第4章 「外の世界」
翌朝の城下町は、まるで別の世界のように輝いていた。
昨日、スートの選別を受けた子どもたちは新しい衣装を身にまとい、それぞれの階級の家へと向かっていく。
ハートは赤いマントを羽織り、ダイヤは金のピンを胸に。
スペードは練習用の剣を腰に差し、クラブは職人の制服に袖を通す。
――そこには、シアンの居場所はなかった。
「(……みんな、もう俺とは違う世界にいる)」
石畳の上を歩く足音がやけに響く。
昨夜のジョーカーとの出会いが、まだ胸の奥で燻っていた。
「外の世界」「裏側」「ルールをひっくり返すカード」。
その言葉が、耳から離れない。
シアンは知らず知らずのうちに、城下の中心から外れた、人気のない裏路地へと足を踏み入れていた。
昼間だというのにそこは薄暗く、壁には落書きが刻まれ、ゴミと古びた布が散乱している。
人々が“見ないふり”をする場所。
そして――昨夜、ジョーカーと出会った場所でもあった。
ーーーー
「……探してるのかい?」
背後から声がした。
驚いて振り返ると、昨日と同じ姿――黒と赤のまだら模様のマント、鈴の帽子。
ジョーカーが、街灯にもたれかかっていた。
まるで最初から、そこにいたかのように。
「……どうして」
「君が来ると思ってたからさ」
「そんなわけ――」
「あるさ。選ばれなかった者はみんな、一度はここへ来る」
ジョーカーの声は不思議と柔らかかった。
恐ろしいはずなのに、不思議と怖くなかった。
むしろ――導かれているような感覚だった。
「行くか?」
「……どこへ」
「“外”だよ」
ジョーカーはひらりとマントを翻し、路地の奥へと歩き出す。
その背中を、シアンは一歩、また一歩と追いかけていた。
逃げる気は――不思議となかった。
裏路地を抜けると、石畳の道は土に変わり、視界は急に開けた。
町を囲む城壁のさらに下、暗い地下へと続く階段がぽっかりと口を開けている。
普通の市民は知らない――王国の“影”の部分。
「……ここって、何なんだ」
「この国の“忘れられた場所”さ」
ジョーカーが階段を下りながら呟く。
鈴の音が、石壁に反響して遠くまで響いた。
「スートを与えられなかった“ニエンテ”は、ただの落伍者じゃない。上の奴らにとっては、“存在しないことにしたい人間”なんだ」
「存在しない……?」
「だから、こういう場所に押し込められる。――ほら、見えてきた」
階段を降りきった先――そこは、まるで別の世界だった。
薄暗い天井。
石壁に吊されたランタンの光がゆらゆらと揺れ、湿った空気が肌にまとわりつく。
広場のような空間には、ボロ布をまとった人々が身を寄せ合って暮らしていた。
年老いた者も、若い者も、子どもまでいる。
その誰もが、腕にも胸にも“スートの印”を持っていない。
「……ここは……」
「“ニエンテの街”さ。上の連中がなかったことにしている、もうひとつの国」
人々はシアンを見ると、一瞬だけ警戒の色を浮かべた。
けれどジョーカーの姿を認めると、安堵したように目を伏せる。
「おまえ……ここの人間なのか?」
「俺かい?」
ジョーカーはくすりと笑って肩をすくめた。
「違う。俺はここにも属していない。……俺は、“外”のさらに外」
「スートの世界ってのはな、きれいに並べられたカードの山みたいなもんだ。キングとクイーンが上で札を配り、ジャックがその下で守り、スートの連中が下で支える。
……でも、その中にジョーカーは入っていない」
ジョーカーはシアンの目をまっすぐ見つめた。
「ジョーカーは、カードの山をひっくり返すためにある」
「ひっくり返す……?」
「この国の秩序を、だよ」
ジョーカーの声は静かだった。
だがその瞳には、炎のような光が宿っていた。
「おい、新入りか?」
低い声がシアンの背後から聞こえた。
振り返ると、頬に傷を持つ青年がこちらを見ている。
クラブの作業服を着ていたが、胸のスートの印は削り取られていた。
「……ニエンテか?」
「……ああ」
シアンが答えると、青年は少しだけ表情を緩めた。
「ようこそ、忘れられた世界へ」
ジョーカーがゆっくりと歩み寄り、シアンの肩に手を置いた。
「おまえは、ここで選ばれる。上の世界じゃ“何者にもなれなかった”かもしれないが、この“外の世界”では――おまえ自身が選ぶんだ」
シアンは息を呑んだ。
胸の奥で、昨日までの自分と今の自分の境界が――静かに、しかし確実に崩れていくのを感じた。
地上では、祝福の鐘が鳴っている。
地の底では、静かな鼓動が鳴っていた。
この瞬間、シアンはもう「何者にもなれなかった少年」ではなかった。
世界の歪みに足を踏み入れた、“外の存在”だった。
そしてその目の前には――
世界を壊すカード《ジョーカー》が笑っていた。




