2.フラグを折ったつもりが
柔らかな陽射しが降り注ぐ中庭。
午後の温かな空気が、春のそよ風と共に心地よく辺りを包み込んでいる。
中央に設けられた丸いティーテーブルには、アリアが自ら準備することになったティーセットと数種類の焼き菓子が置かれている。
(ちょっと不測の事態だったけど、とりあえず第一のフラグは回避できたってことでOKよね)
テーブルを挟んで向かい合って座るのは、ミカエル王太子殿下とエレナ・クラヴィス公爵令嬢。
二人の間には、ほんの少しの沈黙が流れていた。
カップを持つ手がどちらともなく揃って、同時に紅茶を飲む。
先に口を開いたのはミカエル殿下だった。
「……このお茶は気に入っていただけましたか?」
「はい、とても。口に含むとふわっと広がる香りがすごく上品で」
エレナが答えると、ほっとしたように殿下が微笑む。
「よかった。あなたが来られるにあたっていろいろと相談して選んだので」
「えっ……私のために……?」
「ええ。この王宮へようこそ」
まっすぐに告げられた言葉にエレナの頬がほんのりと染まる。
甘すぎず、近すぎず。
それでもほんのり伝わるお互いへの好意。
(……はぁぁぁ〜甘酸っぱい!!この初期特有の初々しさ、何度見ても尊死しそう!!)
側で見守っていたアリアは、持っていた盆でニヤける口元を隠しながら震えていた。
このままいつまででも観察していたい気持ちを堪えて、二人の邪魔にならないようにっこりと微笑んでから一歩退く。
「それでは、御用の際は何なりとお申しつけくださいませ」
アリアは深く一礼をしてその場を後にする。
そして中庭から回廊へと移動すると、目をぎらりと輝かせた。
「さてと、次のフラグ回収回収!!」
このお茶会の最中に『例のアレ』が届けられるはずなのだ。
それをこのタイミングで阻止できれば――
(ループ二回目で起きた事件、今回も未然に潰さないと!)
アリアが足取りを速めつつ王宮内の回廊を駆ける。
そしてエレナの自室に戻り、ほっと息を整えたその瞬間。
コンコン、とちょうどドアをノックする音がした。
「エレナ様宛の贈り物をお届けにまいりました」
部屋の外から聞こえた声にアリアの背筋がぴんと伸びた。
扉を開けると差し出されたのは、丁寧に包装され上品なリボンがかけられた小箱。
(来た、これ……!)
王宮入りしたエレナ嬢へのお祝いという名目で贈られてきたブローチ。
でもこれは毒針入りのブローチだ。
そして、二回目のループでエレナを死へ導いたものでもある。
殿下との南方地域への視察にこのブローチを付けた際に、エレナはうっかり指を切ってしまう。
この毒の影響で高熱を出した彼女は、予定を変更してミカエル殿下より早く王都へ帰ることになった。その帰路で事故に巻き込まれて、彼女は命を落としてしまうのだ。
(遺品に残っていたブローチに毒針が仕込まれていたと分かったけど、すべてが手遅れだった…)
偶然が重なった不幸な事故に思えたそれも、誰かによって初めから仕組まれていたことだったのだ。
「ありがとうございます。それではこちらでお預かりいたしますね!」
「えっ?でも、これらはすべてエレナ様に直にと――」
「いえ!エレナ様もたくさんの贈り物が届いている状況で大変そうでして…まずは私が中を改めさせていただきますので」
にっこりと笑顔で押し切る。
宮務官がさらに言い連ねようとするのを、さらりとかわして扉を閉めた。
(さてと…)
アリアは即座に表情を引き締める。
慎重に包装とリボンを解いて、ビロードの小箱を開ける。
中には、繊細な装飾の中心に深紅色の宝石が埋め込まれた美しいブローチ。
ぱっと見はただの高級品にしか見えないけれど、アリアは知っている。
石の裏に仕込まれた微細な毒針の存在を。
アリアは迷いなく、裏面の金具に指を添える。
(確かこの石の裏側にあったのよね……)
宝石を留めている小さな溝のさらに奥。
針のように細く鋭い異物が、光を受けてほんの一瞬だけぎらりと光った。
(はい、これですこれです!この角度にこの細工…!)
指先に触れた瞬間に、仕掛けが発動して毒を送り込む極小の毒針だった。
「よし、これでもう一つフラグが折れた!!」
アリアは思わず声に出してガッツポーズをする。
そのとき、小箱の内側に入っていた小さなカードがひらりと床に落ちた。
(あれ?今までメッセージカードなんて添えられていたっけ…?)
でもこれで贈り主が突き止めることができれば儲けものだ。アリアは不思議に思いつつも、床に落ちたカードを拾い上げる。
華やかな金の縁取りに、細やかな紋章が刻印されたカード。
そこにはひとこと『エレナ・クラヴィス嬢へ』としか書かれていなかった。
「これ、何の紋章だろう…?」
アリアは眉をひそめた。
見覚えがあるような気はする。
間違いなく、どこかでこの紋章を見たことがある。
(でもどこで……?何度目のループで、どんな場面だった…?)
目を凝らしても、記憶の糸は霞のようにほどけてしまう。
頭の奥に何かが引っかかっている感覚はあるのに。
「だめだ、思い出せない…」
そのときだった。
「アリア、いるかしらー?」
窓の向こう、中庭からエレナの声が響いた。
「殿下が!いま、お茶をこぼされてしまって――」
(えぇっ!?殿下ってば意外とおっちょこちょい!?それも尊い……けど一大事!!)
一気に現実に引き戻されて、アリアは急いでブローチを箱に戻す。箱ごとエプロンのポケットに押し込みながら、大急ぎで部屋を飛び出した。
「はい、ただいま向かいます!!」
(いったん置いておこう。まずはブローチの件を報告して、後でちゃんと調べればいいんだから!)
まずは今起きている推しカプの尊き危機を救うために、アリアは全力疾走で中庭へと駆けていった。