第1章 「3日前の空」
城下町の空は、まるで磨かれたガラス玉のように透きとおっていた。朝の光が石畳を照らし、どこからかパンを焼く香ばしい匂いが漂ってくる。
城壁の向こうでは、今日もスートたちが忙しそうに働いている。
赤いマントを翻すハートの治癒師。
金色のバッジを胸につけたダイヤの商人。
剣を背負ったスペードの兵士見習いたち。
そして、城下で黙々と汗を流すクラブの職人たち。
すべては、あの選別の儀式で与えられる“運命”だった。
「なあ、シアン!」
振り向くと、石橋の上に腕を組んで立っているのは幼なじみのレオだった。金色の髪を太陽に照らしながら、いたずらっぽく笑っている。
「おまえさ、どうせスペードになるんだろ? 剣の稽古、誰よりも好きだしな」
「勝手に決めんなよ、レオ。俺だって……ハートとかダイヤになるかもしれないし」
「おまえが商人とか想像できねぇ!」
レオが大笑いし、向こうでパンを売っていた老婆が「静かにしな!」と怒鳴った。その声も、この町では日常の音のひとつだった。
シアンは肩をすくめ、空を見上げた。
あと3日ーー自分の人生が決まる日が来る。
「……でも、楽しみだよね」
ふと、隣で控えめに笑う声がした。
栗色の髪を二つに結んだ少女――ミナが、小さな布袋を胸に抱えている。彼女はレオと同じ幼なじみで、昔からずっと一緒に育ってきた。
「ずっと憧れてたんだ。ハートの癒し手になって、怪我した人を助けるの」
「ミナならきっとなれるさ。優しいし」
「ほんとに……そう思う?」
「当たり前だろ!」レオが胸を叩いた。
「おまえはハート、俺はスペード、でシアンは――」
「勝手に決めるなって言ってるだろ」
三人の笑い声が橋の上に響く。
選別の儀式が怖いなんて、このときの彼らは思ってもいなかった。
ーーーー
「なあ、知ってるか?」
ふいにレオが声を潜めた。
「“ニエンテ”になったやつは、城の外に追い出されるんだって」
空気が一瞬、凍りついた。ミナが不安そうにシアンを見る。シアンは笑って誤魔化そうとした。
「そんなの、昔の話だろ。今は滅多にならないって聞いたぞ」
「滅多にな。……でも、ゼロじゃない」
レオの声は、ほんの少しだけ震えていた。
選別の儀式は“夢”でもあり、“恐怖”でもある。
何者かになる者と、何者にもなれない者を分ける儀式だからだ。
昼下がり。
シアンはひとり、丘の上の大樹の下に座り、剣の練習用の木刀を膝に置いた。風が髪を揺らし、遠くの王城がきらりと光る。
「(俺は……何になるんだろう)」
レオの言葉が胸の奥に残っていた。
“ニエンテ”――その言葉は、石みたいに重く、冷たい。
でもすぐにシアンは頭を振った。
「……なるもんか。俺はスペードになって、立派な剣士になるんだ」
自分に言い聞かせるように、木刀を強く握った。
夕暮れ。
町には赤いランタンが灯り、家々の窓からあたたかな光が漏れていた。人々は、まるでお祭りを待つような顔をしている。3日後の選別の日は、町全体の“運命の日”でもあるからだ。
「おかえり、シアン」
小さな家の扉を開けると、母が笑顔で迎えてくれた。
「遅かったじゃない。練習?」
「うん」
「いい顔してるわ。……きっと、いいスートになる」
母の声は優しかった。でもその奥に、ほんのわずかな“祈り”があった。この国の誰もが、祈るしかない――スートは“選ばれるもの”だから。
シアンはその夜、眠れなかった。窓の外で星が光っている。そのひとつひとつが、まるで水晶玉の光のように見えた。
「(俺は……選ばれるのか?)」
胸の奥で、かすかな不安が形を持ちはじめていた。
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