鴨川 惠子
聡司とは、大学時代一緒のゼミでひょんな事がきっかけで付き合うようになった。今でもイケメンだが、当時は聡司の周りに取り巻きの女子が常に4、5人は居るほどの人気者だった。
身長はさほど高くは無いが、手足が長く細身で適度に筋肉質な体型、顔つきは目鼻立ちが整ったハーフっぽい爽やかな二枚目である。自分でも周りを意識していたからか服装も常に決めていて、その辺りのモデルや芸能人よりイケているという噂もあったほどだ。
聡司と親しくなるまでの私は、取り巻き女子の中にも入れず彼を遠巻きから眺めては思いを馳せていた
女の子だった。
そんな私はというと、昔からモテない訳ではないが童顔で、地味で控えめな垢抜けない女子といった感じだ。今でもよく童顔だとは言われるが、もう30歳も超えると昔の様な愛らしさは無い。
体重こそ、さほど変わりはないが、身長が伸びるわけも無く毎日の家事と育児で地味さに磨きがかかったように思う。
そんな天と地ほどの差がある二人が付き合うきっかけになったのが、私がインフルエンザでゼミを休んだ時の事だ。ゼミの事で連絡をくれたのが彼だった。
その時の事は、今でもよく覚えている。熱なのか嬉しさなのか恥ずかしさからなのか、顔から本当に火が出るかと思った事を。声も、インフルエンザで掠れてガサガサになっている声で必死に可愛いらしく話そうとしていた事も、今では遠い昔のように思える。
その事がきっかけで、体調が良くなってからも話をするようになり ゼミ以外でも会うようになった。
その頃の聡司の周りの女子は派手な綺麗め女子が多かった中で、私は浮いていた。
でも、聡司はそれが落ち着くし良いのだと言ってくれた。だけど私は、聡司の目を見て話をするのにかなりの時間がかかった。
瞳が綺麗で白い歯がキラリと光って、笑顔が眩しくて直視すると罰が当たりそうに思ったからだ。
そんな聡司が、酔いつぶれて私の部屋に来た時の事だった。キスから始まるフルコース。
私は、初めてだった。恥ずかしさと怖さでいっぱいだった私を彼は、優しく大事に誘ってくれた。
そして、私に気持ち良さを教えてくれたのも聡司だった。
私はみるみるうちに聡司の事しか考えられなくなっていった。
聡司の瞳、唇、舌、声、香り、身体、思い出すだけで感じてしまう程、私の頭の中は聡司に占領されていった。そうなったのも、私にとっては初めての経験だったからだろう。
そんな関係は卒業する頃まで続いた。私は、てっきり大学を卒業したら聡司と結婚するものだと思っていたのだ。
今考えると、ちゃんと告白された事も、将来の話をした事も無かった。
後で知った話だが、聡司は他の女子とも同じ様に付き合っていたようだ。
その頃の私は、そんな事も知らずに聡司からのプロポーズをひたすら待っていた。
あれは卒業する少し前の事だ。聡司から就職のため大阪へ行くと聞かされた時、てっきりプロポーズされるものだと思っていた私に、最低な言葉を浴びせて去って行ったのだ。
その時の言葉が「これからは、今までのように頻繁にエッチできないな。俺も連絡するけど、エッチしたくなったら連絡して来いよ。時間作って何処かのホテルでエッチしよ。お前の部屋じゃなくて、ホテルでするエッチは燃えるかもな。」と言われたのだ。これだけは、忘れたくても忘れられない。
私は何も言い返す事が出来ず、ただただ茫然と屑男の言葉を聞き流していたのだった。
それは、ショックというより体内に有るもの全てを何かに吸い取られたように、体中の力が抜けてその場に立っているのがやっとの状態で、今流れている言葉の意味さえも体が拒んでいるかの様に思えたのだった。
そこでやっと、私はこれだけの付き合いだった事に気付かされる事になるのだ。
今の私なら言い返していただろうし、こんな屑男だと言う事も もっと早く気付いていただろう。
まだあの頃の私は、純粋で人の悪意や裏切りというものを知らなかったのだから仕方がない。
それに聡司というウイルスに感染していたのだから。
私にはもう一人、同じゼミに私に好意を寄せている男性がいた。
彼の気持ちには気付いていたが、直接告白された事はなかった。それが今の主人鴨川直樹だ。
私と聡司がそういう関係になる前から、直樹とはゼミでグループフィールドワークの時やバイト等で行動を共にする事が多かった。
直樹は聡司と違って、くそ真面目で冴えない少し天然なところがある男性だ。
お世辞にもイケメンとは言えないが、温厚で人の良さがにじみ出ているといった感じだ。
聡司は私とそういう関係になってから、ゼミのグループフィールドワークの時は必ず私と直樹の間に割り込んできた。そして、私達3人はつるむ事が多くなった。
ゼミの後一緒に課題に取り組んだり、飲みに行ったりと。
だが、直樹は私と聡司の関係には気付いていなかった。そう直樹は私しか見ていなかったからだ。
聡司は誰に対しても態度が一緒だったから分からなかったのかもしれない。
今思うと私が聡司を見る目は違っていたと思うのだが、それはその他大勢の女子と同じ様に写っていたのだろうか。
私が聡司の正体に初めて気付いたあの日、直樹を呼び出していた。
私と同じ類の直樹を見て安心したかったからなのかもしれない。直樹は何も聞かず私の横に居てくれた。私も何も話さなかった。それでも、辛い事があったのだという事は分かったのだろう。
いつまでもいつまでも、傍にいて黙って私の頭を撫でていてくれた事を覚えている。
それから程なくして、私は地元の不動産会社に就職が決まった。
直樹は大手の不動産会社に就職し本社のある大阪に勤務する事になり3人は別々の人生を歩み始めたかに思えた。その時は。
1年程経った頃、直樹が出向で子会社の私が勤める地元の不動産会社に勤務する事になったのだ。
直樹に久しぶりに会ったせいか、私も嬉しくて昔話で盛り上がり この頃の私は毎日が楽しかった。
だが昔話をすると、どうしても聡司の事を思い出してしまうのだ。
聡司が屑男だという事は分かっているのに、私の身体はリンクするように反応してしまい、私から聡司に連絡を取ってしまったのだ。これが最初の間違いだった。
また、聡司との関係が始まってしまったのだ。
ある日生理が遅れている事に気付き、思い当たる節があった私は次の日、妊娠検査キッドを使用してみる事にした。結果は陽性だった。
想定外の事だったのでかなり動揺していた事は覚えているが、頭が真っ白で何を考えていたかは記憶にない。ちょうどその時、電話がかかってきたのだ。
話が有るから、今から会いに行ってもいいかという直樹からの電話だった。
夜9時を回っていたと思うが動揺していた私は、誰かに傍にいて欲しくて了承したのだった。
それから10分程経った頃、玄関のチャイムが鳴った。
私が玄関を開けると少しお酒の匂いを漂わせた直樹がそこに立っていた。
私がお酒を飲んでいるかを尋ねると直樹は小さく頷くだけで、黙ったまま部屋にも入ろうとしなかったので中へ入るように私が促したのだと思う。
部屋の中へ入った直樹は突っ立ったまま小さな声でもごもご何かを言っているようだった。
確か、何を言っているのか分からなかった私が聞き返したその時、突然大声でプロポーズを始めたんだったっけ。
プロポーズの内容はこんな感じだったと思う。
先ず遅くに来た事を謝ってから、お酒の勢いを借りないと言えない事だと前置きしておいて「け、惠子ちゃん、ぼ、ぼ、僕とけ、け、結婚してください。」って噛みまくって言ってたっけね。
これには、思わず吹き出してしまったな。
お決まりの台詞なのに、真っ赤になって噛みまくっている直樹に。
本人は至って真剣に言ってくれていたのだろう。真っ赤になって額にじんわり汗が滲んでいたんだよね。それから、思い出したかのように 少し焦り気味にズボンのポケットを弄り、中に潜ませていた指輪ケースを取りだしたんだったよね。
多分言葉と一緒に出すはずだったのがスマートに出来ず、後出しジャンケンのようになっていたように思う。
そしたら急に額からは大粒の汗をダラダラ流しはじめ、指輪ケースも開けず私に手渡したよね。
本当に面白いプロポーズだったな。
でも、それまで直樹をそんな目で見た事が無かったので、私が返事に困っていると顔を覗き込んで直樹が「返事はいいんだ。僕が温めて大事にしてきた気持ちを 真剣さをやっと伝えることができたんだから。迷惑なのも君にそんな気持ちが無いのもわかっている。僕は再開した君と毎日話出来る事が嬉しくて、やっぱり君と居る事が僕は幸せなんだと気付いたんだ。君が何時か僕の気持と同じになった時、その指輪を付けてくれると嬉しいな。でも、それが叶わなくてもいいんだよ。その時は指輪を捨ててくれていいからね。勝手な僕の気持ちを伝えただけだから。重く受け取らないでね。指輪を捨てたとしても君は何も悪くないんだよ。僕が悪いんだ。大学時代は言えなかった自分の気持ちを一度は言っておきたくてね。だから、君が僕に気遣って断る必要は無いんだよ。本当は君と話できるだけで幸せだったのだから、この気持ちは抑えようと思っていたけど抑えきれなかった。ごめんね。こんな僕の話に付き合ってくれてありがとう。スッキリしたよ。ありがとう。君も明日から気まずいよね。でも心配しないで。僕ももうすぐまた本社に戻る事になったんだ。だから、その前に言っておきたくてね。じゃ、帰るね。君も体に気をつけて頑張ってね!」」って言ってくれたんだよね。
スマートでも無いし格好良くも無いけれど直樹らしい温かい気持ちの籠ったプロポーズだったから、未だにたまに思い出しては ひとり笑いする事がある。
きっと、彼のことだから、必死でイメージトレーニングをして機会を伺っていたに違いない。
それに今までの長い間温めてきた私への思いをやっと口にする事が出来たのかと思うと愛おしかった。
いつも私の傍で私だけを見てくれていた。私もその頃は彼と話すのが楽しくていつも彼に癒されていた。それは間違いなかった。ただ、その時はまだ聡司とも離れられなかった。
何より、聡司の子を宿していたのだから。
でも、プロポーズした後直ぐに立ち去ろうとしている直樹を見て、私は今しかないと思ってしまったのだ。
そして、私の体は勝手に直樹の背中に飛びついていた。直樹が驚いて振り向いた瞬間、私は直樹の唇に自らの唇を重ねていたのだ。
直樹は、私の体を優しく抱きしめ小さな瞳を濡らしながら何度も何度も自分で良いのかと確かめていた事を思い出す。
私はその日初めて直樹と結ばれ、大きな身体に包まれ眠る事になるのだ。
聡司以外に肌に触れられるのは初めての事だったが、私はこんなに大切に優しく、優しく触れられた事は無かった。聡司のそれとは違う優しさだった。
聡司と比べるわけでは無いが、聡司と違って手や身体は大きくごつごつしていて強くされると潰されてしまいそうなのに、そんな手で壊れそうなシャボン玉を大切に大切に扱うかのように、優しく触れてきたのだ。
私は、もしかしてこれで聡司を忘れられるかもしれないと思ってしまった。
それと同時にズルい事も考えていたのだ。
今私のお腹にいる、この子を直樹の子として出産してしまおうかと。
元々妊娠しているかもしれないと思った時から、この事を聡司に話す気は無かった。
聡司が私を結婚の対象として見ていない事は分かっていたからだ。妊娠が陽性だったら、後は自分で何とかしていくしか無いと半ば諦めに近い気持ちがあったところに、直樹がプロポーズをしてくれた。
これは、乗っかるしかないと思ってしまったのだ。
その時、学生時代に血液型の話をしていた事を思い出したのだ。二人ともAB型だったという事を。
本当にバレないだろうかと少しは考えた事もあったが、昔から私の言う事を信じて疑わない直樹なら大丈夫だろうと、何の根拠もない事を考えてしまっていたのだ。
今考えると、浅はかだったと思う。
それからというもの、直樹は今まで以上に仕事に精を出し 時間が無くても睡眠を削ってでも私にマメに会いに来ていた。
そして頃合いを見計らって私に子供が出来た事を直樹に伝えると、涙を流して ありがとう、ありがとうと何度も何度も繰り返し喜んでくれた。直樹が喜ぶ度に私の心が重くなっていった事を覚えている。
お腹が目立つ前に早急に式を挙げようという話になったが、私は状況が状況なだけにシンプルに二人だけで挙式をしたいとお願いした。
公に式を挙げるとなると聡司を招待しないわけにはいかないし、私が招待する事を拒んで勘ぐられるのも嫌だったからだ。直樹は私と胎児の身体を気遣って、私の申し出に了承してくれた。
直樹は、仕事の合間を縫って式場の段取りや衣装の段取り等を殆どしてくれたのだ。
直樹と家族になって、子供が生まれるまでの数か月はあっという間に過ぎていった。
出産は予定日より少し遅れたが2800gの元気な女の子の赤ちゃんで、名前を麻耶と名付けた。
直樹はまたも大泣きしていたのを思い出す。
その頃はまだまだ男性の育児休暇を認めてもらうには難しい時代だったので、直樹は上司に頭を下げ無理やり育児休暇を取ってきたと聞いた事がある。
既に育児雑誌を買い揃え、沐浴の仕方等もリサーチ済みだと胸をはって言っていた。
直樹は育児休暇中、家事に育児にと大忙しなのに対して、私には身体を休めるように促した。
その頃の直樹は「子供を産んでくれただけで凄い事なんだから。これからも子育ては有るんだから、今はゆっくり休んでほしいんだ。」と言ってくれたのでよく甘えていたものだ。
麻耶も私が居なくても直樹が居たらおとなしくスヤスヤよく眠ってくれた。
子供が生まれてからというものどっちが母親か分からない程、麻耶の面倒をよく見てくれた。
その頃の私はというと乳が欲しいと麻耶が泣いた時だけ呼ばれる感じだった。
夜泣きもそれなりに有ったと思うが、直樹は自分が直ぐ起きて子供をあやし、ミルクを作って飲ませ本当に私から見ても母親は直樹ではないかと思えるほどだった。眠いはずなのに嫌な顔一つしないで。
そんな直樹を見て何度凄い人だと思ったかわからない。
でもこのままだと直樹が会社に復帰した後、私一人で途方に暮れてしまうのも目に見えて分かっていたので、私も直樹と一緒に育児に参加する事にした。
直樹が会社へ復帰するようになってから私は日中麻耶と二人きりで大丈夫だろうかと不安だったが、世間一般に言う産後うつや、ストレスでヒステリー気味になるという事も無く、無事に乗り越えて来られた。それもこれも、直樹と麻耶のおかげだ。
直樹は仕事が終わったら直ぐ家に帰ってきてくれて、家事に育児にとよく手伝ってくれ、休みの日には自分が家事をして私を休ませてくれた。
麻耶は小さい頃から、ころころとよく笑い 良く寝て病気もあまりしない手の掛からない子だった。
そして何より、親ばかかもしれないが生まれた時から綺麗な顔立ちの子だった。目鼻立ちがくっきりしていて、色白で外人の赤ちゃんと間違えられる事もあったほどだ。
私が産後健診で病院へ行った時にお父さんは外人の方かと聞かれた事があったが、直樹は疑いもせず周りの人に「僕と妻の良いところだけ取って生まれてきてくれたんだよ。」と自慢げに話していたものだ。だから、何処に行くのも麻耶を一緒に連れて行った。
麻耶は今では明るく人懐こく、近所でも評判の愛らしい娘に育ってくれて今年もう9歳になろうとしている。
そうやって、今まで家族3人特に大きな問題も無く仲良く暮らしてきた。
でも私には問題が一つあったのだ。そう聡司の事だ。
結婚を機に私からは連絡を取っていなかったが、聡司は自身の結婚後にまた連絡してくるようになった。私はもう会いたくなかった。会うわけにはいかなかった。直樹や麻耶のためにも…。
直樹は麻耶が生まれて直ぐ、私達の結婚と出産の報告をするためハガキを友人や知人に送っていた。
ある時、何度も再開を拒む私に聡司から 「お前直樹と結婚して娘を出産したんだってな。その娘って、まさか俺の子じゃないよな・・・。」と言われた時私はハッとした事を覚えている。
初めて、聡司にもあのハガキが送られていた事を知ったからだった。考えてみれば当然だ、友人だったのだから。
我に返って私は、直ぐに否定したが、何かを疑っているようだった。
妊娠当時の事をあれこれ探って「俺さ、調べたって良いんだよ。本当に俺の子じゃないなら調べられたって問題ないよな? もし、俺の子だったら 直樹驚くだろうな。別に、俺だってこんな事調べたくないし、それにどっちの子だっていいんだよ。お前さえ、前みたいに会ってくれさえすれば。な。いいだろ。直樹は鈍感だから気付かないよ。前みたいに仲良くしようよ。それに直樹じゃ物足りないだろ。」と言ってきたのだ。これには単純に腹が立った。そして相変わらず、しつこい屑男だとも思ったが、私は直樹や麻耶に知られるくらいならと思い会う事を了承してしまっただ。
それからというもの、後ろめたい気持ちを抱えたまま心の中の直樹と麻耶に謝りながら、月に1度くらいのペースで聡司と密会していた。
そんなある日の事、聡司から「この間、直樹に久しぶりに会ったよ。今度一緒に飲もうという話になったんだけど、飲みはお前の家でもいいよな? だって、あまりにも、子供の事を自慢するものだから 子供の顔見てみたいじゃん。」とふざけた事を言われたのだ。
私は驚いて一瞬フリーズしてしまった。こいつは一体何を考えているんだ。魂胆は何なんだ。
でも私は聡司の機嫌を損ねないように何度も何度も来ないで欲しいと断った。
だが聡司は私の目の前から直樹に電話して「あー今話せる。この間はお疲れした。この間の飲みの話だけど、直樹ん家でもいいよな?子供可愛いんだろ。俺もお前の自慢の子供に会いたいし。俺たち、まだ子供がいないからさー 子供ってものがどんだけ可愛いものか分かんないんだよな。な、いいだろ。一回惠子にも聞いてみてくれよ。ん。分かった。じゃ、返事待ってるわ。」と言ったのだ。
私は聡司を睨みつけて、もうしかたない腹をくくろうと思った。
そして家に来ても久しぶりに再会したふりをするように念をおした。
その日家に帰ると、直樹から先日取引先との商談の際に聡司に会った事を聞かされた。その時に久しぶりに飲みに行こいうと約束したが、仕事が忙しくて忘れていたとの事だった。
それが、今日仕事中に聡司から連絡があって、麻耶にも会いたいし我が家で飲み会をしたいのだが惠子と相談してほしいという話をされたと言ってきた。
もう既に知っているが、渋々承諾するふりをした。
私はそこで直樹に一つ提案した。
なら一緒に奥さんも招待してはどうかと。直樹もその提案に快諾し直ぐに、聡司に連絡したのだった。
私は、奥さんと一緒なら我が家で聡司が私達の関係を匂わす行動はとらないだろうと思ったからだ。
約束の日、昼前に奥さんと一緒に聡司が我が家に訪れた。
私は顔が引きつっていたが、無理やりに笑顔を作り歓迎した。その時麻耶が自室から出て来て二人に愛想よく挨拶したのだ。
その時の聡司の顔が忘れられない。
麻耶を嘗め回す様に見てニヤついていた顔が。
私は内心気が気じゃ無かったが、聡司も特に麻耶に接触する様子も無かったし 麻耶の事を根掘り葉掘り聞く事も無かったので、安堵していた。
それからというもの、頻繁に我が家に夫婦で食事に来たり旅行へ行ったりと家族ぐるみの付き合いが始まってしまった。
それと並行して聡司との密会も相変わらず続いていた。
だが、この状態を保てるなら直樹や麻耶にバレることなく乗り越えられるかもしれないと甘い事を考えていたのだ。
聡司があんな事をするまでは。
我が家は純和風の日本家屋で玄関の叩き部分には天然石が施されており、上がり框も一般家庭よりかなり段差があり広々とした作りの玄関になっている。
それは直樹が拘ったからなのだ。玄関が広いと福が舞い込みやすいとの事だったと思う。
いずれ直樹の両親と同居できるようにと直樹と直樹の両親が建てた家だ。
同居するのは両親が動けなくなってからの事なのだが、もう既に同居する時には、上がり框を一部スロープにリフォームしようという計画も有るようだ。
私は、あんな事があってからというもの居ても立っても居られず、気がついたら我が家の上がり框をワックスで磨いていた。毎日磨いて磨いて磨きたおしたのだ。
普段上がり框には、大きな重厚感のあるマットを引いているのだが、そう聡司が来たあの日の夜はマットを取っておいた。
聡司が来る予定の日の2日前、4月29日私から聡司に電話した。
5月1日の直樹が出張で居ない日の、午後11時頃に家に来るようにと誘ったのだ。
玄関の扉は空けておくからと。
直樹の不在時に家に入れるのは初めての事だった。
今までは、ホテルで密会していたのだから。
聡司が変に勘ぐらないかとドキドキしたが、意外にもすんなり了承した。私から久しぶりに誘われた事が嬉しかったのだろうか、声も弾んでいるように思えた。
ただ、常夜灯が切れている事を聡司には伝えなかった。
4月28日夜に常夜灯の電球が切れている事に気付いていたが直さなかったのだ。
それに幸いうちは、まだ防犯カメラを設置していない。
私は頭の中で想像を巡らせた。
暗闇の中上がり框で足を滑らせ掴まる場所も無く、そのまま玄関の叩き部分で頭を打ち付ける聡司の姿を。これは賭けだ。
上手くいけば事故に見せかける事が出来るのではないかと思った。
聡司にはいつも私との連絡の履歴は消去するように言っている。
二人の連絡に履歴が残るようなメールやラインは一切使用した事がない。
だから、私が呼び出した事も分かるわけがない。
これは私達家族を守るためなんだと強く自分に言い聞かせた。
当日、私は朝から落ち着かなかった。
何度も何度も玄関へ行っては、上がり框のマットを捲って滑り具合を確認した。大丈夫だろうか。
上手くいくだろうか。心ではそわそわしていたのに、家族には悟らせまいと必死で自分を律した。
時間が近づいてくると、やはり今日の計画は中止しようか 聡司に今日は会えなくなったと断りの連絡を入れようかと何度も考えたが、そうはしなかった。そう聡司が悪いのだから。
家族を守るためなんだ。
約束の時間が近づいてきた。
私は寝室で明かりを消し、息を殺して待っていた。
その時、ゆっくりと音を立てないように玄関を開けて入ってくる気配がした。
一応聡司も用心はしているのだろうと思った瞬間、「ゴン。」と言う鈍い音の後に「ガシャン。」と続けて派手な音がした。
やったー!と思ったが直ぐに何かがおかしい事に気付いた。
何の音だろう。足を滑らせて頭を打ち付けた音にしてはおかしい。
たとえ暗闇を手探りで壁伝えに進んだとしてもバランスを崩せば掴まる所はないはずだ。
一体何が起こったのだろう。
私は、恐る恐る玄関へ向かった。
寝室を出て玄関に続く廊下の電気を付けて、少しずつ近づいていくとぼんやりと人影が見える。
誰だ。二人?私はその光景を見て驚いた。
「ど、どうして、どうして貴方達がここに居るの!」驚きのあまり叫んでいた。
そして、玄関の叩きに目を落とすと、そこには頭から血を流し仰向けにに倒れている聡司の姿があった。どういう事なの、これは?




