5.宰相執務室への呼び出し
セドリックの尋問から三日後。
何事もなかったかのように過ぎていく日常の中で、アリアは今、癒しの空間に身を置いていた。
「今日はお天気がいいわね、アリア」
「そうですねエレナ様。午後は少し風も出るようですよ」
窓辺でティーカップを傾けるエレナは、相変わらずの優雅さだった。その所作のひとつひとつはどこを切り取っても絵になる。
「じゃあ午後は王宮の屋上に登ってみようかしら?私も風を感じてみたいわ」
「……はい!? いえ、屋上は関係者以外立ち入り禁止でございますので!」
「まあ、そうなの? 私たち関係者じゃないの?」
「王太子殿下の婚約者という立場は尊いですが、法規は別物なのです〜〜!!」
見目麗しさに加えて完璧な気品。それらすべてを備えていながら、時おり繰り出されるちょっとずれた天然発言。
(そうですそうです、エレナ様といえばこれなんですよ…!!)
過去のどのループでも、この少し抜けたような人間味がアリアにとっては癒しだった。
「いま、殿下は剣術の稽古中なのよね?」
「はい左様でございます」
「私、殿下の隣りに立つ者としてできる限りのことをしたいの。だから私にも剣術の心得を教えてもらえるように取り計らってもらえないかしら?」
アリアは思わず手にしていたお皿を落としかける。
きらきらとした笑顔で、とんでもないことを言ってのけた。
「だって、殿下はいつも国を守るためにお力を尽くしているでしょう?私もお傍にいるなら、せめて一撃くらいは受け止められるようにって……」
「そ、それは尊いお気持ちではありますが、エレナ様が自らそのようなことをなさらなくても!!」
「そうかしら…?」
「そのために王宮騎士団がおりますので!もう、ぜひともお任せください!!」
拝み倒したいほどの気高さを見せたかと思えば、こんなふうに常識を斜め上に飛び越えてくる。
でもその根底にある『誰かのために役に立ちたい』という気持ちは、どこまでも純粋でまっすぐで。
この推しの幸せのためなら何度だってループできる。
今度こそ、この手で守りきってみせる。
「エレナ様……本日も最高に尊いです……」
「えっ?」
「いえ、なんでもありません!あっ、お茶のおかわりはいかがですか?」
思わず本音が漏れそうになったのを慌てて飲み込んだそのとき──
「アリア・セルフィア。第一宰相のセドリック・グレイヴナー様がお呼びですよ」
「…………はい?」
振り向くと、文官棟担当の従者がいた。
さっきまでほっこりとした空気に包まれていたのに、一気に現実へ引き戻されたような感覚。
「宰相様が?もしかしてお友達なの?」
きょとんとした顔で尋ねるエレナに、アリアは即座に両手をぶんぶんと横に振った。
「違いますっ、断じて違います!お友達とかそんな不敬なっ!」
とにかく全力で否定する。
回廊で尋問されたあの日以来、なるべくセドリックには鉢合わせしたりしないように気を使っていた。特に執務室付近には近づかないように、移動ルートや時間を調整して行動していたのに。
宰相からの呼び出しとあっては、拒否できるわけもない。
(メイドが上級閣僚の命令に背くなんて…王宮追放ならまだマシ、もしかしたら反逆罪で投獄されるかもしれないレベルの不敬よね…)
そのことを見透かされているような予感がしてぞわっとする。
「申し訳ございませんエレナ様。それでは少し行ってまいりますね」
エレナに一礼をして部屋を出ようとしたとき、アリアはあることを思い出した。
頭の中にくっきりとよみがえってくる一つの記憶。
(そうだ…あれがそろそろ届くころのはず!)
あれは三度目のループのとき。
差出人は殿下本人として侍従経由で届いた手紙だった。
のちにエレナが『この手紙が元で殿下の命を狙った』と断罪されるに至るきっかけとなった手紙。
その内容は、
『婚約発表後の過剰な注目は避けたいので、今後は節度ある距離を保つように。しばらくは直接会うのは控えて手紙でのやりとりのみにしたい』
という、まるで殿下から距離を置かれるような文面。
殿下がエレナに好意を寄せているのは明らかだったし、殿下がこんな回りくどい言葉とやり方で拒絶を示すような人ではない。何者かがミカエル殿下の名を騙って送ったのだ。
けれど、この手紙を読んだエレナはこの内容を『殿下からの言葉』と受け止めてしまった。
この一通がきっかけで婚約そのものに不安が生まれ、顔を合わせない二人には不仲の噂が広がっていき、殿下自身もエレナの態度を誤解してしまう。
(結局三回目のループでは、途中からすれ違いルート一直線になっちゃったんだよね…)
最後はエレナが殿下を逆恨みして命を狙った、とでっち上げられて断罪されてしまった。
(今はまだ届いてないけど……タイミング的にはそろそろのはず)
アリアはくるりとエレナのほうへ振り返ると、真剣な表情で声をかけた。
「エレナ様。もし殿下から直接ではなく誰かを通じて手紙や贈り物が届いた場合、私が中身を確認するまで開封せずお待ちいただけませんか?」
「あら、どうして?」
エレナは小首を傾げて不思議そうな顔をする。
アリアは少しだけ言葉を選んだ。
「えっと…ブローチの件もありますし、万が一のことがあってはいけませんから」
その説明にエレナはしばらく考え込んだ後、柔らかく笑った。
「そうね、アリアがそう言うなら気をつけるわ」
「え……」
「私、あなたの予感ってけっこう当たる気がするの。だから信じるわ」
その一言に、アリアは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「ありがとうございます……!では、宰相様のところは行ってまいりますね!」
アリアはひとつ会釈をして部屋を後にした。
その背中が見えなくなってから、エレナは一人呟く。
「アリアってときどきすごく鋭いのよね。なんだか未来が見えているみたいで……ふふ、不思議」
それは『何度も過去を見てきたメイド』への、無意識の賛辞だった。