第36話 帰還、そして揺らぐ影
憤を討ち倒した翌朝。
村の空気は前日とはまるで別物になっていた。どこか軽く、澄んでいる。
カケルたちは村人に見送られ、静かに山道を歩き始めた。
「……いやぁ。やっと帰れるなぁ」
グレンが気の抜けた声を漏らす。
「寝言みたいな声ね」
ルシアナが肩をすくめる。
「け、けど……ほんとに良かったよね……」
フィンは小さく胸をなでおろした。
ボビンは無言のまま歩いているが、足取りはいつもと変わらない。
平和な帰路。――だが、そのすぐ背後には。
黒い“揺らぎ”が、一行を静かに見つめていた。
陽光とは逆向きに伸びる影。
木々の影とも、地面とも結びつかず、宙に“浮かぶ影”。
風に揺れ、溶け、また形を取り戻す。
監視するかのように、一行の後をつけて――
やがて風が強く吹き込むと、影はにじむように消えた。
カケルが一人立ち止まり、後ろを
誰ひとり、その存在に気づいてはいなかった。
◇
石畳が見えてきたとき、フィンの顔に自然と笑みが戻った。
「わぁ……戻ってきた……!」
「お、ギルドが見えてきたな。まずは報告だ」
カケルが指で示す。
ギルドの扉を開けた瞬間、ノエルがこちらへ駆け寄ってきた。
「皆さん!! 本当に……無事で良かった……!」
ノエルは胸に手を当て、深く息を吐いた。
「ギルド本部から緊急連絡があったんです。
“四魄柱《憤》が復活した可能性ありって……」
「うわ……そんな情報が出ていたのか」
グレンが目を丸くする。
「本部は直ぐに上級冒険者に打診し、
憤退治のチームを手配していたのですが……
皆さんが対応してくださったようで……」
そう言って、ノエルは柔らかく微笑んだ。
「今夜はギルド手配の迎賓宿をご利用ください。
本部の命令です。『英雄待遇で迎えよ』と」
「へぇ……豪勢じゃん」
カケルが肩を竦める。
「僕……そんな大げさなとこ、いいのかな……」
「いいの、フィン。
あんたは堂々と入っていいの。
一番活躍したんだから」
ルシアナが微笑む。
一行はギルドの案内で、その夜を迎賓宿で過ごした。
◇
一方その頃、王都・魔術研究所。
ミレイユの提出した報告書が、研究所の静寂を叩き割った。
「ミレイユ研究員!!
これは……本当に!? 本当に四魄柱《憤》が!?」
「本当よ!! ああもう、信じてよ!!
現地での怒気挙動データ、これ!!」
机に広げられた分厚い資料は、数式と波形のオンパレード。
「こっちは怒気の負極化。
で、これが私が提唱してた“感情因果波動モデル”の……!」
「感情……因果……な、なんですかそれ……」
「前にも説明したでしょ!?
感情の発生点で生じるエネルギー反射よ!!」
「す、すみません……理解が追いつきません……」
「あああああああ!!
なんで! なんで誰も理解してくれないのよぉ!!」
別の研究員が資料を見て青ざめる。
「逆相干渉……!?
怒気同士を衝突させて……消滅……?
えっ……そんなこと、理論上は……」
「できたのよ!! 今回の調査で!!
しかもレイジポットは計算もしてないのに自然に逆相組んでたの!!
どういう構造!? 誰が作ったの!? ねぇ!!?」
「え、えぇぇ……!?」
「こわいこわいこわい……!」
「ミレイユ研究員、落ち着いて!!」
そこにギルド本部の書紀官が飛び込む。
「研究所!
四魄柱《憤》討伐について、
正式な一次資料の提出を急ぎお願いします!」
「だから!!
この報告書が一次資料なの!!
全部書いてあるでしょう!!」
「読めないんです!!!」
「なんで読めないのよぉぉぉ!!」
ついに研究所長が深くため息をつき、
「……ミレイユくん。
悪いが、君の“言語”では他部署に伝わらん。
後日、現地の冒険者たちにも直接聞き取りを行う。
これは決定だ」
「~~~~っっ!!
カケルさん、ぜっっったい逃げるじゃない……!」
「逃げられないよう、日程はこちらで押さえておく」
「…………ふんっ。
もう知らない。私のせいじゃないもん」
(周囲の研究員)
「いや、完全にあなたの――」
「言わないで!! 聞こえない!!」
王都は混乱の渦中にあった。
◇
迎賓宿で一夜を過ごし、
翌朝、一行はようやく“帰ってきた場所”へ足を運んだ。
「ただいまー……」
前借亭の扉を開いた瞬間。
「ぴゅいっっ!!」
白い玉が、弾丸のように飛びついた。
「ぉわっ!? ミュコ!?」
「ぴゅーーーーっ!!(さみしかった!!)」
頭の上でぐりぐりとスリスリ。
「……完全に飼い主ね」
ルシアナが呆れ顔。
「いや、どっちかっていうと支配されてるよ、カケルさん」
フィンがくすっと笑う。
「ぴゅ(そうだ)」
ミュコ、誇らしげ。
店にはスープの香りが漂い、
あの騒がしくも温かい日常が戻っていた。
そしてギルドと王都で憤討伐の報告がなされ、国中が大きな喜びで沸いた。
その感情発生は2,000,000,000(20億)ルーメ。
黒至点への到達からは、少し遠ざかることができたのである。
◇
その夜。
皆が寝静まった頃。
カケルはふと窓の外を見た。
街灯に照らされた石畳――
そこに、ほんの一瞬だけ“黒い揺らぎ”が混じった。
(……またか)
目を凝らすより早く、影は風に溶けて消えた。
「カケル? どうしたの?」
「いや、ちょっと……風が冷たくてね」
「ふーん……」
ルシアナはそれ以上聞かなかった。
だがカケルは確信している。
(四魄柱《憤》は倒した。
それでも“神界の影”の方はまだ続いてる……)
そう思った瞬間、
外からひゅう、と風が鳴った。
――次なる災いの気配を運ぶように。
最後までお読みいただきありがとうございます! これにて【第2章:憤の黒霧編】完結です!
20億ルーメの感情返済を達成しましたが、まだまだ負債は残っています。
そして消えない「影」の存在……。
次なる負債返済の旅は、どんなトラブルが待ち受けているのか?
次回、新章スタート! 引き続き、カケルたちの借金返済ライフにお付き合いいただければ幸いです!
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