ありがとう、本野
「ちょっとトイレ行ってくるね」
「うん」
愛が人混みの中に消える。
静かになる。
「夢乃」
「うん、何?」
本野が、まっすぐこっちを見る。
さっきまで笑ってた顔じゃない。
「もう、私がいなくても平気だよね」
「……え?」
「愛もいるし」
「どういうこと?」
胸がざわつく。
本野は、少しだけ笑う。
でも、どこか遠い。
「私、もうそろそろ本に戻らないといけなくて」
「……本?」
「うん。ここは、夢乃の物語の中だから」
頭が真っ白になる。
「なんで」
声が震える。
「私は、本野と愛と、三人でまだ遊びたい」
本野は、困ったみたいに笑う。
「ごめん。無理なんだ」
「やだよ」
「今日で、バイバイ」
風が吹く。
ネズミ遊園地の音楽が、遠く聞こえる。
「ネズミ遊園地で、最期」
その言葉が、やけに軽くて。
やけに重い。
「そんなの、決めないでよ」
私は、本野の腕を掴もうとする。
指先が、触れたはずなのに。
少しだけ、透ける。
「夢乃は、ちゃんと前に進める人だから」
「いらないよ、そんなの」
涙が出る。
「三人がいい」
本野は、ゆっくり首を振る。
「物語はね、ずっと続くと、閉じられなくなるんだよ」
遠くで、愛の声がする。
「夢乃ー?」
本野が一歩、下がる。
「楽しかった」
本当に、楽しそうに笑う。
「ありがとう」
その瞬間。
人混みが揺れて。
本野の姿が、光に溶けるみたいに、消えた。
「……本野?」
返事はない。
愛が戻ってくる。
「お待たせー……あれ?本野は?」
私は、ネズミ子のカチューシャを握ったまま、立ち尽くしていた。




