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20.飴より甘い 2

「そんなに嫌か?」


 低く落とされた声に、アリアはびくりと肩を跳ねさせた。


 はっとして顔を上げた瞬間、アリアは息をのむ。

 気がつけばセドリックとの距離が、目線を合わせるほどに縮まってきていた。


 吐息さえ感じられるほどの間合いで、理知的な光をたたえた蒼玉色の瞳がこちらをまっすぐに見据えている。


「っ、へ?な、何がですか…?」


 慌てて問い返すと、セドリックは数ミリだけ口角を上げた。


「俺と恋人に間違われることが」


 囁きのような声が耳殻を撫でていく。

 それだけで脳内は一瞬で真っ白になったあと、顔から火が噴き出しそうな勢いで、頬が一気に熱くなる。


(ちょ、ちょっと待って!?どう答えたら正解なの……っ!?)


「はい、嫌です」なんて言ったら絶対あとで「そんなに嫌か」「不敬罪だな」って冗談で責められるのが目に見えている。でも「いいえ」と答えたら――それはそれで、なんだか…!


 思考の渦に巻き込まれながら必死に答えを探したけれど、どの選択肢も地雷にしか見えない。


「え、えっと、そ、それは……その……っ」


 あわあわと情けないくらいにうろたえるアリアを、セドリックは悪戯を仕かけた少年のような眼差しでじっと待っていた。

 まるでどんな答えを返しても、次はどう追い詰めてやろうと楽しんでいるかのように。


(か、からかわれてる……!これ絶対、楽しんでる……!!)


 じりじりと、逃げ場のない空気だけが濃くなっていく。


 すると、唐突にぽんと頭に手を置かれる。

 驚いて見上げると、セドリックが小さく笑っていた。


「……君が、深刻な顔をしなくてもいい」


 打って変わって、穏やかで柔らかな表情と声。


「硬貨の件も紋章の件も、全部俺が解決する。そういう役目だ」


 そのとき、アリアはハッとした。

 自分の中に抱えていた言いようのない不安や不吉な予感、それをすべて見抜かれていたことに気がついたから。


「だから君は、そうやって笑いながら飴でも食べていろ」


「…………っ!」


 そっと頭に置かれた手に、わずかに力が込められた。


 まっすぐに言葉を重ねたセドリックの表情は、いつになく優しい。不意を突かれたその温かさに、心臓がぎゅっとなるほど締めつけられる。


 軽い慰めでも気まぐれな気遣いでもなくて、心からアリアのことを守ろうとしてくれているような――どんな約束よりも頼もしくて、胸にじんと染み込んできて胸がいっぱいになった。


(私の役目は、殿下とエレナ様の未来を守ることで……)


 アリアはそっと目を伏せる。


 ――だけどその『守るべき未来』に、この人がいてくれるなら。


 きっと自分はもう少しだけ強くなれる。

 そんな気がした。



 * * *



 王宮を目指す馬車の隊列が、ゆったりと石畳を進んでいく。


 その中でアリアとセドリックは、行きと同じく向かい合わせに座っていた。


 最初のうちは今日の視察の話をしていた。飴細工の少年のこと、硬貨の紋章のこと。露店で交わした商人たちの会話や物価の変動、通りすがりに耳にした噂について。


 窓の外を流れる景色を眺めながらぽつぽつと言葉を交わしていくうちに、次第に会話は自然と途切れていった。

 ふと気づくと、セドリックは肘を窓枠に預けたまま目を閉じていた。


(……もしかして、眠ってる?)


 わずかに上下する胸元が、規則正しくゆっくりと動いている。

 呼吸は深く、穏やかだった。


(……あれだけ話を聞いて、指示を出して、現地で状況を整理して……)


 一日中ずっと、誰よりも精力的に動いていた。

 資料も、数字も、人の言葉もすべてを頭に入れて判断して、最善の答えを選び続けていた。


(……そりゃ、疲れるよね)


 馬車の窓から差し込む夕陽が、セドリックの睫毛を金色に染めている。さらりとした艶やかな髪に、高い鼻筋。品があるのにどこか子どもっぽい寝顔。


 その無防備な寝顔は、普段の理知的で隙のない彼からは想像もつかない表情だった。


(……きれい)


 思わず、心の中で呟いていた。


(……こんな顔、私だけが見ているのかな)


 そんなことを思った瞬間、また胸の鼓動が高鳴る。


 馬車の車輪がカタンと小さく揺れて、それに合わせて窓の外の景色がゆっくりと流れていく。

 けれどアリアはそれを忘れるくらい、目の前の人から目が離せなかった。


(……だめだめ、見惚れてる場合じゃないのに……)


 無防備な寝顔に淡く染まった睫毛の影。

 そのひとつひとつに心を持っていかれそうになる自分に気づいて、アリアはそっと視線を外した。


 どこか火照ったような頬を両手で押さえて、ゆっくり深呼吸をひとつ。


 ふと、隣りに置いていた黒い鞄に目をやる。


(そういえば、これ……)


 今日一日、アリアがずっと持っていた視察用の鞄だ。それなりに重くて、途中で何度も持ち替えたのを覚えている。


 初めは本当に雑用?なんて思っていたけれど、すぐにそんな文句なんてどこかへ吹き飛んでしまった。それは、前を歩くセドリックの姿がどこまでも頼もしくて、その背中を追いかけることに必死だったからかもしれない。


(……開けてみよう)


 ぱちん、と留め具を外す。

 中を開いて覗くと書類や地図、現地で渡された資料。セドリックが時おりペンを走らせていたノートなど雑然と入っていた。


 重かったはずだ。でもそれらがすべてちゃんと意味のある重さだったと今は分かる。


(そうだ、あとで見やすいように視察した順番に整理しておこう)


 鞄の中の書類の束を慎重に取り出して、丁寧に一枚一枚めくっていく。

 視察した順番を思い出しながら、商店のもの、物価の記録、住民の意見――それぞれを分かりやすいように並び替えていく。


 たったそれだけのこと。

 けれどアリアにとっては大切な作業だった。


 馬車の中は、静かだった。

 聞こえるのは、車輪が石畳をゆくリズムと、セドリックの安らかな寝息だけ。


(きっと自分にできることはまだ少ない。それでも……少しでもこの人の役に立てるなら)


 胸の奥に、小さな灯が灯る。

 それは誰にも知られない、小さな恩返しだった。




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