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1.ところで、どちらさまですか?

 王宮の朝は、いつもより少し騒がしい。


 それもそのはず。今日はミカエル王太子殿下の婚約者――エレナ・クラヴィス公爵令嬢が正式に王宮入りされる日なのだ。


 石畳の上を馬車の列が規則正しい音を奏でながら、ゆるやかに王宮の正門をくぐってくる。


 王宮の前ではエレナ嬢を出迎える準備は整っていた。

 警備兵も二重の列を成して、空気はぴんと張り詰めている。


 厳かな空気の中、ゆるやかに止まった馬車の扉が開く。

 そこからふわりと舞い降りるようにして、一人の女性が降り立った。


 エレナ・クラヴィス公爵令嬢だ。


(あぁ…エレナ様だ…!)


 その瞬間、光が差し込んだような気がした。

 列の末端で見守るメイドの中で、アリアはひときわ感動のため息をついた。


 白磁のように清らかで滑らかな肌。陽光すら溶かしてしまうような輝くプラチナブロンドの髪。そして何より印象的なのはその瞳。彼女が静かに周囲を見渡すと、睫毛の奥に揺れるグレイッシュブルーの瞳が澄んだ湖面のようにひときわ煌めいた。


 ただ立っているだけなのに、すべてが気品に満ちている。


(はぁ……やっぱり五度目も最高に美しい……!)


 今回もまた会えたという喜びと感動で目が離せない。

 この場に立ち会えるだけで心が震える。五度目の光景のはずなのにこんなにも胸が高鳴るなんて。もう涙腺が緩みっぱなしである。


 推しは何度見ても尊い――それが、世界の真理なのだ。


 アリアが感動しきりの中、エレナ嬢に向かって歩み出た一人の男性。

 ミカエル・アーデルハイト王太子殿下だ。


 整った顔立ちに柔らかな笑みを浮かべながらエレナ嬢の前に片膝をつくと、そっとその白く細い手を取る。


「ようこそ、エレナ嬢。あなたをこの王宮へ迎え入れる日を心待ちにしておりました」


 優雅な所作と、ほんの少し熱のこもった瞳。


 その言葉に込められた温度と瞳の揺れ――あれは完全に愛の眼差し…!とアリアは釘付けになる。


 そしてエレナ嬢もまた、ほんのりと頬を染めながらドレスの裾を持ち上げて一礼を返す。まるで絵本の中から抜け出してきた王子と姫のような二人の姿。

 誰が見ても、美しく、尊くて、完璧で――


「尊い…尊すぎる……!」


 もはや感極まって軽く嗚咽寸前だった。


「…ちょっとアリア。今日からエレナ様付きになるのに、今からそんなんで大丈夫なの…?」


 隣りに立つメイド仲間のロレッタが、小声で鋭くツッコむ。

 その表情は呆れたような、というよりもアリアの熱量に若干引いている。


 だが今の彼女には、そんな冷静な言葉も耳に入らない。


(今度こそ絶対に、闇堕ちルートなんかに負けてたまるもんですか…!!)


 今この瞬間、二人は王宮で結ばれる未来へと歩み出した。

 その尊い軌跡を、今度こそ守ってみせる。


 そう決意を新たにしたアリアだった。



 * * *



 王宮内に用意されたエレナ・クラヴィス公爵令嬢の私室。

 明るい陽が差し込むその部屋の中央で、アリアは胸元に手を当てて深く一礼した。


「改めまして、本日よりエレナ・クラヴィス様のお側仕えを仰せつかりました、アリア・セルフィアと申します。まだ未熟者ではございますが、身命を賭してお仕えいたします。何卒よろしくお願いいたします!」


 そう言って頭を下げたままのアリアに、エレナがくすりと微笑んだ気配がする。


「どうもありがとう…あの、顔を上げていただけません?」


 その声に、ゆっくりと視線を上げる。


(あぁああ、やっぱりお美しい…!)


 薄桃色のドレスに身を包んだその姿は、まるで咲き誇るバラの化身のよう。

 誰もが完璧な公爵令嬢と称するであろうその姿に胸がいっぱいになって、アリアは一瞬呼吸をするのも忘れてしまいそうになる。


「そんなに堅くならないで?えっと、アリアって呼んでいいのかしら?」


「もちろんでございます…!」


「アリアって私と同い年?」


「はい、今年で二十歳(はたち)です」


「嬉しい!私、お付きの方とはお友達みたいになれたらいいなって思ってたの。だから仲良くしてくださる?」


(尊い…!…語彙が……死ぬ……っ!!)


 震える手を隠すように握りしめながら、思わず潤む目をぐっと堪える。


 彼女は公爵令嬢で王太子殿下の婚約者。つまり、このフェルディア王国の未来の妃となる人。

 そんな方が自分のようなただの小間使いに、こんなふうに笑いかけてくれる。


「今から楽しみだわ!私同い年のお友達ってあまりいないから、恋バナしたりパジャマパーティーするのが夢だったの!」


「エ、エレナ様!?さすがにパジャマパーティーは難しいかと!?」


「あら、どうして?」


(それは!そんなことがバレたら私の首が飛んじゃいます!!)


 アリアは心の中で叫びながらも、きょとんと目を瞬かせるエレナの純真さに思わず口元をほころばせる。


 天然でおっとりしていて、誰に対しても同じ目線で話しかけてくれる優しさを持った人。

 何度ループしても、彼女はずっと『エレナ様のまま』なのだと。


(エレナ様は変わってない。今回も、本当に何も……)


 それが何よりも嬉しかった。

 目の前で微笑む彼女を見ているだけで胸が温かくなる。

 その笑顔を守りたいと心から思える、そんな人。


(……ああやっぱり、私の推しはエレナ様です!!)


 そう思っていたとき、エレナ嬢がそういえば…と話題を変えた。


「このあと、ミカエル殿下と午後のお茶をご一緒する予定と聞いたのだけれど」


「お茶ですか…?」


「ええ、ご挨拶がてら気軽な雰囲気でって、宮務(きゅうむ)官の方が……」


(さっそく来た……!)


 過去四度のループを経て分かっていることがある。

 この王宮には、エレナ嬢の存在を疎ましく思っている勢力――アリアにとっては敵――の息がかかった人間が少なからずいること。


 一度目では、王宮入りしたその日からエレナは徐々に体調を崩して衰弱していき、たったひと月後に命を落としてしまった。

 原因不明の病死とされたが、二度目のループのときに気づいたのだ。


 エレナ嬢のお茶に、毎回少量の毒が混入されていたことに。


 その始まりが、エレナ嬢が王宮入りした日の『午後のお茶会』用に供されたティーセットだった。

 二回目以降はアリアが先回りしてティーセットを丸ごと取り換えたり、エレナ用に用意された食事にも気を配って毒についてはずっと防ぎ続けた。


(今回もこの『最初のフラグ』を回避しなければ…!)


 アリアは、さっそく行動を開始することにした。


(この方の笑顔と殿下との幸せを、今度こそ最後まで見届けるんだから……!)



 * * *



「まずは午後のお茶会用のティーセット。例の毒入りティーカップが紛れ込むのは確か配膳室で……」


 五回目ともなれば、()()の手の内もすっかり分かっている。

 アリアは慣れた動きで配膳室へと確認に向かった。


 しかし、そこでふと首を傾げることになった。


「……あれ?ティーセットがまだ用意されていない?」


(おかしい。過去のループではすでに準備されていたはずなのに…)


 慌てて時間を確認するけれど、間違いない。

 毒入りのティーカップに入れ替えられたのもこの時間帯だった。


 ほんの少しのズレかもしれない。

 けれど、ループを繰り返すアリアにとってはそれが妙に気になってしまう。


「あの、ティーセットはまだ届いてませんか?」


 配膳室の奥に見覚えのある女官の姿を見つけて声をかけると、忙しく動き回りながらこちらに顔を向けた。


「ああ、もしかしたらちょっと遅れてるのかも。ほら、急遽新しい宰相様が来ることになったじゃない?その準備で厨房も大忙しらしくて」


「……え?新しい宰相様?」


 そんな話は聞いていない。

 思わず聞き返した私に、女官はあっさりと頷く。


「そうそう、セドリック・グレイヴナー第一宰相。前の宰相がおととい倒れたでしょ?それで着任してこれから陛下に謁見に来られるってことで、さっきからみんなてんやわんやよ」


「……セドリック……グレイヴナー?」


 小さな声で繰り返したその名前に、聞き覚えはなかった。

 見慣れていた舞台に見知らぬ役者が現れたことに、アリアは混乱する。


(ちょ、ちょっと待って、セドリックって誰?新キャラ!?ループ五回目にして!?)


 「何でもすごい優秀な方らしいわよ?建国以来史上最年少の宰相なんだって」


 ティーセットよりも衝撃的な出来事に、思わずアリアは硬直した。


 この王政の中枢である宰相の座は、過去四回とも白髪白髭で老齢の男性だった。あの人がまさか、この世界ではおととい倒れてしまっている?



 確かに、時間が経過するにつれて過去のループと違う展開になっていくことはあった。


 でもそれは、アリア自身がエレナを守るための行動をとったがゆえに起きた変化であって、こんなループの初めから違う展開になるのは初めてだった。


「そんな……まさか、今回は……何かが違う……?」


 王宮の風が、ほんの少しだけざわついている気がした。



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