第11話 前借亭(まえがりてい)、開業す――偶然の出会いが風を運ぶ
リベリスの空は、やわらかな青に染まっていた。
町は笑いに包まれている――はずだった。
だが、カケルのウィンドウには冷たい数字が光っている。
《現在負債:約147億219万ルーメ》
《昨日の返済:0 (利息未反映)》
「……やっぱり減らないな」
「町の人たちは笑ってるのに」
「世界を回すには、もう一段深い感情が必要だってことだろ」
「じゃあ、どうやって?」
「……人を人に戻すんだよ」
カケルは呟き、視線を町の中心へ向けた。
広場の端――ギルドの外で、英雄グレンがぼんやりとベンチに座っていた。
人々が通るたびに、誰もが彼を称える。だが、彼の笑みはどこかぎこちない。
「英雄ってのも、案外孤独な職業らしい」
「……では、その人を“偶然”で助けると?」
「そのつもりだ。――場所も、用意する」
◇
数時間後。
ギルド裏の空き倉庫の前で、カケルが腕を組んでいた。
「ここを店にする」
「え、いきなり!?」
「金は問題ない。金銀財宝は腐るほど有る。
けど、感情は稼げない。
倉庫はギルドの仲介で購入した。
空いていたので喜ばれた。
ついでに飲食店の許可もギルドから得た。
近くに食事ができる店ができると、これも喜ばれた」
「私が知らない間に!」
「とにかく、人が“関われる場”を作るんだ」
カケルは掌をかざした。
光が走り、古びた壁が新しく変わっていく。
木の香りと共に、暖かな風が流れ込んだ。
看板が自動で浮かび上がる。
――《純喫茶“前借亭” こども無料の日・笑顔割引あり》
ルシアナが口を開けたまま固まる。
「……なんですか、その慈善事業っぽい喫茶店!?」
「金の循環じゃなくて、感情の循環を回す店だ」
「え、税務申告とかどうするんですか?」
「そこは“偶然控除”で」
「そんな控除項目ないです!」
ミュコが「ぷに♪」と鳴いてカウンターに飛び乗る。
カケルは笑い、カップを並べた。
「よし、営業開始。目標は一日十万ルーメ返済」
「経営目標の単位おかしくないです!?」
◇
夕方、店の扉が静かに開いた。
入ってきたのは、グレンだった。
鎧を外し、町の青年の顔に戻った姿。
「……ここ、新しくできた店ですか?」
「いらっしゃい。初来店、特別価格“勇気割”で無料だ」
「いや、それもう商売じゃ……」
「いいんだよ。金は回しても感情は増えない」
カウンターに座ったグレンにルシアナが微笑んでカップを差し出す。
「どうぞ。“感情安定ブレンド”です」
「名前が怖いな……」
グレンは苦笑しつつ一口飲み、ふっと肩の力を抜いた。
「……うまい」
「だろ? スライム抽出フィルター式だ。知らんけど」
「やめてくれ、それ以上説明しないで」
ちょうどそのとき、ギルド制服姿のノエルが休憩中に通りかかった。
「あれ、グレンさん?」
「ノエルさん……!」
彼が慌てて立ち上がり、コーヒーをこぼしそうになる。
「こんなところで会うなんて、偶然ですね」
「え、あ、はい。ちょっと……喉が渇いて」
「こんなお店ができるなんて。
直ぐに寄っちゃいました。
カケルさん、私もブレンド一杯」
ノエルはグレンから一つ席を開けてカウンターに座る。
「了解。(恋愛フラグ増量で)」
「(なに混ぜようとしてるんですか!?)」
ルシアナがツッコミを入れる横で、二人はぎこちなく笑い合う。
ほんの一瞬、グレンの顔から“英雄”の仮面が消えた。
――その瞬間、ウィンドウが光を放つ。
《感情発生:恋の予感110,000 ルーメ》
ルシアナが思わず声を上げた。
「すごい……今の一瞬で11万ルーメ……!」
「やっぱりな。恋の力は経済を動かす」
「いや、経済ニュースみたいに言わないでください!」
ノエルは照れくさそうに笑い、グレンは頭をかいた。
「えっと……また来てもいいですか?」
「もちろん。次は“笑顔割”で」
グレンが店を出る。
「ギルドの裏にこんな素敵なお店が出来てうれしいです。
また来ますね」
とノエルも暫く後に店を出ていく。
ルシアナがふと、カケルを見上げる。
「……あなた、ほんとに“偶然”を操ってますね」
「操ってるんじゃない。拾ってるだけだ」
「拾ってる?」
「落ちてる感情を、少し動かすだけ」
ミュコがカウンターで“ぷに♪”と鳴いた。
店内の灯が暖かくともり、窓越しに通りの笑い声が流れ込む。
カケルは湯気越しにその光景を眺め、静かに言った。
「――これで、少しは“人間の町”に戻す準備が出来たな」
「ええ。たぶん今日の笑顔は、本物です」
夕暮れの風が看板を揺らす。
木の文字が柔らかく光り、まるで囁いているようだった。
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次の話は、苦労続きのルシアナに、少し良いことが起こります。
お楽しみに




