第15話 静けさの中の巨人
昼下がりの《前借亭》は、珍しく穏やかだった。
昨日の騒ぎが町中に広まり、好奇心の客がひと通り訪れ終えたのだ。
カウンターでは、カケルがコーヒーを淹れ、
レジ横では、ミュコが焼き上がったパンに「ふんわり仕上げ蒸気」をかけている。
「ミュコ、その温度、完璧だ」
「ぴゅい♪」
ルシアナが帳簿を見ながら微笑む。
「売り上げ、昨日より二割増し。爆発と熱線の宣伝効果は抜群ね」
「平和的に人気が出る日は来るのかねぇ」
「あなたが“平和的”という言葉を使うときは、ろくなことがないのよ」
◇
――同じ頃、ギルド支部では別の“静けさ”が流れていた。
《ブライトソード団》の三人が机を挟んで座っている。
彼らの前には支部長とノエル。
リーダーが芝居がかった声で言った。
「《前借亭》の店主が奇術まがいの攻撃を行い、我々は被害を受けた――」
「虚偽の報告ですね」
ノエルの声は静かで、透明だった。
書類を見下ろすその瞳に、一切の動揺はない。
「私はその場にいました。あなた方が他の客を侮辱し、剣比べを挑んだ。店主は争いを防ぐために行動し、あなた方が勝手に取り乱しただけです」
「なっ……! 俺たちは被害者だ!」
「そうですね。被害者――自分の軽率さの、です」
リーダーが椅子を蹴って立ち上がる。
「おい、たかが受付嬢が。勤務中に男とデートしてる奴なんかに――!」
「黙りなさい」
支部長の声が鋭く響いた。
ノエルは一歩も引かず、淡々と報告を続ける。
「店内では多数の証言も得ています。
あなた方の行動はギルド規約第八条“公序の乱し”に抵触します。
今後、依頼先や同僚からの信用に影響が出る可能性が高いです」
「そ、そんな……!」
支部長が深く頷く。
「ノエルの報告に異議なし。――ブライトソード団、反省が足りん。
虚偽報告は重い。ギルドの信用を何だと思っている?」
リーダーは口を開きかけたが、支部長が先に続けた。
「それに、プライベートの時間に職員が食事を取るのは何も問題ではない。
昼休み中に知人と食事をして何が悪い?」
「……っ!」
「少しは謙虚になれ。
今回の件は“軽率”として報告書に記す。
次回のランク審査の際、参考にさせてもらう」
三人の顔が真っ青になった。
ノエルは一言だけ静かに添える。
「ギルドは、公正な記録のもとに信頼を築きます。それだけです」
支部長が軽く頷く。
「……それでいい」
ブライトソード団は頭を下げるしかなかった。
扉が閉まった後、職員室には静かな拍手が広がった。
ノエルは小さく息を吐き、デスクの端に手を置いた。
(冷静でいられた……次も、こうありたい)
◇
――その頃の《前借亭》。
《感情発生:公正さ・意志300,000 ルーメ》
《対象:ノエル・スレンティア》
「どうやら、ギルドでノエルが頑張ってくれてるみたいだ」
とカケルがニヤリと笑う。
「本来の感情が発生しているようね」
とルシアナも微笑む。
その時、扉が開き、ボビンが静かに入ってきた。
背の荷を下ろすと、床が軽くきしんだ。
「こんにちは」
「おう。肩は無事か?」
「はい。荷を下ろすと、軽すぎて逆に不安になります」
「職業病だな」
ルシアナが荷の上に目をやる。
「それ……ブライトソード団の剣ね?」
「はい。裏口の隅に落ちてました。
どうやら騒動の置き土産らしい。
持ち主が来たら返してやってください」
ルシアナは呆れ笑いを浮かべた。
「律儀ね」
「落ちていた物は持ち主に返す。それだけです」
その言葉に、カケルは小さく笑う。
「……筋が通ってるな」
ミュコが「ぴゅ!」と鳴き、ボビンの足元で丸くなった。
昼の客が減り始めた頃、外から悲鳴が上がった。
「ひゃっ……! た、助けて!」
見ると、通りの坂を果物を積んだ荷車が転がってくる。
留め金が外れたらしい。老婦人が必死に後を追っていた。
「カケル!」
「分かってる。……が、大丈夫さ」
その瞬間、ボビンが飛び出した。
石畳を三歩で駆け下り、荷車の前へ滑り込む。
右腕一本で荷台の前端を掴み、腰を沈めて衝撃を吸収。
きしむ音とともに、車輪が止まる。
その反動で、荷車の中の木箱から、リンゴがいくつか落下。
それをボビンは上半身を広げ、右側の胸で受け止めた。
追いかけてきた老婦人が車輪の留め金を嵌める。
ボビンはリンゴをもとの箱の中にそっと戻した。
辺りが静まり返る。
「……ふぅ。危ない坂ですね」
老婦人は呆然としながら涙をこぼした。
「あなた……怪我は?」
「いえ、どこも。果物が無事なら、それで十分です」
見ていた通行人がどよめく。
「腕一本で止めたぞ……!」
「しかも人を庇いながらだ……!」
見ると、荷車を抑えた手と反対の腕に少年を抱えていた。
暴走する荷車の前で立ち尽くしていた少年を先に左手で保護し、
右手で荷車を制御してみせたのだった。
少年はあまりの驚きに声も出せずに抱えられたままだった。
ルシアナは息を呑み、カケルは頷いた。
「見ただけで分かるさ。あの筋肉は本物だ」
ボビンは照れくさそうに首の後ろを掻いた。
「すみません、騒がせました。荷車は大丈夫かな……」
「いえ、助かりました!」
老婦人が泣き笑いしながら頭を下げる。
少年はボビンに丁寧に地面に下してもらい、笑顔でお礼をして走り去っていった。
その笑顔に、ボビンも少しだけ微笑んだ。
静まり返った通りに、淡い光がゆらめく。
《感情発生:驚愕・深い感謝110,000 ルーメ》
カケルの視界に淡いウィンドウが浮かぶ。
「……すげぇな。偶然でも奇跡でもない。あれは“人の本能”だ」
ルシアナが静かに頷く。
「ええ。本能って、時々、奇跡より強いのね」
ミュコが「ぴゅ♪」と鳴き、ボビンを包むように温かな蒸気を吹きかけた。
ボビンはお礼に貰ったリンゴを店で使ってくれとカケルに渡した。
「じゃぁ、これでリンゴパイでも焼いてやる」
「そんな、悪いですよ」
「じゃあこうしよう。時々でいい、この店を手伝ってくれないか? 力仕事が得意なら、助かる」
ボビンは一瞬驚き、それから穏やかに頷いた。
「……はい。ぜひ」
ルシアナが笑う。
「あなた、本当に“変わった人”ばかり集めるわね」
「いい拾い物は、だいたい変人だ」
ミュコが両端をぱちぱちと鳴らし、拍手のまねをした。
「ぴゅい♪」
「新しいスタッフにご満悦だな」
午後の光が差し、リンゴの赤が宝石のように輝く。
カウンターの奥では、ミュコがパイ生地にふんわりと蒸気を纏わせていた。
静けさの中に、確かな絆の芽が生まれようとしていた。
次の話は、飛び込みで見習いの店員さんが来たり、な話です。
お楽しみに。
※現在、平和的な日常回が続きますが、水面下では新たな敵とのバトルを準備中です。
年末に向けて、その動きの中で第1章が終わり、
来年より新たな敵との闘いに向けた第2章が始まります。
楽しんで頂けましたら幸いです。
また、平行してもう一つの連載を開始しました。
「魔法使いが束になっても、俺の詠唱「カバディ」は止められない」
https://ncode.syosetu.com/n8966lm/
もよろしければ、こちらもお読み頂けましたら幸いです。




