第6話 訴状とスライム、そして小さな違和感
翌朝。
リベリスのギルドの前には、昨夜の喧噪が嘘のように静けさが戻っていた。
広場にはまだ、踏み荒らされた土と、ミュコが通った後のぬるりとした水跡が残っている。
「……昨日のあれ、夢じゃないんだよな」
「夢だったら、もう少し静かな夢がよかったです」
ルシアナはパン屋でもらった硬いバゲットをかじりながら、肩をすくめた。
隣ではカケルがウィンドウを見上げている。
《現在負債:約146億9235万ルーメ》
《昨日までの返済:765万ルーメ(反映済)》
「ふむ、まぁ順調だな」
「順調って……まだ返済は百億単位ですよ!?」
「千里の道も一歩からって言うだろ。負債も一歩ずつ減らすんだ」
軽口を叩くカケルの肩で、ミュコが“ぷに♪”と鳴いた。
まるで自分も返済の一助になったと誇っているようだ。
「……そういえば、あのスライムって、他の従魔に比べてちょっと光ってません?」
「気のせいだろ。……たぶん」
だが、カケルの目にも確かに見えた。
ミュコの体の奥で、淡い金色の粒がふわりと漂っている。
感情のルーメが、まるで“意志”を宿したように脈打っていた。
◇
その頃、街道を外れた荒野の仮設天幕。
包帯だらけのダリウス・バルドンは、怒りと屈辱で机を叩いていた。
「くそっ、スライムごときに……この私が!」
部下の一人が、びくりと肩を震わせる。
「だ、大丈夫ですか、領主代理様……」
「大丈夫なものか! 服まで溶かされ、笑い者だぞ!」
ダリウスは手元の羊皮紙を広げる。
王都宛ての訴状だった。
件名にはこうある――
『リベリス町における“神話級武器不正使用”および“王領財産簒奪”の疑いについて』
「奴らを告発する。神剣は本来、私が管理すべき物だ。王に訴えれば、町ごと粛清の対象になる」
その目に狂気じみた光が宿る。
従者たちはただ沈黙するしかなかった。
◇
――その頃、リベリス。
「で、結局さ」
ギルドのテラスで、カケルはパンくずをつまみながら言った。
「人間の感情ってのは、俺が“関与した時”にしか、帳簿上に反映されないらしい」
「ええ。それがこの世界の“前借りの理”なんでしょうね」
「となると、直接手を下せない分、“偶然っぽく手を貸す”しかない」
ルシアナが眉をひそめた。
「……まさか、それを理屈で分析してるんですか」
「分析は大事だぞ? 俺の借金は、理屈で減らすタイプだからな」
ルシアナは呆れたようにため息をつく。
「あなた、本当にこの世界の救世主になる気あるんですか?」
「救世主っていうか、返済主だな」
笑いながらパンくずをつまんでいると、ギルドの扉がバタンと開いた。
使いの兵士が血相を変えて飛び込んでくる。
「た、大変です! 領主代理ダリウス様が、王都に訴状を送ったとの報告が!」
「訴状?」
「リベリス町を“神話級武器不正使用の反逆地”として告発したそうです!」
ギルド内がざわめく。
「反逆地って……俺たち、昨日まで平和に暮らしてたのに!」
「領兵が来るのか……」
不安と恐怖が広場に広がっていく。
その時、カケルのウィンドウが光った。
《感情発生:不安・恐怖3,000,000 ルーメ》
ルシアナが蒼白になる。
「多くの人々が迫害されたら、一時的に感情は増すけど、生きる希望を失うわ。
報われない世界になれば、皆感情を捨ててしまう。」
だが、カケルは落ち着いていた。
「いや、違う。これは好機だ」
「は?」
「恐怖ってのは、勇気を引き出す起爆剤だ。つまり――」
カケルがゆっくり立ち上がる。
「“次の偶然”を仕掛けるには、ちょうどいい頃合いだ」
ミュコが“ぷに♪”と鳴き、金の光を放った。
その光が、まるでカケルの瞳の奥へと吸い込まれていく。
ルシアナが息をのむ。
「……あなた、今、何を考えてるの?」
「ん? ちょっとした下準備。持ち物の確認でもしておこう。
偶然ってのは、舞台が整ってこそ映えるんだよ」
彼の視線の先、遠くの空には――
王都からの使者を乗せた黒い飛竜が、リベリスへと向かっていた。
明日も投稿します
王都査察官、セレナ・ヴァレリウスが登場。
尋問されるグレン。どうなる?
お楽しみに。




