第87話 情動核への侵蝕
光が消えた直後。
空間は“無音”になった。
風の音も、足音も、
呼吸の感覚すら薄れていく。
ただ——
ラグナ残滓の冷たい瞳だけが、闇に浮かんでいた。
《——削減開始》
その言葉の瞬間、
カケルの胸の奥が“ぎゅう”と握り潰されたように痛んだ。
「っ……!!」
「カケル!!」
ルシアナが手を伸ばすが、
空間そのものが彼女の手を“跳ね返す”。
《——神性検出
干渉を遮断します》
白い壁がルシアナの前に立ちふさがる。
「くそっ……! なんで私じゃ触れられないの!!」
《——対象B
神性:干渉不可
情動核:解析価値なし》
「……“価値なし”だと……?」
ルシアナの目に、怒りと悔しさが混ざる。
◇
その間にも、
ラグナ残滓の攻撃は“カケルの内側”を掘り崩していく。
胸の奥がえぐられるような感覚。
怒りも、悲しみも、全部冷たい水に落とされたように薄れていく。
「……ぁ……?」
(なんだ……?
さっきまで……
こんなに……怒って……)
カケルの表情から“色”が消え始めた。
「カケル……!?
ダメ……やめて……!!」
ルシアナの声が震える。
《——情動核への直接侵蝕、進行中
対象Aの感情波形——平坦化》
ラグナ残滓の声は淡々としている。
《——怒り:低下
喜び:低下
悲しみ:低下
羨望:ゼロ
希望:低下
保護衝動:低下》
カケルの瞳が、
ゆっくりと焦点を失う。
「……ま……るな……」
「カケル!? 今なんて——!」
「……近寄るな……ルシアナ……」
「え……?」
カケルは、まるで自分の声を聞いていないように言った。
「……守れ……ない……から……」
その瞬間、ルシアナの胸が締めつけられた。
(違う……違うわカケル……!
あなたはそんな弱音……絶対に言わない人なのに……!)
目の奥が熱くなる。
◇
すると、ラグナ残滓の声が響いた。
《——対象Aの“過去”を抽出》
《——防衛機構の弱点へアクセス》
「っ……!」
空間が揺らぎ、
カケルの足元に“黒い波紋”が広がった。
そこから浮かび上がったのは——
日本の会社のフロア。
「……う……そ……だろ……」
カケルは顔を歪めた。
無機質な蛍光灯の光。
冷たいデスク。
深夜の静寂。
パソコンのフリーズ音。
そして——
上司の怒号。
もう二度と聞きたくなかった声。
《お前は“感情に流される”からミスをするんだよ》
《考えるな、感じるな。ただ働け》
《お前に期待なんてしてない》
カケルの肩が震えた。
「……やめろ……
やめろって言ってんだろ……!」
《——対象A
恐怖の中核パターン抽出
“自己否定”を最大化します》
「……ぁ……あ……」
カケルの足元の光が薄れ、
膝が落ちる。
「やめて!!
カケルを……返して……!!」
ルシアナは白壁を殴った。
何度も、何度も。
「どうして……
どうして神なのに……
あなたを守れないの……!!」
涙が頬をつたう。
(お願い……
お願いだから……
カケル……戻ってきて……!)
◇
その時。
遠く離れた地上——前借亭の奥の部屋で。
ミレイユが、突然頭を押さえた。
「……あっ……!」
ボビンが彼女の肩を支える。
「ミレイユさん、大丈夫ですか!?」
「……カケル……
カケルが……!」
ミレイユの瞳が見開かれる。
「“心を壊されかけてる”……!!」
グレンが椅子を蹴って立ち上がった。
「行くぞ!!
どこだ!? どうやって行く!?」
フィンが震える声で言う。
「神界……
神界に……向かわないと……!」
ミレイユは涙目で叫んだ。
「カケルが——
ひとりで戦ってる!!」
ミュコも不安げに鳴く。
「ピュイッ……!!」
◇
一方、基幹層。
カケルは片膝をつき、
視界が揺れていた。
怒りも悲しみももう薄い。
(やめろ……
俺から……全部……奪うな……
俺の……“感じる力”を……)
《——削減進行度、64%》
ラグナ残滓の声に、ルシアナが叫ぶ。
「やめてっ!!!」
彼女はついに白壁をすり抜けるため、
“神性の殻”を破壊しようとした。
(カケル……
あなたが……あなたの“感情”を……
失うなんて……)
「そんな未来……
絶対に許さない……!!」
白壁が微かに揺れた。
その揺らぎは、
ルシアナが一歩“神ではなく人として”近づいた証。
だが——
ラグナ残滓は冷たく言い放った。
《——抵抗は非合理
情動核——停止まで残り36%》
「カケル!!!!!」
ルシアナの叫びが、
白い空間に響き渡った。
神であるルシアナが弾かれ、人間であるカケルだけが削られていく。
無力感に打ちひしがれるルシアナのシーンは辛いですが、希望はまだあります。
地上の仲間たちが動き出しました!
次回、お待たせしました、あのメンバーが……




