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異世界召喚されたので、『前借スキル』で速攻ラスボスを倒して楽をしようとしたら、理不尽にも“感情負債140億ルーメ”を背負うことになったんだが?  作者: 早野 茂
第4章 沈みゆく《哀》の森と決して沈まない男の感情

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第62話 裏側の歩み――沈まぬ男と沈みゆく柱

 時はカケルが失踪した時に遡る……


 ◇


 世界が沈むとき、

 音は光を忘れ、光は風を忘れ、

 森は“涙の影”だけを残す。

 ここは《哀》の本体領域。

 人の感情の底が肥大化し、世界と接続するときだけ開く、

 静かで、深く、ひどく脆い場所。

 白い霧が淡く揺れ、

 地面は硬質なのに水底のように沈み込む気配を持ち、

 木々は輪郭だけを保ったまま音を失っている。

 その中心で――

 一つの白い影が立っていた。

 哀。

 四柱のひとつにして、悲しみの象徴。

 神でも魔でもない、“世界の感情そのもの”が形を得た存在。

 白い仮面、白い指先、揺らぐ髪、涙を宿すように震える輪郭。

 仮面には、涙を模した雫のような模様が入っている。

 美しさと脆さ、神性と陰影が絡まった存在。

 既に封印は解かれていた。

「……来たな、人よ」

 その声は、

 湖底に落ちた鈴のような冷たさで響いた。

「汝がこの領域に踏み入れし時点で、

 汝の悲しみ、悔恨、沈む感情はすべて――余が受け取る。

 覚悟はあるのだろうな?」

 柱として当然の威厳。

 圧倒的な静謐。

 本来なら、人は恐怖で膝を折る。

 だが――

「悪い、ちょい待ってくれ。ミュコが怯えてるんだわ」

「………………は?」

 哀の白い影が、かすかに揺れた。

 

「ぴゅ……ぴゅい……(こわい……)」

「だよなぁ。柱は怖ぇよな」

 カケルはミュコを庇いながら、

 平然と紙とペンを取り出し、何かを書き始めた。

 この神域に似つかわしくない“カリカリ”という音が響く。

『前借亭のみんなへ。

 森の奥で、昔の俺と繋がるものを見つけた。

 どうしても見過ごせなかった。

 ひとりで追う。

 だが……正直、いやな気配がしている。

 ミュコを連れてきてしまって悪い。

 途中で無理やり帰した。

 しばらく戻れない。

 必ず帰る。

         カケル』

「よし。ミュコ、これ持って。んじゃ次は巻物だな」

 カケルはインベントリから光る巻物を取り出す。

 高位転送魔法の魔法陣が淡く輝き始めた。

「ミュコ、ここで待ってろ。すぐワープだから」

「ぴゅ……!」

 光に包まれ、ミュコは前借亭へ送還された。

「よし、OK」

「……汝……余の前で……

 なぜそのように“日常の雑事”のごとく振る舞える……?

 ここは神の領域なのだぞ……!」

「いや、説明しないと心配するだろ」

「余の理解の範疇を超えている……!」

「それから、昔の上司の声で呼びかけるの止めてくれる?

 鬱陶しいから。」

「ふふふ。

 貴様の記憶の中から、無視できない声で呼びかけをしてやったのだ。

 ここに来られずにはいられなかっただろう」

「はぁ~。

 もういいわ。

 無視もできるから、止めないってんならそれでいいや。

 それじゃ、帰るから」

「いや、ま、待て。

 お前を感情の地獄へ連れて行くまで帰すわけにはいかぬ。」

「ん、地獄ねぇ。

 ま、また封印にひきこまれても困るから、一応ついて行ってやるか」

「そ、それは良かった。

 は!コ、コホン。

 ……では参ろうか」

 哀は“威厳を保とう”としていた。

 しかし、影の揺らぎはすでに乱れている。

 

 哀は必死に心を整え、再び神としての声を生む。

「……よい。

 では《沈歩(ちんほ)》の領域。

 一歩ごとに心が沈み、

 テンポを奪われ、感情が泥の底へ堕ちる――

 柱の力、受けてみよ」

「ちょっと聞くけどさ。

 四魄柱のボスのラグナってさ。

 お前らの感情攻撃って効くの?」

「貴様!ラグナ様を呼び捨てにするとは、何と無礼な!

 ……まぁ、良いだろう。

 どうせこの後に廃人か死者になる身だ。

 その問いに答えてやろう。

 いくら四魄柱とは言え、

 我らを統べるラグナ様に

 我らの攻撃は効かぬ」

「ああ、そうなんだ。

 ラグナ以上の奴には四魄柱の攻撃は効かないんだな。

 そういえば、憤の時もそうだったしな」

「な、何を言っておる、貴様」

 カケルが何事も無かったかのように一歩踏み出す。

 空気が沈み、世界の色が抜け、

 心を冷たく締めつける“沈む波紋”が押し寄せた。

 通常なら心が凹み、恐怖すら生まれる。

 しかし。

「……あー、沈む沈む。沈んでるわー。

 めっちゃ沈んでる。沈みまくってるねぇ」

「汝……沈んでおらぬな?」

「いや、ちゃんと気を遣って“沈んでる”って言ってるだろ」

「沈みとは気遣いではない……!!

 沈むは自発的な現象!!

 人が“努力して沈む”のはおかしい!!」

「ほら、柱に気を使わねぇと悪いかなって。

 封印にひきこもられても困るし」

「余は人から気遣われる存在ではないわーーー!!」

(威厳が……威厳が消える……!!)

 哀は心の中で悲鳴を上げながらも、

 なんとか姿勢を保った。

(……余は柱……威厳は……保てる……

 まだ……大丈夫……)

「つ、次へ行くぞ……!」

(※哀の威厳:残り68%)

 

「では《跡》を抜く。

 汝の悲しみを抽出し、形と成す。

 汝は悲しみを抽出されるたびに、もう一度、その悲しみを味わうのだ。

 何倍にも増幅されてな。

 これを受けて沈まぬ者など――存在せぬ!」

「ほぉ」

 哀が手を振ると、

 カケルの“影”が地へ浮かんだ。

 しかし――

 その跡は妙に肩の高さが違い、首の角度も不自然で、

 どう見ても「雑」。

「……お前、芸術的センスねぇな」

「………………は?」

「何その肩のライン。曲がりすぎだろ。

 首も変な角度。5点だな」

「点数!?!?

 余は芸術家ではない!!

 悲哀の柱である!!」

「いや、見栄え考えた方がよくね?

 これ、他の人が見ることになるんだよな。

 お前の作品として。

 高名な芸術家なら、地面に叩きつけて割るレベルだぜ。

 こんなもの、この世には出せん!とか言ってさ。

 そもそもこの感情攻撃は、

 この跡を見た人間にもダメージを与えるべきだろ。

 なのに、こんなボヤーっとした物見せられても

 誰も恐怖なんて感じないぜ。

 恐怖まんがの巨匠に弟子入りでもしてこいよ」

「えーい!黙らんか!!!

 余の存在意義に“見栄え”を求めるな!!

 それよりも、なぜ沈まんのだ!」

 哀の威厳が40%吹き飛んだ。

 

「……ならば……!

 跡を増やす!!」

 哀は焦りからか、

 怒涛の勢いで跡を抜きまくる。

 立つ跡。

 倒れ跡。

 座り跡。

 呻く跡。

 胸を押さえる跡。

 手を伸ばす跡。

 しかしカケルは――

「20点」

「これ7点」

「これは……3点」

「お、この倒れ方逆に笑える。10点」

「採点基準が謎すぎる!!

 なぜ余が評価されねばならん!!」

「いやさ……これじゃインスタ映えの写真、一枚も撮れねぇだろ?」

「イン……? スタ……?

 バエ……?

 何の神術だそれは!!?」

「いや、映える写真って意味だよ。

 お前の跡は映えてねぇんだよ。

 切り抜きが下手すぎる」

「余はバエ?を追求する存在ではない!!!」

「いや、美的に問題あるだろ」

「ぬぐぁぁぁぁぁ。余の神性が崩れるぅぅぅ!!!」

 哀の威厳は粉々になった。

 

「しょうがねぇな。

 俺がポーズ取ってやるよ。

 いい感じで跡をぬいてみな」

「余が人に指示される立場とな!?!」

 カケルは勝手にポーズをとり始めた。

 座り。「カシャッ」

 寝転び。「カシャッ」

 手を伸ばし。「カシャッ」

 呻き。「カシャッ」

 顔を覆い。「カシャッ」

 膝を抱え。「カシャッ」

 絶望のポーズ。「カシャッ」

 遠い目のポーズ。「カシャッ」

 倒れかけのポーズ。「カシャッ」

「カシャカシャカシャッ!」

 と、口でカメラのシャッター音の真似をしながら。

「何だその音は!?

 何の魔術だそれは!!

 余の精神に響く!!」

「気分だ」

「気分で余の気分を害すなーーー!!!」

 哀はついに地面に手をついた。

 

「……よい……

 ならば……汝の心の深層を見る……!

 人の“本物の悲しみ”は……

 必ず深層に眠っている……!!

 それを影として取り出し、

 汝の悲しみの奴隷として徘徊させる」

「へぇ」

 哀が精神へ触れた瞬間――

 哀の白い影が震えた。

「な……これは……!?

 汝の深層……“空白”だと……!?

 どういう構造だ……!!」

「ああ、それ?

 ブラック企業の地獄を全部放り込んだからな」

「ブラック……?

 何だその世界の災厄の名は……?」

 カケルは語る。


「月400時間労働」

「週7勤務」

「終電逃したら“会社泊まれ”」

「パワハラ上司の怒号が3階まで響く」

「新人の質問に“ググれ”とだけ返す」

「昼休憩10分」

「仮眠室の布団はカビの温床」

「辞めようとすると“甘えるな”」

「休みは“病院行けるだけマシ”」

「退職者はみんな行方不明扱い」

「給料は手取り13万」

「同期が半年で半分いなくなる」

「倒れた先輩の席が翌日には新人で埋まる」

「社長が“家庭より仕事だろ?”と笑う」

「心の休みは存在しない」

「俺が召喚されたのは……働きながらだった」

 哀は……

 本気で後ずさった。

「や……やめよ……

 汝の世界……

 それはもはや……哀ではない……

 呪詛……!!

 魂の構造が歪んでおる……!!」

「いや、この世界来れてラッキーだったわ。

 あっちの地獄全部置いてきたし」

「置いてくる!?

 悲しみの源を“置いてくる”などという理屈……!!

 どうなっておる汝の心は……!!?」

「いや、割と普通じゃね?」

「普通の基準が破壊されてゆくぅぅぅ!!!」

 哀の神性は完全崩壊した。

 

 霧の奥、哀は膝を抱えて震えた。

「……も、もう無理……

 余は……沈める柱……

 悲しみを抱く者……

 なのに……

 汝を沈めるどころか……余の方が沈む……!」

 哀の仮面が外れ、

 涙が水滴となり

 地面へ落ちる。

 哀は女性の姿となった。

「お願いよ……

 誰でもいいから……

 来てちょうだい……

 私を助けて……

 彼を……連れ帰ってよ……

 私、もう持たない……!」

 そのとき――

 外の世界が揺れた。

 救出組が近づいてきたのだ。

 哀は震えながら、霧の向こうを見つめる。

「……来た……来てくれた……

 私を……救ってくれる者が……」

 その期待に震える中――

 救出隊と対面する。

 そしてその後ろの霧の奥から、

 何でもない日常音のような声がする。

「いや、だから俺は悪くなくね?」

 カケルが、

 散歩帰りのような顔で姿を現した。

お読みいただきありがとうございます!

カケル無双(メンタル面)、炸裂回でした。

四魄柱《哀》相手に、インスタ映えを要求し、ブラック企業のトラウマ(呪詛)を叩きつける男。

そりゃ神様も心折れますよね……。

「普通の基準が破壊されてゆく」という哀の悲鳴が聞こえてきそうです。

カケルにとっては「異世界の危機」より「前世の職場」の方がよっぽど地獄だったという皮肉。

次回、現代に戻り、哀編の決着です!

面白かったらぜひ評価・ブクマをお願いします!


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― 新着の感想 ―
哀との掛け合いは、本当に笑った。カケルの無双っぷり、しかも、社畜時代のブラック企業の地獄が呪詛とは…。カケル、本当にやばい状況だったのね。異世界転生して良かったね。シリアス展開かと思いきや、ちゃぶ台返…
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