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8.すっぽかしの代償

 宰相執務室の前に立つアリアの手は、わずかに震えていた。


(落ち着けアリア!大丈夫、ちゃんと説明すれば分かってもらえるはず…!)


 目の前の重厚な扉を前に、アリアは必死に自己暗示をかける。

 その威圧感に萎縮しそうになりつつ、覚悟を決めて扉をノックをした。


「入っていい」


 返ってきた声は落ち着きながらも、どこか楽しんでいる雰囲気すらあった。

 それがアリアの緊張に拍車をかける。


「し、失礼いたします……っ!」


 扉を開けてびくびくと中へ入ると、執務机で書類の束に目を通しているセドリックの姿があった。


「……午後五時三十二分。一時間三十二分の遅刻だな」


 にこやかに、けれど一切の逃げ道を与えない声。

 その言葉を聞いた瞬間、アリアの背筋は極限にまで伸びた。


「も、申し訳ございません……あの、その……」


 慌てふためく彼女に対して特に何かを言うでもなく、セドリックはゆったりとした手つきでティーカップを持ち上げた。


 金属のスプーンが、かすかにカップを鳴らす。

 静けさがむしろ怖い。


「遅刻の理由は後で聞こう。まずはそこに座って」


 昨日と同じように、一人がけの椅子に座るよう目で促される。

 その声は柔らかくさえあったのに、どこか逃げ場のない雰囲気をまとっていた。


「……は、はい」


 ぎこちなく椅子に腰を下ろすと、セドリックは静かに口を開く。


 椅子に座ったアリアは手のひらを膝にぎゅっと置いたまま、じっとセドリックの言葉を待った。

 彼はティーカップを静かに受け皿に戻すと、視線を上げる。


「それで、報告内容は?」


「えっ?」


 一瞬、間の抜けた声が漏れる。


「王太子殿下とクラヴィス嬢の様子を報告するのが君の役目だろう?」


「……あっ……そ、そうでした!それでは本日のご報告をいたします!」


 もっと詰められるかとドキドキしていたアリアは少し拍子抜けする。

 それでも、姿勢を正して深呼吸を一つ。


「まず、エレナ様はラヴィニア侯爵家での昼餐会に参加されました!そこでなんとミカエル殿下もサプライズで参加されて、エレナ様を完璧にエスコートされたんです!これってもはや愛じゃありませんか…!?」


「……そうだな。ラヴィニア侯爵家は王族とも関係が深いから殿下が配慮されたのだろう」


「ですよね!?殿下のそういうさりげない優しさがまた尊くて……!」


 報告という名の推し語りが止まらないアリアは、すでに瞳をうるうると輝かせている。その様子をセドリックは口元に手を添えて興味深そうに見つめていた。


「さらにさらに!エレナ様が『殿下が私のドレスの裾を直してくださったの』と、ほんのり頬を染めながらお話しされておりまして……!ドレスの裾ですよ!?そんな、殿下が直してくださるなんて……!」


「ほう、それは重大な進展だな」


 その場面を想像したのか、アリアは胸に手を当てて勝手に感極まっている。

 一方のセドリックは相変わらず無表情だが、その口元にかすかな笑みの気配があった。


「閣下もそう思われますか!?これはもう、確定フラグと言っても過言ではないと思うのです!」


「かもしれないな……ただ、君の報告には一番肝心な部分が抜けているな」


 限界ギリギリのテンションで声を弾ませるアリア。

 そんな彼女を見つめるセドリックの表情が、ふと変わる。


「……え?」


「ラヴィニア侯爵家の昼餐会を、君はどうやって知り得たんだ?」


 その言葉に、アリアの笑顔が一瞬で凍りついた。


「書簡管理室で探偵まがいのことをしてまで、招待状を探していたそうじゃないか」


「えっ、ちょ、どこからそれを——!?」


 そのとき、背後からカタンと音がした。

 驚いて振り返ると、そこに立っていたのは銀縁の片眼鏡(モノクル)を掛けた男性。


「ライナス・フォルト第一宰相付き筆頭秘書官です。以後お見知りおきを」


 彼は整った身形のまま、手を胸に当てて軽く頭を下げる。


 書簡記録を一緒に探してくれた、親切で頼りになる上級文官。

 あの彼がまさか、宰相閣下の秘書官だったなんて。


(…ということは、全部バレてるってこと…!!?)


 気がつけばアリアは立ち上がり、椅子をガタンと鳴らしていた。


「報告は正確でないといけないな、アリア・セルフィア」


「は、はひっ……!」


 セドリックは執務机の上で両手を組みながら、アリアの慌てぶりを静かに観察していた。


「勘というにはあまりに的確、偶然というには行動が早すぎる。納得のいく説明を聞かせてもらおうか」


 セドリックの低く穏やかな声が、まるで部屋の空気ごと静かに包み込んでいく。アリアはぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、必死に何か答えようと口を開いた。


「そ、それは……その……なんとなく、勘というか……直感的に……?」


「あくまで直感だけで王宮の書簡記録室まで足を運んだと?」


「ち、違うんですけど!…いえ、違わなくもないというか……!」


 矛盾した言葉を重ねて、口から出るのはますます意味不明な言い訳ばかり。アリアは自分でも何を言っているのか分からなくなっていた。


「でも実際に届いてなかったのは事実ですし、結果的に昼餐会に間に合って、そのおかげでエレナ様と殿下との仲も深まりましたし!つまり、良いことづくしであって!」


「答えになっていない」


「っ〜〜〜!」


 一刀両断されて、アリアは半泣きになりかけた。


(もうこの際全部を話す…?でも『実は五回ループしてます』なんて言えるわけない…!)


 いっそ全部ぶちまけてしまいたい衝動に駆られるも、心の中で首を振る。


 《私はいま五回目の人生なんです》

 《お二人がハッピーエンドにならないと、王政もこの王国も崩壊するんです》


 こんなことを言った瞬間、虚言を疑われるか不敬罪で王宮から追放。または最悪捕まって断罪されてしまうかもしれない。


 (そんなの絶対に嫌だ。こんなにお二人を慕ってるのに不敬罪で処刑されるなんて…それならいっそ今回も闇落ちルートで処刑されたほうがまだマシ…!!いや、それも駄目だけど!!!)


 そのとき、困り果てたアリアの背後から静かな声が落ちた。


「確かに説明としては雑ですね。杜撰と言ってもいい」


 そう言ったのは、筆頭秘書官のライナスだった。

 冷静そのものの口調に、アリアの心臓はさらに跳ね上がる。


「彼女は感情の起伏が激しいですし、教養も高いとは言えず語彙力も乏しいですが…」


「ちょっと待ってください、なんか貶められてます?!」


(平民出身で大した教養も語彙力もないけど!そんなはっきり言わなくても……!)


「ただ仕事に関しては真面目で、自身が仕えるクラヴィス嬢、そして王太子殿下に対してはとても忠実です。少なくともその一点においては嘘はないかと」


 驚いてぱっと顔を上げるアリアを、ライナスは面白そうに横目で見やった。


(そんなふうに見てくれてたんだ…)


 一転して、ライナスからの援護射撃。

 自分のことなのに何だか少しくすぐったい気持ちになる。


「つまり、すべてを語ってはいないが悪意ある嘘ではない、というわけか」


「……はい、そうです……!」


 真正面から見据えられて、アリアは頷く。

 その瞬間、セドリックの蒼玉色の瞳がふっと細められた。


「……今日はここまでにしておこう」


「えっ……?」


 ぽかんとしているアリアに、セドリックは席を立ちながらさらりと続ける。


「明日からも、また詳細な観察報告を期待している」


「…えっ…あ、はい……!」


 思わずほっと胸を撫で下ろしかけた、その矢先。


「ああ、そうだ」


 セドリックがわざとらしく思い出したように振り返った。


「今日の件は覚えておくからな」


「へ……?」


 不意に落とされたセドリックの一言に、アリアはきょとんと目を瞬かせた。


「初日からの報告すっぽかしはそれなりに価値がある。今後君が何かを断りたくなったとき交渉材料として使えるから」


「えっ!?それって……もしかして脅し……っ!?」


「さぁ、どうとってもらっても構わない」


(やばい……なんか話が変な方向に転がってる気がする……!)


 そんな様子を見つめながら、アリアの頬がじわじわと引きつっていく。


「言っておくが、俺は記憶力には自信がある」


「……それってつまり、一生言われ続けるってことですよね!?」


「よく分かってるじゃないか」


(どこまでも容赦ない〜〜〜!!)


 天を仰いで崩れ落ちそうになるアリアを、ライナスは憐れむようなまなざしで見つめていた。


 ちらりとセドリックを見ればすでに仕事モードで、アリアの姿など視界に入っていないかのようにペンを走らせている。


 でもライナスは気づいていた。


 その口元が、どこか楽しそうに笑みを浮かべていることに。


(……さて、これからどうなることやら)


 片眼鏡を指で押し上げながら、ライナスは小さく息をついた。



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