第5章「塔の真意」
夜が更けるほど、塔の存在感は増していった。
白い塔はまるで世界の中心のように、沈黙を放射している。
街の人々は夜でも規律正しく動き、誰ひとり笑い声を上げない。
「……気持ち悪い」
ティアが小さな声で呟いた。
その言葉は正しかった。ここには生きた音がない。
塔の沈黙が、まるで街の隅々に染み込んでいるようだった。
「音を奪われた国はな、こんなふうに“従順”になるんだ」
ジョーカーは塔を見上げながら言う。
「音ってのは、生きてる証だ。泣き声も、怒鳴り声も、笑い声も――全部な。塔はそれを消す」
「どうして……そんなことをするの?」
ティアの問いに、ジョーカーは帽子のつばを軽く押さえ、低く笑った。
「“余白”を塗りつぶすためさ」
ティアが顔を上げる。
「余白……」
「昔、この世界には“音の外”があった。誰もが自分の音を持ち、自分で選ぶ世界が。でも、誰かがそれを怖がった。混ざり合う音を恐れて、“秩序”って名前をつけた塔を生み出した」
塔を見つめるジョーカーの瞳は、過去を見ているようだった。
「塔は“余白”を嫌う。曖昧な場所、選ばれなかった音、決められない心。それらを消して、真っ白な盤面にするのがあいつのやり方さ」
ティアの小さな手がぎゅっと握られる。
「じゃあ……あたしは、最初からいらなかったってこと?」
ジョーカーは振り返り、彼女と目を合わせた。
「――違う」
その声には、いつもの軽さはなかった。
帽子の鈴が、ひとりでに小さく鳴る。
「余白があるから、塔は生まれたんじゃない。余白を“恐れたやつら”が塔を生んだんだ。だから、お前が悪いんじゃない」
ティアの瞳に、ほんのわずかに涙が滲む。
「……こわいよ」
「怖くていいさ。俺だって昔、怖かった」
ジョーカーはゆっくりと塔のある中心地へと歩き出した。
ティアもその背を追いかける。
塔の周囲には広場があり、そこには“沈黙の兵”と呼ばれる兵士たちが並んでいた。
彼らは塔の意志を直接受け取り、声を持たない。命令はすべて“音のない声”で伝わる。
「……ここを通るの?」
「通らなきゃ、あの塔の根っこまでは行けない」
ジョーカーは帽子の鈴を鳴らした。
――チリン。
音が響いた瞬間、兵士たちの視線が一斉に動く。
沈黙の国で響く音は、まるで爆弾のような存在だ。
けれど――兵士たちの足が止まった。
「音を鳴らすな」
無声の声が、空気を伝ってくる。
塔の支配に縛られた兵士たちの命令。
ジョーカーはにやりと笑った。
「悪いな。俺は“鳴らす側”なんでね」
再び鈴が鳴る。
その音は、兵士たちの“静寂の命令”を一瞬だけ乱した。
その隙を縫って、ティアとジョーカーは広場を横切る。
塔の根元は冷たく、まるで生き物のようだった。
石造りのはずなのに、近づくだけで背筋が凍る。
「……いやだ」
ティアが震える。
ジョーカーは振り返り、彼女の目をまっすぐに見た。
「ティア。怖いってのは、生きてる証拠だ。怖いままでいい。踏み込め」
ティアは唇を噛み、ジョーカーの後を踏み出した。
塔の根元には、うっすらと浮かぶ文様が刻まれていた。
古い言葉――それは「余白の否定」。
“余白は、存在してはならない”
ジョーカーはその文字を見上げ、帽子の鈴を軽く鳴らした。
「……やっぱりな。あの時と同じだ」
「ジョーカー……あの時って?」
ジョーカーの脳裏に、過去の光景が蘇る。
白い塔。王の声。
「余白など不要だ」と断じられた夜。
「俺は、ここで全部を失ったんだ。名前も、家も、音も……だから、今度は失わせない」
ティアはそんな彼の背を見つめ、初めて気づいた。
――この道化師は、笑っているようで、ずっと闘ってきたのだ。
「ジョーカー……」
「行くぞ。ここからが本番だ」
塔の根元の扉が、低い音を立てて開いた。
冷たい風が二人を包み込み、塔の中へと誘い込む。
塔の奥から響いてきたのは――沈黙。
音がないのに、何かが“鳴っている”感覚だけが、鼓膜を叩いた。
ティアは思わず息を呑む。
ジョーカーは目を細め、低く呟いた。
「……塔の真意、確かめに行こうか」




