第16章 「炎のあと」
夜の森に、煙の匂いが残っていた。
焦げた枝の先からまだ薄く白い煙が立ち上り、空は曇り、星はひとつも見えない。
虫の鳴き声もなく、まるで森全体が息をひそめているようだった。
「……痛い」
焚き火の前で、リアが肩を押さえながら呻いた。
傷口に布を巻き、血を止めているが、その顔色は青白い。
ジョーカーが背中を木にもたれ、帽子を目深にかぶっていた。
いつもなら軽口を叩く彼も、今夜ばかりは静かだった。
森の外れ、反逆者たちが集まる隠れ家──粗末な石造りの廃屋の中には、重たい沈黙が流れていた。
「……これで何人、やられた?」
シアンの低い声が、その沈黙を破った。
リアが唇を噛む。
「二十人……いや、もっと。半分近く……戻ってきてない」
焚き火の光に照らされたその顔は、悔しさと恐怖に震えていた。
森の戦いは、王国軍に比べれば圧倒的に小さな戦力差。
キングが現れた時点で、勝ち目などなかった。
それでも、彼らはーー生き残った。
「“外側”にしては、よくやったほうだ」
ジョーカーがぼそりと呟く。
「勝ち負けじゃねえ。“生き延びた”ってことが、今は一番でかい」
シアンは拳を握ったまま、黙っていた。
手の中には、戦いの最中に握り続けていた剣。
自分の血が乾いてこびりつき、鉄の匂いが手に染みついている。
「(俺は……あのとき……)」
森の中で、キングの剣が空気そのものを支配した光景が頭から離れなかった。
立っているだけで全員が膝をつき、反逆者たちは吹き飛ばされ、森が崩れた。
――“あれ”が、王。
「……悔しい」
シアンの声は低く震えていた。
「……あいつの顔が頭から離れない。あんな化け物が、俺たちの“敵”なんだな」
「シアン」
ジョーカーの声が静かに落ちる。
「おまえ、キングに傷をつけた」
「……傷?」
「ほんのちょっとだがな。
あいつはこれまで誰からも触れられたことがねぇ、“盤面そのもの”の存在だ。
それを壊したんだよ、おまえが」
シアンは顔を上げる。
ジョーカーの表情は、いつになく真剣だった。
「だからーーもう“ただのニエンテ”じゃいられねぇ」
リアが苦笑するように呟いた。
「もうとっくに“普通”じゃないでしょ」
ーーーー
「でも、ジョーカー」
リアが少し間を置いてから言った。
「勝てるの? 本当に、あんな奴に」
ジョーカーは帽子を外し、焚き火に投げ込まれた木を見つめた。
火がパチパチと音を立てる。
「勝つ方法なんて、正面からじゃねぇよ」
「……え?」
「アイツは盤面そのものだ。ルールの中じゃ、勝つ確率は低い。
だったらーールールそのものをぶっ壊すしかねぇ」
シアンの胸がドクンと鳴った。
まるで、その言葉が自分の奥に眠る何かを呼び覚ますようだった。
「でも……どうやって?」
リアの声は不安に揺れている。
「“塔”だ」
ジョーカーの声は冷たく、はっきりしていた。
「キングの“根”がある場所。あいつが盤面を操る力の中心。あそこをぶち壊せば、この国のルールは崩壊する」
「塔……」
シアンが呟いた。
頭に浮かぶのは、王城の奥にそびえる巨大な白い塔。
「だが、そこは王国最深部。ジャックの本拠地でもある」
リアの顔に緊張が走る。
「そんなとこ……どうやって……」
ジョーカーはにやりと笑った。
「なぁに、正面から行くなんて言ってねぇよ。
俺たちには“外側”がある。
あいつらが気づけない“抜け道”と、“余白”がな」
「抜け道……」
シアンは少しだけ息を整えた。
思い返せば、ジョーカーは何度も城の内外を自由に動いていた。
スートにとって“見えない”場所を、彼だけが知っている。
「戦うための戦争じゃねぇ。
“ひっくり返す”ための戦争だ」
ジョーカーの目が、焚き火の赤を映して光る。
「盤面を作ったやつを、盤面の外からぶち壊す。
ーーこれが、俺たちのやり方だ」
沈黙が落ちる。
それは絶望ではなく、覚悟の沈黙だった。
リアがゆっくりと肩の包帯を握りしめる。
「やるのね……」
「やるさ」
ジョーカーが立ち上がる。
「この国をぶっ壊すには、おまえたちみたいな“消された奴ら”が必要なんだ」
シアンは剣を見つめ、握る手に力を込めた。
傷だらけの手のひらが痛む。
だが、その痛みは確かに“生きている”証だった。
「……俺も、行く」
「シアン……」
「俺がやらなきゃ、何も変わらない」
ーーーー
その夜、反逆者たちは再び立ち上がった。
傷つき、失い、絶望したその先で──
彼らは初めて“反撃”の計画を立てた。
ジョーカーが夜空を見上げる。
「王国は、今ごろ怒りで狂ってるさ。
でもな……こっちには“狂える余白”がある」
星のない夜空に、冷たい風が吹き抜ける。
その風の先には、巨大な王城の白い塔が聳え立っていた。
「舞台は、まだ終わっちゃいない。
ーーここからが、俺たちの“本番”だ」




