第75話 カケル、問いを突きつける
鐘楼の中に残る黒い霧が晴れ、
壊れた感情吸収装置の残骸が陽に照らされて光っていた。
「……全部壊したな」
グレンが剣を肩に担ぎ、荒い息をつく。
ミレイユの測定器の針も落ち着き、町から“薄さ”は消えつつあった。
「でも、これで終わりじゃないわ」
ルシアナが低く言った。
その言葉に呼応するように――
床に残った影が膨れ上がり、人の形を結ぶ。
白い仮面。
冷律会の使者――スルヴァ。
「感情吸収装置を破壊したか。
やはり君は“危険指定”のままだ」
「どうでもいい。今は――」
カケルは一歩踏み出した。
「聞きたいことがある」
「……ラグナの件だな?」
カケルは頷いた。
◇
「俺は、前借スキルでラグナを倒した時、
“140億ルーメ”の負債を背負った」
ボビンの肩がびくりと揺れた。
「でもラグナは、本来“人々から感情エネルギーを奪う存在”だった。
戦いを通して、破壊を通して、
世界中の怒りや恐怖や悲しみを“収穫するはずだった”」
カケルはスルヴァをにらみ据える。
「だったら――
俺の負債になった“本来発生するはずだった感情”と、
ラグナが奪うはずだった“収穫量”は、
どこかで相殺されてもいいんじゃねえのか?」
鐘楼を沈黙が包む。
やがてスルヴァは口を開く。
「……いいだろう。答えてやる」
◇
「まず、君が背負った“140億ルーメ”だが――」
スルヴァが指を鳴らす。
光の図が空間に現れ、人々の胸から膨大な情動が溢れる幻想が描かれる。
「それは“ラグナを正攻法で討伐した際に発生するはずだった”
世界中の人間の怒り・悲しみ・歓喜・安堵。
その本来の情動が、前借によって“発生確定扱い”となり、
帳簿へ先に流れ込んだ負債だ。」
「本来はこれから発生するはずだったのに、
俺が因果をねじ曲げたせいで先にカウントされた……と」
「その通りだ」
◇
「対して――」
スルヴァはもう一つの光を描く。
小さな光の粒、“情動の芽”。
「ラグナが本来“収穫として奪うはずだった感情”は、
まだ誰にも感じられていない‘情動の芽’だ。
怒る前、悲しむ前、喜ぶ前。
ただの“未来の可能性”にすぎない。」
「……未発生ってことか」
「そうだ。
未発生の情動は帳簿に“0”として扱われる。
よって、君の負債と相殺は一切成立しない。」
カケルの表情がかすかに揺れた。
◇
「さらに言えば――」
スルヴァは指を軽く振る。
「我々急進派の収穫方式は、
‘情動の芽’を97〜99%奪い、
残りの1〜3%だけが人間の感情として芽生えるにすぎない。」
「だから……町のみんなの感情が“薄かった”のね……」
ルシアナの声が微かに震えた。
「そして、その1〜3%の中から、
さらに一部を吸い上げる。
それが君の帳簿に“マイナス値”として現れた部分だ」
「じゃあ……相殺されるのは……?」
「‘せいぜい1%程度だ’。
本来発生するはずだった巨大な情動に対して誤差にすらならない。
ゆえに――」
スルヴァははっきりと言った。
「140億ルーメの大半は“純負債”として
そのまま君に残る。」
◇
鐘楼の空気がわずかに揺れた。
カケルは目を閉じ、息を整える。
「……スッキリしたよ」
「ほう?」
「ずっと気にしてた“相殺されない理由”。
お前の説明で全部つながった」
そして、ゆっくり目を開く。
「でもな、スルヴァ」
「なんだ?」
「ひとつ……どうしても言っておきたいことがある」
◇
「俺は……」
カケルは拳を下ろし、視線を落とした。
「前の世界じゃ、
感情なんて持ってたら死ぬような職場で働いてたんだよ」
スルヴァの動きが止まる。
「ブラック企業ってやつだ。
怒鳴られて、理不尽押しつけられて、
何を言っても聞かれなくて……
感じれば感じるほど、心が磨り減っていった」
ルシアナが息を呑む。
「だから俺は――
自分を守るために感情を捨てた。
嬉しいも悔しいも、怒りも悲しみも……
全部感じないようにして生きてたんだ」
ミュコが小さく「ぴゅ……」と鳴いた。
「でも、この世界に来て、
前借亭のみんなと出会って、
バカみたいに笑って、
くだらないことで泣きそうになって――
やっと“感じる”ってことを取り戻したんだ」
そして、スルヴァを見据える。
「なのにお前ら急進派は……
“効率”だの“安定”だの、
昔の会社の社長と同じ理屈で、
また人の感情を削っていく」
拳が震えた。
「俺が前の世界で奪われてたものは……
他ならない“感情”だった。
そして皮肉なことに、この世界でも同じ理屈で奪われてた」
スルヴァの仮面の奥で、空気が揺れた。
「だから言うんだよ」
カケルはまっすぐ言い放つ。
「俺は……“感じる”ってことを奪う奴が許せねぇだけだ。」
「お前ら冷律会とは、絶対に敵対する。」
◇
スルヴァはしばし沈黙し――
仮面の奥で笑ったように見えた。
「……面白いな、カケル。
やはり君は、神界にとって“異物”だ」
「そりゃどうも」
「ならば――
次は神界で決着をつけよう」
影が揺れ、スルヴァの姿は闇に沈んだ。
「調律会と冷律会。
感情を守る者と、管理し尽くす者。
神界で君がどちらに立つのか――
見せてもらう」
◇
静寂の中、ルシアナがそっと近づく。
「カケル……
ありがとう。
あなたの言葉……とても嬉しかった」
「別に格好つけたんじゃねぇよ。
ただ……二度と、
俺みたいに感情を奪われる奴を見たくないだけだ」
「ぴゅいっ!(まけない!)」
ミュコが胸を張った。
「行くわよ、カケル」
「おう。全部決着つけようぜ」
鐘楼の外で太陽が沈む。
光の残滓が赤く揺れ、
新たな戦い――神界編の幕開けを告げていた。
負債が相殺されない理由、なんとなく理不尽ですが「システム的な理屈」としては通ってしまいました。
でも、カケルの怒りはそこではありません。
「感じることを奪う奴は許さない」。
彼の原点にかかわる叫びでした。
次回、いよいよ舞台は神界へ!
調律会の大物が登場します。
引き続き、応援よろしくお願いいたします!




