているもので、人々とは一線を引いていた。人を護るために危険に身を賭しても人と真に心を交わさない。故に誡師には慎重に接せねばならない。

 多くの誡師は己の天について語るのを嫌がる。怪を滅する唯ひとつの刃であり、己の命を護る盾でもあるのだから、その内を明かしたくないのは当然だろう。しかも天の所在を問うなど、マソオが誡師を騙っているのではと疑っているかのようにも取れる。


「いや、不躾に申し訳ありません。どうかお忘れになって下さい」

「いえいえ、天がいなければ不審に思われるのはもっともです。なにかと型破りであることは自覚しております。ですが心配はご無用ですよ。天なら、ここに」


 畏まるウカンに、マソオは腰に巻かれた巾着を指してみせる。マソオが緒を解くと、中から灰色の鼠が顔をのぞかせた。


「カチと申します。可愛いでしょう?」


 そう言われて、ウカンは「はい」と返すのが精一杯だった。いくら見目が小さく愛らしくても、人にはない力を持った天である事に変わりはないのだ。

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