第7章「記録の鈴」
黒い結晶は、静かに――だが確実に鼓動していた。
沈黙の心臓が放つ無音は、空間そのものを塗りつぶしていく。
足元の石畳が震えるたび、音の全てが押し潰されるような錯覚に陥った。
ティアは結晶の前に立ちすくんでいた。
目の前の沈黙は、恐怖そのものだった。
それでも――彼女の中で、確かに何かが芽吹いていた。
「(……怖い。でも……このままじゃ、誰も声を出せない)」
ジョーカーは少し離れた場所で沈黙の兵を引きつけながら、帽子の鈴を鳴らし続けていた。
――チリン。
――チリン。
その音だけが、この空間でたったひとつ生き残る命のようだった。
「ティア!」
ジョーカーの声が届く。
「音は奪われても、心は奪われねえ。お前の音で、この塔を刻め!」
ティアの両手は震えていた。
膝も、胸も、声も――全部が怖がっていた。
でも、あの夜の草原を思い出す。
初めてジョーカーの鈴の音を聞いたあの時。
初めて「生きたい」と思った、あの瞬間を。
「……わたしは……ここにいる!」
叫んだ瞬間、ティアの喉から音が溢れた。
それは声というよりも――音そのもの。
鼓動、震え、願い、涙。すべてが混ざり合ったひとつの響きだった。
黒い結晶が、一瞬だけ脈を止めた。
沈黙の兵たちが動きを乱す。
塔の内部を満たしていた沈黙の膜に、細いひびが走った。
ジョーカーの鈴が、それに呼応するように強く鳴った。
――チリン!
鈴の音とティアの音がぶつかり、重なり、混ざり合う。
それは「誰にも決められない音」。
塔が最も嫌う、余白の音だった。
「いいぞ……もっと鳴らせ!」
ジョーカーが叫び、兵士たちの間をすり抜ける。
鈴の音はもう、ただの音ではなかった。
それは記録。
塔に消されかけた余白の記憶そのものだった。
ティアの声が、震えながらも確かに響いていた。
「――あたしは、ここにいる! 消させない!」
その瞬間、黒い結晶に亀裂が走った。
塔の内部を包んでいた沈黙が、まるでガラスが砕けるようにひとひびずつ壊れていく。
「……そうだよな」
ジョーカーは、ひとりごとのように呟いた。
「塔が余白を塗りつぶすなら――余白の音で塔を刻み返すだけだ」
ティアの足元から、柔らかな光が広がった。
それは音と呼応する光――余白の音が世界に刻まれる証。
塔の心臓が、音に記録される瞬間だった。
沈黙の兵たちが一斉に崩れ落ちる。
塔が彼らを保っていた無音の命令が、途切れたのだ。
「……これが、記録の鈴」
ジョーカーは帽子の鈴を指先で押さえ、静かに言った。
「俺の鈴はただ鳴らすだけじゃない。音を残すための、最後の余白だ」
ティアは涙をぬぐいながら、結晶の亀裂を見つめる。
あれはまだ壊れていない。
でも、沈黙は確かに崩れはじめた。
「ジョーカー……これ、壊せる?」
「壊せるさ。塔は盤面だ。余白のカードがあれば、逆転はできる」
鈴の音が再び鳴り響く。
――チリン。
それはもはや、ただの音ではなく宣戦布告だった。




