26.急転直下
王宮文官棟の地下。
静まり返った石造りの廊下を、アリアはセドリックのすぐ後ろに付き従って歩いていた。
革靴の音が乾いた床に響くたびに緊張が高まっていく。
行き先は地下書庫のさらに奥にある記録保全区画。王宮内で最も機密性の高い文書が集められた場所だ。その鉄扉の前で、セドリックが守衛に身分証を差し出す。
「先代王政期の税制に関する通達記録を閲覧したいんだが」
「税制の記録、ですか?」
鉄扉の前で守衛が顔を上げる。
「あぁ。先日の南市街への視察を踏まえ、過去の物流と関税の推移についての確認がしたい」
「なるほどかしこまりました、どうぞお入りください」
セドリックの声は落ち着いていた。あくまで経済視察の延長線上であるという理由に、守衛たちは疑うことなく先へと通してくれた。
重厚な扉が開かれると、空気は一変する。
ひんやりとした石壁、重たく積まれた帳簿、湿気を帯びた紙の匂い。
「すごい量ですね…」
「かなり古いものも保管されているからな。でも年代別に当たっていけば見つかるはずだ」
その一角でアリアとセドリックは、数十年前の公文書を一枚一枚丁寧にめくっていく。
どのくらい時間が経ったか時間の感覚が曖昧になりかけたころ、傍らのセドリックの手がぴたりと止まった。
「……あった」
「本当ですか…!?」
アリアが覗き込むと、セドリックが手にした文書の見出しにあの名前があった。
《ルガード公爵家に対する査察報告書/第0410群》
紙面は薄い茶色に変色して、縁は少し破れかけている。
「…なるほど、ルガード家は代々西部地方の鉱山利権を独占していたのか」
フェリシア王国西部は山岳地帯で、かつてその鉱山は重要な資源として採掘が盛んだった地域だ。今は閉山されて、一帯は立ち入り禁止になっている。
「安全を度外視した危険な採掘、生活困窮者の徴用契約……どうやら強制労働に近い形で鉱山に送り込まれていたらしいな」
読み進めるにつれ、セドリックの表情が険しくなっていく。
そこには、幼い子どもまでもが労働力として搾取されていたことや、税収をルガード家が私的流用していたという記述があった。
「貴族、しかも公爵家がこんなことを行っていたとは信じがたいな…」
資料には、一通の告発状が添えられていた。
署名は当時の王国監察局長――レヴィール・クラヴィス。
「…クラヴィスってまさかエレナ様の…?」
「ああ。祖父上だ」
ここで、ルガード家とクラヴィス家がつながった。
アリアは思わず身震いする。
告発状には多くの関係資料もおさめられていた。
監察局は抜き打ちの視察名目でルガード家領に入り、密かに現地の帳簿と証言を収集したという。記録によれば、その数は証人十八名、証拠資料四十点以上。
「すごいな。ここまで集めた上で告発したのか……」
セドリックが次のファイルを手に取る。
そこには《宮廷裁定記録:ルガード公爵家処分について》とある。王宮でのルガード公爵家の断罪内容が記されていた。
――ルガード家の行いは、明確に王国法と人道に反し、貴族の資格を著しく欠く。
爵位の剥奪と記録抹消、領地および財産の全没収。
関係者は取り調べおよび宮廷裁定結果により終身刑処分。当主エドモンド・ルガードは死刑判決が下るも服毒自殺により刑の執行は取りやめとなった。
「……これが、クラヴィス家とルガード家の『始まり』だ。おそらくいま起こっている陰謀はすべて、ここに端を発している可能性が高い」
(五十年前の因縁……それが、また動き出そうとしているということ?)
「でも……どうしてこのことはずっと秘匿されたままだったんでしょう?」
手元の記録から目を離し、アリアはぽつりと呟いた。
これほどの重大事件。
いくら五十年前のこととはいえ、このことはあまりにも公になっていない気がする。
「――王政の存続と、威信のためだろうな」
「えっ……?」
「公爵家が……それも王都西部を治める有力貴族がここまでの不正をしていたと広まれば、王政への不信に直結する」
セドリックは眉間にしわを寄せながら、古い羊皮紙の一枚を指で弾いた。
「当時の国王はまだ即位から間もなく、王宮内での権威も固まりきっていなかった。そんな中で王政そのものが揺らぐ事態になれば……敵国につけ入る隙を与えると判断されたんだろう」
「……でも、それでもクラヴィス家は、ルガード家を告発したんですよね……?」
「だが、緘口令が敷かれていたとしても不思議じゃない。王政と貴族社会の均衡を崩さないために、記録を封じすべてを内々で処理する。
鉱山はすぐに閉鎖されて一帯は立ち入り禁止、徴用されていた人々も別の区域への移住を促したようだしな」
セドリックは手にした資料をそっと閉じ、静かに息を吐いた。
それが五十年前という過去に刻まれた王宮の選択。
フェルディア王国の記録から消されたルガード家が、五十年の時を経て、剥奪された紋章を刻んだ偽硬貨をばらまいている。
ルガード家は――生きている。
今も王政の中枢や告発したクラヴィス家を、エレナを狙っているのだとしたら……?
アリアの背中に、ぞわりと背筋に冷たいものが走った瞬間だった。
静かな地下書庫にバタバタと慌ただしい走る足音が近づき、確実にこちらに向かってきていた。
そして、地下書庫の扉が開け放たれると、衛兵たちがなだれ込んでくる。
彼らは一斉にアリアたちを取り囲むようにして、槍を突きつけた。
「……これはいったい何の真似だ、近衛騎士隊長殿」
次に発せられた言葉に、アリアは凍りついた。
「セドリック・グレイヴナー第一宰相、貴殿を国家反逆の罪で拘束する」