第72話 感情ドロボウを突き止めろ!
昼下がりの《前借亭》――のはずが、その空気は妙に重かった。
「……まただ」
カケルはカウンターの隅で、浮かび上がった光のウィンドウをにらんだ。
感情出納帳の“減少ログ”が、さっきから数秒おきに表示され続けている。
【感情:-5ルーメ】
【感情:-12ルーメ】
【感情:-8ルーメ】
「いや、待て……俺、今なにもしてねぇよな……?」
ログは、まるで水道の蛇口が壊れたようにポタポタ流れていく。
「……カケル、それ見せて」
ルシアナがカウンター越しに覗き込む。
幾度も見てきた帳簿だが、この動きには彼女も眉をひそめた。
「あなたの動きと連動してない……完全に外部からの“引き抜き”よ」
「え……じゃあ、俺関係ないの?」
「当たり前でしょう。あなたが今ここに座ってるのに、連動するわけないじゃない」
「いや俺悪くなくね?」
「今回は本当に悪くないわよ」
そんな会話をしている間にも、ログは止まらない。
【感情:-21ルーメ】
【感情:-17ルーメ】
「減るスピード……上がってる……」
ルシアナの声が低くなる。
そして彼女は、帳簿の下部に新しく浮かんだ小さな白いアイコンに気づく。
「……“追跡モード”? こんなの、今まで……」
「押していいのか?」
「迷ってる暇はないわ。押す!」
カケルが指を伸ばし、アイコンをタップした。
ウィンドウが切り替わる。
感情の減少ログの横に、座標が走り書きのように浮かんだ。
→【座標:リベリス南西区・裏路地:結界反応小】
→【座標:リベリス中心街・広場付近:感情揮発】
「……町の中だと……?」
「行くわよ、カケル!」
「お、おう!」
「ピュイ(連れて行って)」
二人と1匹は飛び出した。
◇
広場の裏路地は、いつもの雑踏とは違い静まり返っていた。
「ここだ……座標はこの壁の裏」
ルシアナの指差す先――
古びた倉庫の影に、妙な光が脈打っていた。
灰色の結晶に、黒い管が絡みついている。
先端の小さな口が、空気をゆっくり吸い込むたび――
カケルの帳簿が震えた。
【感情:-9ルーメ】
「……うわ、これ……本当に吸ってるぞ……」
「神界製の……“感情直接採取器”。急進派のものよ」
「こんなもん町ん中に置くなよ……!」
その瞬間。
店の向こう側から、誰かの声がふらついた。
「……あれ……なんだっけ……私……何してたんだ……?」
通行人の女性が足を止め、虚ろな目で辺りを見渡す。
瞳は色を失い、焦点が合っていない。
「っ……この装置の影響よ!」
ルシアナが駆け寄り、魔力で女性を支える。
「感情エネルギーを抜かれすぎて、一時的な混乱状態になってる!」
「これ壊せば戻るのか?」
「ええ! でも触ると――」
言い終える前に、ミュコが「ぴゅいっ!」と叫びながら装置に飛びかかった。
「おいミュコ!?!?」
結晶が振動し、黒い管が暴走する。
――ビシッ!
装置に亀裂が入る。
カケルは咄嗟に飛び込み、ミュコを肩に乗せると足で結晶を蹴り上げた。
――パリン!
灰色の結晶が破裂し、黒い管が煙になって消える。
装置が霧散した瞬間、広場の空気が軽くなった。
「ミュコ、ナイス!」
「ぴゅいっ!」
「……って、この装置……今の蹴り方で壊れる仕様なの……?」
「いや俺悪くなくね?」
その時だった。
倉庫の屋根の上に、“影”が落ちた。
「…………壊されると困るんだがな」
低い声。
ゆっくりと影が立ち上がり、月明かりに輪郭が浮かぶ。
黒衣に、神界式の仮面。
細いシルエットと異様な静けさ。
「っ……神界の……!」
ルシアナの顔が険しくなる。
「ようやく見つけたと思ったら……随分と邪魔をしてくれる」
仮面の男が、冷たい視線を落とす。
「その装置……お前の仕業か?」
カケルの声は自然と低くなった。
「仕業? 違うな。これは“任務”だ。
――我々、急進派である冷律会の。」
「冷律会……」
ルシアナが息を飲む。
「感情の直接採取は、神界全体のためだ。
地上の者たちが必要以上に感情を抱えれば、世界が濁る。
――だから間引く。効率的に。確実にな」
「……だったら尚更許さねぇな」
カケルが一歩前に出た。
「お前、さっきから勝手な理屈並べてるけどよ。
人の感情を勝手に吸って“効率化”って、正気か?」
「感情は資源だ。
お前たち人間は使うだけ使い、溢れさせるだけの存在……」
「だったら、それを“盗む”お前らは、ただの泥棒だ」
仮面の男が一瞬だけ黙り、そして低く笑う。
「泥棒? 違う。
我々は“管理”しているだけだ。
――ラグナも。
――四魄柱も。
同じ理屈で動いていたにすぎない」
空気が凍りつく。
「ラグナが……四魄柱が……?」
「当然だ。
彼らは我らの“理念”をよく理解していた。
君たちが倒したあの存在も、最初から“収穫者”だったのだよ」
「…………っ」
ルシアナの指が震える。
カケルは――静かに、視線を落とした。
「……なるほどな」
短く吐き出した息は、怒りでも叫びでもなかった。
ただ静かな、深い底から湧き上がる声。
「俺は……
前借なんてふざけたもんを使ったせいで、
ずっと世界中から感情を奪っちまったと思って……
必死で返してきたんだよ」
仮面の男は無言で見下ろす。
「でも奪ってたのは――
ラグナで、四魄柱で、
そして“お前ら神界の冷律会”だったってわけか」
風が止まった。
「負債がどうとか、世界のリセットがどうとか……
全部お前らの都合の良い言い訳だったんだな」
カケルは顔を上げる。
怒りでも、激昂でもない。
ただ“許さない”と決めた人間の目だった。
仮面の男がわずかに身じろぎする。
「――ッ!」
「覚悟しとけ。
お前ら“泥棒”を全部ぶっ潰す」
男が手をかざすと、影が揺れた。
「危険指定……納得だ。
だが今日のところは観測のみ……失礼するよ」
影が煙のように揺れ、屋根の上から消えた。
◇
「カケル……」
「悪い。怒鳴り散らすつもりはなかった」
「いいえ……それでいいの。
あなたが怒ってくれて……私は……」
ルシアナの瞳は揺れていた。
「……必ず止めましょう。あの連中を」
「当たり前だろ。
人の感情で遊ぶ奴は全員まとめてぶっ飛ばす」
「ぴゅい!(ぶっとばす!)」
壊れた装置の残骸を踏みつけながら、
カケルは遠ざかる影の方向をにらんだ。
もう逃がさない。
“感情泥棒”を――必ず追い詰める。
ご覧いただきありがとうございます。
平和な日常回かと思いきや、不穏な空気が漂い始めました。
勝手に感情が減っていく……借金持ちのカケルにとって、これほど恐ろしいことはありません。
次回、屋根の上の怪しい影。
ついに敵の正体が判明します!
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