第16話 飛び込みの見習い店員
昼の《前借亭》は、焼きたてのパンの匂いと子どもらの笑い声で満ちていた。
その扉が、ためらいがちに静かに開いた。
「すみません……。こちらで、働かせていただけませんか?」
入ってきたのは、上品だが飾り気のない女性。
旅装にしては清潔で、仕草には不思議な品がある。
「働く……?」
ルシアナが目を瞬かせる。
「はい。“人のいる場所”で働いてみたくて。数日でも構いません」
「名前は?」
「ミリアと申します」
少し緊張の残る微笑み。
「いいですよ」
カケルはあっさり答えた。
「か、カケル!? 確認とかいろいろ……!」
「うちはそういう店だろ」
「ぴゅい♪」
ミュコまで賛成して湯気の輪を作る。
「ありがとうございます。がんばります」
ルシアナは(なんか気に入らない)と頬を膨らませた。
◇
この日は子ども無料の日で、孤児たちが列を作っていた。
フィン(十歳)、トマ(七歳)、サラ(五歳)……みな擦り切れた服を着ている。
「子どもの腹が鳴らない町ってのは、いいもんだ」
「今日はまともなこと言うのね」
「偶然だよ」
「また出た、“偶然”」
子どもたちが笑う。
その一方で、列の後ろでフィンたちだけが動けずにいた。
サラは裸足で震えている。
彼らを見た他の子達が言う。
「フィンだ!」「盗みの手下だろ!」「来るなよ!」
フィンは列を離れようとする。
「待て」
カケルの静かな声が落ちた。
「腹が減ってる子がいる時だけ、盗みは起きる。
だったら――堂々と食えばいい」
フィンがはっと顔を上げた。
すると最前の子がパンを半分に割り、
「さっきはゴメン。これ食べろよ。それで自分の分も貰えば良い」と差し出す。
続けて別の子も渡す。
「俺、多めにもらったし、一枚あげる」
自然な流れで、孤児たちの手にパンが集まっていく。
ミリアがサラの頬をそっと拭った。
「おいしいでしょう?」
《感情発生:穏やかな幸福10,000 ルーメ》
「……悪くねぇな」
「数値見るなって言ってるでしょ!」
「経済は心だ」
「黙って!」
笑いが戻ったその時――
「フィィィン!! ここで何してやがる!!」
子供たちを利用して盗品で生活しているゴルドンが現れ、ちびたちが一斉に青ざめる。
「俺のガキに勝手なもん食わせてんじゃねぇ!」
フィンはサラを庇って震える。
カケルはコーヒーを啜り、
指先を軽くはじいた。
「――偶然の小さな突風」
ぽん、と風が生まれ、
ゴルドンの懐に潜り込むように吹きつけ、
紙束がひらひらと空へ舞い上がった。
「……なんだこれは?」
通りがかりの警邏官が拾う。
「盗品の受領書だな」
「ち、違う! ガキが――!」
「嘘だ!」「フィンずっとここにいた!」
「パンもらうのに一緒に並んでたよ!」
子供たちの声が重なる。
さらに突風が吹き、
ゴルドンの上着から花模様の金ブローチが転がり落ちる。
「それ盗難届が出ていた品だな!」
「決まりだな、連行する」
「ま、待ってくれぇえ!!」
手枷の音が響き、ゴルドンは引きずられるように去っていった。
フィンが震える声で言う。
「……俺達、どうなるの……?」
その横に、ミリアがひざまずいた。
「あなたたちはもう、“誰かの道具”じゃありません」
サラの頭を優しく撫でる。
「眠る場所も、食べる場所も、明日を考える時間も――
本来、子どもには全部必要です」
その声音は、最初に店で働きますと言った女性のものとは思えないほど強かった。
ミリアは立ち上がり、深く息を吸う。
「ここで名乗らなかったのは……“町の心”を知りたかったからです」
「え……?」
ルシアナが固まる。
「私は――
リベリスに派遣された臨時領主代理、セリーネ・アルヴェールです」
店中が凍りついた。
「…………は?」
「なんで言わないのよ最初に!!」
「働きたかったので」
「はぁぁぁ!??」
子どもたちが笑い声を上げる。
「今日、あなたたちを見て確信しました。
私はまず、“子どもたちの居場所”を作ります。
夜が怖くない場所。明日を奪われない場所を」
フィンたちの瞳がゆっくり光を取り戻した。
「明日、広場で正式に挨拶します。
そのとき――今日あなたたちから受け取った“この町の心”を、皆に伝えます」
カケルは腕を組んで呟く。
「……やっぱり只者じゃなかったな」
「それ採用したの誰よ!!」
ルシアナが叫ぶ。
ミュコが「ぴゅい♪」と湯気を吹き、
前借亭にまたあたたかな空気が満ちた。
次の話は、新領主代理の話です。
年末年始(12/28~1/3)は毎日投稿しますよ~
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