第56話 沈む森の入口
リベリス東端――
火山麓の影に伸びる古層の森《ミスルの沈森》は、
昼でも薄闇を湛えていた。
「ここが……沈降波長の入口か」
グレンが剣の柄に手を添えながら、森の境界を見つめた。
森の外と内で、空気が明らかに違う。
境界線を一歩またぐだけで、世界が静まる。
「……色が落ちてる」
フィンの声はかすかに震えていた。
森の内側は、まるで誰かが
“色彩のつまみ”を一段階絞ったかのようだった。
緑は灰味を帯び、光は弱まり、風ですら気配を潜めている。
「《静想領域》と呼ばれる状態ね」
ミレイユが測定器を見つめながら呟く。
「哀が周囲の精神テンポを奪っている。
心も、五感も、ゆっくり沈んでいくわ」
「嫌な森だな……」
アニスが肩の槍を軽く揺らす。
「足が重くなる感じ……あたし、こういうの苦手」
「誰でも苦手ですよこれは」
リュートが弱く笑う。
しかし、その声にも張りがない。
「行くぞ」
グレンが先頭に立ち、森の中へ一歩踏み込んだ。
その瞬間――
音が消えた。
風の音も、枝の揺れも、鳥の声も。
まるで、世界が厚い布で覆われたように。
「……っ!? 耳が……」
「大丈夫。
危険は感じないけど……おかしいわね」
ルシアナは顔の横に手を当てる。
聴覚そのものが“浅く”なったような、不快な感覚。
「これは《静音圏》……哀の前兆よ」
ミレイユが静かに言った。
「私たちの脳が、“外界の刺激を受け取らない”ように抑えられているの。
だから、何も聞こえなくなる」
「危険じゃねぇか!」
ドランが叫ぶが、その声すら鈍く響く。
「音だけじゃないわ」
ルシアナは指先を見た。
「魔力の流れも落ちている。
……体の中の“気力”も削がれていく」
確かに、どこか身体が重い。
呼吸はできるが、深さが半分になったような息苦しさ。
「薄暗いってだけじゃない……」
フィンが呟く。
「森の奥が……かすんで見える……」
視界の先が揺れている。
霧ではない。
境界線が曖昧になり、森の奥行が歪んで見える。
「哀気によって“遠近感”が鈍っているのよ」
ミレイユが説明する。
「距離の感覚が狂うことで、
前に進んでいるのか、同じ場所にいるのか──
判断できなくなる」
「まさに“沈む”って感じだな」
グレンが剣を構え直す。
「ぴゅ……」
フィンの肩に乗るミュコが、身体を震わせた。
「どうしたの……?」
ミュコは震えながら、森の奥へ突き出すように手を伸ばす。
「ぴゅ……ぴゅい……
(……あっち……カケル……)」
「ミュコ……カケルさんの“感情”を感じるの?」
「ぴゅ……ぴゅ……
(……さみしい……)」
その言葉に全員が息をのんだ。
「カケルは……本当に哀の中心に……?」
「反応もその方向よ」
ミレイユが測定板を見て頷く。
「近づけば近づくほど、沈降波長が強くなる。
中心は……間違いなく“哀の領域”」
「行こう」
フィンが歩き出した。
「カケルさんが……
ひとりで沈むわけない。
僕たちが迎えに行くんだ……!」
その言葉に、仲間達は力強く頷いた。
《感情発生:決意2,100,000ルーメ》
沈む森に響くのは、
足音だけ。
風も、虫も、鳥も、
音という音がすべて失われた世界。
リベリスの青空は、遥か後ろに遠ざかっていく。
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色彩も音も失われた「沈む森」。
感覚が削がれていく恐怖の中、カケルを信じて進む仲間たちの絆が光ります。
ミュコが感じる「さみしい」という感情。 これはカケルのものなのか、それとも……?
次回、森のさらなるギミックが救出隊を襲います。
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