第6章 「ジョーカーと共に」
夜の王都は、昼間とはまるで別の顔をしていた。
煌々と灯る街灯の下、整然と並ぶ石畳の通りを、兵士たちの槍の音が規則的に響いている。
その向こうに、白亜の城――キングとクイーンの居城が、黒い夜空にそびえ立っていた。
その屋根の上。
二つの影が月を背に立っていた。
「……おい、何でここに登ったんだよ……」
シアンは腰を抜かしそうになりながら、手すりにしがみついた。
城壁の高さは優に十数メートル。落ちたらただでは済まない。
「登ったんじゃない、“忍び込んだ”んだよ」
ジョーカーは屋根の上でくるりと一回転し、軽やかに着地して見せた。
帽子の鈴が月光を受けてチリンと鳴る。
「スートのルールに縛られていない者だけが通れる“抜け道”ってやつさ。ルールの外側には、いろんな“穴”があるんだよ」
「穴って……そんなもん、普通知らねぇよ」
「だから、“普通”じゃないって話だろ?」
ーーーー
夜風が吹き抜ける。
眼下には、整然と区切られた四つの区画――
ハート、ダイヤ、スペード、クラブ。
それぞれの区画に、厳しく管理された生活がある。まるで巨大な盤面の上に置かれたカードのように。
「なあ、シアン。何が見える?」
ジョーカーが片足を屋根の縁にかけ、月明かりを背にして立つ。
「……盤面だ。きれいに並んだ……カードの山」
「そう、それがこの国の正体さ。美しく整っているように見えるけどな――」
ジョーカーが指を鳴らす。
カツン、という音が夜の空気を裂いた。
その瞬間、遠くのクラブ地区の一角で灯りがすっと消える。
「……歪みがある。よく見ろ」
シアンが目を凝らすと、クラブの建物の影から、黒い影がいくつもぞろぞろと這い出しているのが見えた。
逃げるように移動する人々。
夜中なのに、誰も見つけようとしない。
いや――「見えない」のだ。スートの兵士たちには。
「……ニエンテだ」
「そう。上の連中にとって、存在しないはずの“外側の人間”たちだ。でも現実には、盤面の隙間で生きている。……そして、王国の心臓にも入り込んでる」
ーーーー
ジョーカーは一気に屋根の縁から飛び降りた。
驚くシアンを尻目に、ひらりと裏階段の影へと着地する。
「おい!? 死ぬ気か!」
「死ぬ気なんてないよ。生きる術を知ってるだけさ」
仕方なく、シアンもジョーカーの後を追った。
暗い裏通路は、王城の内部へと続いている。
普通の人間なら兵士に捕まるだろう。
でも――ジョーカーと一緒にいると、不思議なことに、誰の目にも映らないような感覚があった。
「なあ……なんでバレないんだ?」
「“ルールの外”にいると、ルールの内側には感知されないんだよ。見えているのに見えない。知っているのに知らない。
――そういう仕組みになってる」
「仕組み……?」
ーーーー
通路の突き当たりには、分厚い鉄扉があった。
ジョーカーが懐から小さなトランプカードを取り出す。
――ジョーカーの絵柄。
それを鍵穴に差し込むと、不気味な音を立てて錠前が開いた。
「ようこそ。ここが“心臓”の入口だ」
扉の奥に広がっていたのは――
巨大な水晶玉。
いや、それは「選別の儀」で使われていた玉の何百倍もある、脈打つような巨大な球体だった。
青白い光が鼓動のように強弱を繰り返し、床や壁には管のようなものが伸び、王都の各区画へと続いている。
「……なんだ、これ……」
「水晶玉の“本体”さ。スートの選別は全部、ここから行われている。水晶玉に映る階級なんてのは、全部この機械で“決められてる”」
ジョーカーの声には、嘲笑と怒りが混ざっていた。
「選別なんて……本当は、ただの操作……」
「そう。選ばれるのは“運”でも“才能”でもなく、“計算された枠”だ。おまえがニエンテになったのも、偶然じゃない。――必要なカードの枚数が揃ってた。それだけだ」
シアンは拳を握りしめた。
あの日の冷たい玉。あの沈黙。
自分を見ていなかった城の人々。
すべて、この機械のせいだったのか。
「……ふざけんな」
震える声が漏れる。
怒りと、悔しさと、どうしようもない虚しさが混ざった声だった。
「ようやく火がついたな」
ジョーカーは目を細め、薄く笑った。
「この“心臓”を壊せば、すべてのスートが崩壊する。キングもクイーンも、選別も、全部な」
だが、そこへ――
「――誰だ!」
重い声が通路に響いた。
甲冑を着た兵士たちが、松明を掲げてこちらに駆け寄ってくる。
ジャック――王直属の近衛兵。
普通のスペードとは格が違う存在だ。
「チッ、ちょっと早かったか」
ジョーカーが肩をすくめた。
「シアン、立て!」
「……え?」
「ここから先は、“逃げる”か、“戦う”か――選べ」
迫るジャックたちの影。
シアンの心臓が激しく脈打つ。
まだ何者でもなかった少年の胸の奥に、確かな炎が灯った。
「俺は……もう、“選ばれなかったまま”じゃいられない!」
ジョーカーが手を叩くと、トランプカードが舞い上がり、光を放った。
まるで月夜の刃のようにカードが空を裂き、兵士たちの動きを一瞬止める。
シアンは、その隙を逃さず走り出した。
「いいぞ、その顔だ!」
ジョーカーが笑う。
「ようこそ、“外側”の戦場へ!」
夜の城の奥――心臓部で、少年の運命は再び動き出した。
その一歩は、ただの逃亡ではない。
この世界を壊すための、確かな はじまり だった。




