第3章 「ジョーカー」
夜の街は、昼の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
選別の儀式が終わったその夜、城下町ではあちこちで祝宴の音が響いている。
新たなスートを得た者たちの歓声と笑い声が、遠くから漏れ聞こえる。
シアンはその音を聞きたくなかった。
だから、人通りのない裏路地を選んで歩いていた。石畳の上には月の光が斑に落ち、空気は冷たく澄んでいる。
靴音だけがコツコツと響いた。
「(どこにも居場所がない)」
胸の奥で何度も同じ言葉がこだまする。
家にも帰れない。仲間の顔も見たくない。
何も持たない「ニエンテ」は、この国にとって存在しない者も同然だった。
声を上げて泣くことすら、許されない気がした。
その時ーー
「こんな夜に、そんな顔で歩いていると、運命に食われるぞ」
――声がした。
びくりと肩が跳ねる。
路地の先、黒い影がひとつ、街灯の下に立っていた。
細身の体に、赤と黒のまだら模様のマント。
顔の上半分を白い仮面で隠し、帽子には小さな鈴が揺れている。
光を受けてチリリと鳴った。
「……誰だ」
「誰だろうねぇ。少なくとも、あんたの仲間じゃないよ」
男はゆっくりと歩み寄ってくる。
その仕草は、まるで踊るように滑らかだった。
笑っているのか、怒っているのかもわからない。
不気味で――なのに、目が離せなかった。
「……まさか」
噂は聞いたことがある。
“ジョーカー”。
どのスートにも属さない、忌むべき存在。
子どもの頃、大人たちは夜の寝物語にこう言った。
――「ジョーカーに出会ったら、運命を狂わされるぞ」と。
「おや、いい反応だ。知ってるのか、俺のこと」
「……ジョーカー」
「ピンポーン、正解!」
男は楽しそうに指を鳴らした。
鈴がチリンと鳴る。
その音が夜の静けさを切り裂いた。
「おまえ……どうして俺の前に」
「“俺が出てきた”んじゃない、“あんたが来た”んだよ。夜に、裏路地で、そんな顔で歩いてる。
――そういう奴の前に、俺は現れるんだ」
シアンは息を呑んだ。
まるで心の奥を覗かれているようだった。
「……俺は何も持ってない」
「知ってるさ。“ニエンテ”だろ?」
その言葉に、心臓を掴まれたような感覚が走った。
誰も、その言葉を口にしなかったのに。
彼だけは、当然のように言った。
「泣いてもいいし、怒ってもいい。でもな――」
ジョーカーは帽子を傾けて目を細めた。
「“ニエンテ”ってのは、ゼロじゃない。“外”ってことさ」
「……外?」
「みんな“スート”の中で生きてる。ハートだのダイヤだのスペードだの。でもあんたは違う。“その外側”に立ってる。だから――見えるはずだろ、この世界の歪みが」
「歪み……?」
「そう。これはゲームだ。ルールは“上”が決める。でも、ジョーカーは――」
口元が、ゆっくりと笑みに歪む。
「ルールの外から、すべてをひっくり返すカードだ」
シアンは首を横に振った。
「ふざけるな……俺は、そんなこと――」
「したくない? それとも、怖いか?」
ジョーカーの声は柔らかく、それでいて心に突き刺さるようだった。
「“何も持たない”あんたには、失うものがない。だから、選ばれた奴らより、ずっと自由だ」
その言葉に、胸の奥が少しだけ震えた。
恐怖と、ほんの少しの――希望に似た何かが、入り混じっていた。
「……俺は、ただ……選ばれたかっただけだ」
「だろうな。でもな、選ばれるってことは、“縛られる”ってことでもある」
ジョーカーは空を見上げた。
夜空には、王城の塔の光がきらめいている。
それはまるで、誰かが決めたルールを象徴する光だった。
「なあ、シアン。世界の裏側、見てみたいか?」
「……世界の、裏側……?」
「この王国の“本当の姿”だよ。スートがすべてを決めるこの世界が、どう作られてるのか。……そして、なぜ“ジョーカー”が存在するのか」
ジョーカーは一歩踏み出すと、赤いマントを翻した。
「答えは、外にある」
そして、まるで夜そのものに溶け込むように、路地の奥へと消えた。
シアンはその場に立ち尽くした。
頭では「関わってはいけない」と分かっていた。
ジョーカーは“秩序を壊す者”――そう教えられてきたから。
けれど心の奥で、別の声が囁いていた。
「(……知りたい)」
なぜ自分は選ばれなかったのか。
この世界は、本当に“水晶玉”で決められるものなのか。ジョーカーの言葉は、まるで鍵のように心の扉を開けてしまった。
夜風が吹き抜ける。
鈴の音が、もう一度、遠くで鳴った気がした。
第4章の投稿は少し時間をあけますね。反応があれば早めようかと思います。よろしくお願いします。




