第6章「沈黙の心臓」
塔の内部は――まるで別世界だった。
扉をくぐった瞬間、空気の温度が一気に下がり、二人の吐く息は白く曇った。
内部は静寂そのもの。だがその沈黙は“空”ではなく、“圧力”だった。
「……寒い」
ティアが小さく震える。
床も壁も真っ白で、どこまでが天井なのかもわからない。
空間そのものが“音を拒絶している”のだ。
足音さえ、吸い込まれるように消えていく。
ジョーカーは、帽子の鈴を軽く鳴らした。
――チリン。
澄んだ音が広がる。
しかし、その音もすぐに何かに飲み込まれるように消えた。
まるでこの空間が、「音」を嫌っているように。
「……感じるか?」
「なにを……?」
「“塔”は、生きてる」
ティアは息を呑む。
「生きてる……?」
「これはただの建物じゃない。塔は世界が“余白”を恐れたときに生まれた、生きた構造体だ。音を喰らって育つ」
ジョーカーはそう言いながら、前へと進んだ。
塔の中はまるで迷路のように入り組んでいた。
どこまでも続く白い廊下、揺らぐような光、音を拒絶する空間。
ティアは不安で足を止めそうになるたび、ジョーカーの背中を見て前へと進んだ。
やがて、巨大な空間が広がった。
中央には――黒い結晶が脈打つように光っている。
塔の心臓。
その周囲を、沈黙の兵たちが数十体取り囲んでいた。
彼らは声を持たず、ただ塔の“意志”を体現する存在。
「……あれが、“沈黙の心臓”」
ジョーカーの声も、ここではやけに小さく聞こえる。
「心臓……?」
「塔はな、沈黙をただの概念じゃなく“力”として持ってる。あの結晶がある限り、この国は音を失い続ける」
ティアは息を詰めて結晶を見つめた。
黒い結晶はゆっくりと鼓動のように光を放ち、塔全体に沈黙を送り出している。
「……こんなのがあるなんて」
「俺が昔見た塔と、同じだ」
ジョーカーは仮面の奥で目を細めた。
「この塔は、余白を消した最初の塔と同じ構造をしてる」
沈黙の兵が動き出す。
彼らは剣を構えるわけでもなく、ただ足を踏み出すだけ。
なのに、踏みしめる音は一切しなかった。
その“無音の歩み”が、逆に心臓を締め付けるような恐怖を呼び起こす。
「ティア。ここからは戦いになる」
「……でも、あたし、なにもできない」
「できるさ。お前の“音”が、ある」
ジョーカーは帽子を少し下げ、目だけで笑った。
「俺が沈黙を引きつける。お前は、心臓を感じろ。……怖がるな。音は生き物だ。生きる奴には、沈黙は勝てない」
次の瞬間、鈴の音が――
沈黙を切り裂いた。
ジョーカーが走り出す。
沈黙の兵たちが一斉に向きを変える。
音を憎む存在が、音を発するジョーカーを“敵”として認識したのだ。
「こっちだ、無声音!」
軽口とともに鈴を鳴らし、兵たちの注意を引きつける。
ティアは震える足を前に進めた。
黒い結晶に近づくにつれ、頭の奥が締めつけられるような感覚に襲われる。
音が消えていく。
自分自身の“鼓動”さえ、塔に奪われていくようだった。
「――いや」
ティアは唇を噛みしめ、目を閉じた。
ジョーカーが教えてくれた。
音は、生き物だ。生きる限り、沈黙には負けない。
胸の奥で、かすかに“鈴の音”が響いた気がした。
いや、違う。
――自分自身の声だ。
「わたしは……ここにいる!」
その瞬間、ティアの喉から音が溢れた。
叫びでも、言葉でもない。
ただ確かに“音”だった。
沈黙の心臓が、一瞬だけ脈動を止める。
兵士たちの動きもわずかに乱れた。
ジョーカーが振り向き、口の端を上げる。
「……そうだ。それが、お前の音だ!」




