第18話 月の姫と、ちいさな買い物
昼の《前借亭》は、焼きたてパンと香草の匂いで満ちていた。
ミュコの「ぴゅい♪」という鼻歌のような鳴き声が、店の奥に陽気に響いている。
その扉がためらいなく開いた。
「こんにちは。今日は“ミリア”として来ました」
上品だが飾り気のない服装の女性――
その正体は“月の名の姫”セリーネ・アルヴェール。
「ミリアさん、いらっしゃい。今日はどうしたの?」
「ミリアとして、ご相談に来ました」
湯気の立つお茶を受け取ると、
ミリアはカウンター越しにふたりへ向き直った。
「――あなた方の店の隣に、孤児院を建てることにしました」
「えっ」
「孤児院?」
ルシアナとカケルが同時に声をあげる。
「例の盗人の親方に囲われていた子どもたちです。
あの子たちは、本当は危険な存在ではありません。
ただ、守られないまま閉じ込められていただけの、普通の子どもたちです」
ミリアは静かに続ける。
「建設が終わるまでは……子どもたちは冒険者ギルドで預かります。
寝泊まりは安全にできますが――
日中は、この《前借亭》で過ごさせたいのです。」
「うちで?」
「はい。理由は二つあります。
一つ、子どもたちに“町の人は怖くない”と知ってほしい。
二つ、町の人にも“普通の子どもたちだ”と実際に触れて感じてほしい。
あなた方の店には人が集まります。
ここなら自然に触れ合いが生まれ、誤解が消えます」
ルシアナはうなずいた。
「確かに……うちなら距離が近いし、すぐ顔見知りになれそうね」
「そして……もう一つ。
この店で、子どもたちに“働く経験”を作ってあげたいのです。
誰かの役に立てるという感覚は、自信になります」
ミリアがほんの少しだけ頼るような目で見つめてくると、
カケルは、考えるより早く口が動いていた。
「よし。
じゃあ、うちの“スタッフ”として手伝ってもらおう。
昼の混む時間、皿運びや水汲みならできるだろうし。
もちろん賃金も払うよ。助かるしね」
「本当ですか? ありがとうございます」
「……勝手に決めて」
「ルシアナ、嫌だった?」
「べつに。悪くないけど……なんか……」
「ぴゅ……(嫉妬……?)」
「違うって言ってるでしょ!」
◇
その足で冒険者ギルドへ向かうと、
保護された子どもたちが布団の上に小さく固まっていた。
その中に、少し年上の少年――フィンがいた。
「こんにちは。買い物に行きますよ」
ミリアが穏やかに声をかけると、
フィンは控えめに手を挙げた。
「……あの、ミリアさん。
ぼくら……迷惑じゃないですか?」
「迷惑なんてことはありません。
あなたたちは町の子どもです」
その言葉に、フィンは胸をなでおろすように息をついた。
そして小さな子の肩にそっと手を置き、庇うように前へ出る。
「……じゃあ、みんなで行きます。
小さい子、途中で疲れちゃうかもしれないので……
ぼくがこの子達の様子を見ながら」
「いい子ねぇ……」とルシアナが小さくつぶやく。
「じゃ、荷物持ちはカケルさんにお願いします」
「はいはい。……って、なんで俺なんだ?」
「自然ではありませんか?」
「……なんか気に食わない」
「ぴゅ……(険悪……?)」
◇
街へ出ると、子どもたちは怯えながらも興味深そうに周囲を見回した。
服屋では、店員がサイズを測る。
フィンはそっと幼い子の背中を押す。
「この子、先に測ってあげてください。
ぼくはあとでいいので」
「もちろんよ」
と店員が笑うと、フィンは少し照れた。
「みんな……新しい服、楽しみにしてたので……」
新しい服を鏡の前で見た子どもたちの目は輝いた。
「これ……ぼくの?」
「そう。似合ってるよ」
「へへ……」
ルシアナが女の子の髪に丁寧にリボンを結ぶと、
女の子は耳まで赤くなって何度も鏡を見た。
《感情発生:喜び10,000 ルーメ》
「とても可愛いですよ」
ミリアが微笑むと、
ルシアナの眉がぴくっと跳ねた。
(……なんかムカつく……なんで?)
◇
靴屋に寄り、文具を買い、寝間着まで揃えたころ――
すれ違う町の人達が子どもたちに気づき始めた。
「あの子たち……」
「ギルドで保護されたっていう……?」
子どもたちは肩を縮めて後ずさる。
その背を、フィンがさっと庇うように前に出る。
「こんにちは……。
あの、小さい子……まだ怖がってるだけで……」
町民の女性は驚き、そして微笑んだ。
「ええ、分かってるわ。
みんな、よくがんばったのね」
フィンはほっとし、子どもたちへ
「大丈夫だよ」と小声で囁いた。
《感情発生:安堵50,000 ルーメ》
◇
前借亭に戻ると、温かいパンの匂いが子どもたちを迎えた。
「明日から、ここで少しずつ手伝ってもらうからね」
「……できるかな」
「大丈夫。俺も最初、皿割ったし」
「それ言う?」
「ぴゅい!」
すると、フィンが控えめに手を挙げた。
「……あの、本当に……ぼくらが、手伝っていいんですか?
不器用なところもあって……邪魔にならないか、心配で……」
カケルは優しく笑った。
「フィン、むしろ期待してる。
みんなの役に立とうとするその気持ちが、もう立派な“仕事”だよ」
フィンは少し驚き、そしてほんのり笑った。
「……はい。
ぼく、ちゃんとみんなの役に立てるようにします」
ミュコが「ぴゅい♪」と鳴き、
子どもたちの心がゆっくりほぐれていく。
《感情発生:決意30,000 ルーメ》
◇
ミリアは店の窓から外を見た。
夕日が落ちていく隣の空き地――
そこに、孤児院が建つ予定だ。
「ここなら……子どもたちは変われます。
この町の人たちとも、自然に繋がれるはず」
「ただの喫茶店だよ?」
「いいえ。
あなた方の店は――人の心がほどける場所です」
ルシアナは少しだけ照れ、ミリアは穏やかに微笑む。
「では明日も、“ミリア”として来ますね」
「え? 来るの?」
「もちろんです」
「……また来るんだ……」
「ぴゅい(これは続くやつだ)」
空き地の上に落ちる夕日が、
新しい未来の影を、静かに照らしていた。
次の話は、フィンとボビンに起こる変化の話。
新コンビ誕生です。
お楽しみに。
※現在、平和的な日常回が続きますが、水面下では新たな敵とのバトルを準備中です。
そして、本日から再び毎日&複数投稿いたします。
本日は、20話まで投稿しますよ。




