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15.これって嫉妬ムーブってやつですか…?

 文官棟の石造りの廊下を、アリアは小さくうろうろと往復していた。


 そろそろセドリックへの日次報告の時間が迫っている。タイミングを見計らって宰相執務室に行こうと思いながら早数十分。いざとなると足が前に出ない。


(……やっぱり無理……!昨日の今日でどんな顔すればいいの…!?)


 脳裏に蘇るのは、バルコニーから落とされかけた直後の尋問まがいのあれこれ。


 宰相の私室で、あの距離感であんなことをされて、あちこち撫でられて――


(うわぁあああああっ!私の脳、思い出すなっ!!)


 顔が燃えるように熱くなる中、背後から不意に声がかかった。


「よっ、アリア」


「ひゃっ……!!」


 肩を飛び跳ねさせて振り返ると、明るい栗色の髪をした親し気な笑顔を浮かべる文官。


「えっと……もしかしてユーリ…?」


「なんだよもしかしてって。同期の顔忘れたか?」


「ううん、そういうわけじゃないんだけど…」


 アリアと同じころに王宮勤めを始めた同期のユーリ。


 でもこれまでのループではライバルのような関係で、顔を合わせれば口ゲンカが日常だった。だからこんなふうに気さくに声をかけられて驚いてしまったのだ。


(やっぱり五回目はところどころ何かが違うのかも…)


そんなことを思いながら、何でもないよと笑顔を返す。


「お前昨日の話聞いたぞ。泥棒に遭遇したって?災難だったな」


「えっ!? な、なんでそれを…!?」


「俺、警備隊に知り合いがいるから少し聞いた。泥棒にバルコニーから落とされそうになったのを宰相閣下に助けてもらったんだろ?」


「そんなことまで知ってるの!?」


 ユーリは片眉を上げて、にやっと笑う。


「しかしあのグレイヴナー宰相閣下だもんなぁ。俺だったら緊張で気絶してるわ」


「……いろんな意味で気絶寸前だったけど……」


「まぁそれは冗談としても、ちゃんと気をつけろよ? 何かあったら相談くらいはのってやるから」


 (えぇ!?あのユーリがそんなこと言うなんて…過去では『チビ』とか『いつ王宮を追い出されるか見ものだな』とか憎まれ口ばっかりだったのに…)


 何だか意外なところで味方が増えたような気がして、アリアは思わず微笑んだ。


「うん……ありがとうユーリ」


「随分と楽しそうだな」


 低く落ちついた声が、廊下の空気を一瞬で張り詰めさせた。


 アリアが反射的に振り返ると、執務室へと向かう廊下にセドリックが立っていた。

 腕を組み、蒼玉色の瞳が細めながらアリアとユーリを観察するようにまっすぐに見つめている。


(い、いつからそこに……!?)


「あのっ……これは、その、ほんの世間話というか……!」


「同僚との親しげな歓談は否定しない。が、勤務時間中に任務を忘れるようでは困るな」


 アリアがしどろもどろになって言い訳を重ねるのを、セドリックは含みのある目で見つめる。その表情には言いようのない圧を帯びていた。


「そろそろ定刻だが執務室に来るのか?それとも、まだ雑談をしていたいか?」


 絶妙な皮肉をいち早く察知したユーリは、「……はは」と引きつった笑みを浮かべて後ずさる。


「……あ、ちょっと急用思い出した。じゃあアリアまた今度な!」


「え、ユーリ!?」


 一瞬で背を向けて逃げるように去っていく同期に手を伸ばしかけるも、その肩にグッと重みがのしかかる。

 そろそろと振り返ると、セドリックの手でがっちりと抑えられていた。


「さて、今日も君の観察報告をしっかり聞かせてもらうとしようか?」


 耳元でささやかれるセドリックの声。

 それは昨日よりも一段低く、ぞくりとするほど甘さを帯びていた。



 * * *



 執務室の扉が静かに閉まる音が背後に消えていく。


 アリアはいつもの定位置である一人掛けの椅子に座ると、筆頭秘書官のライナス・フォルトによって手際よくお茶と菓子を準備される。


 今日は香り高い紅茶と淡いピンクの苺タルト。

 いつも通りの完璧なセッティングに、アリアもさっきまでの緊張が和らいでいく。


 アリアはティーカップを手に取ると、目を輝かせながら口を開く。


「今朝は、エレナ様の自室に殿下が直々に訪ねられたそうなんです!」


「そうか」


「それでですね、午後はエレナ様からのお誘いで中庭でお茶を!」


「……ふむ」


「エレナ様が殿下のカップに砂糖を一つ入れてあげて、殿下がそれをふっと微笑んで受け取って……あれは完全に絆が深まってるの合図といいますか、わたし的にはもう感無量で……!」


 アリアの声は自然と熱を帯びる。

  いつものように心から嬉しそうに推しカプ報告をする時間、のはずだったのだが。


「言っている意味が分からない」


 静かに返された一言に、アリアの声がぴたりと止まった。


「えっ……?」


「絆が深まっていると判断したのは何ゆえに?君の世界基準か?」


 皮肉めいた声音とともに、セドリックは視線を上げることなくさらりと書類を捲った。


「……え、ええと?こう……距離感ですかね…?心の距離がっ!」


 アリアは焦るように身振り手振りをまじえて説明する。


「心の距離は客観的に測れないと思うが」


「でも!あの流れは誰がどう見ても……」


「誰がどう見てもではなく『君がそう見たい』だけでは?」


 ばっさりと切られた。


 淡々と告げられたその言葉は、いつものような冗談めかしたからかいではなく、本気で淡白な反応だった。パサリと書類がめくられていく音だけがやけに耳に残る。


(え……なに、この感じ……)


 いつもなら「なるほど興味深い観察だな」なんて相槌を打ってくれるのに。

 

 アリアの表情が不安に沈む。

 それを、傍らに控えていたライナスが見かねたように小さく息をついた。


「……閣下。少々、言葉が足りていないのでは?」


 書類に目を落としたまま応じるセドリックに、ライナスはボヤくように続ける。


「メイド相手にここまで空気が張り詰める執務室も珍しいかと。報告のための空間としては、やや不適切かと存じます」


そしてアリアのティーカップへと丁寧に紅茶のおかわりを注ぐ。


「気にしなくていいですよ、おそらく八つ当たりですから」


 その言葉に書類をめくるセドリックの手が止まる。


「ずいぶん饒舌だな」


「ええ。ですがこのままですと()()()()は気づかないまま逃げ出すかと思いまして。それは閣下としても不本意でしょう?」


 アリアはそのやり取りをぽかんと見つめていた。

 何が言いたいのか、いまひとつピンと来ない。


 けれどセドリックは書類からアリアへと視線を移すと、眉間を押さえて静かに息をついた。


「……報告を続けてくれ、アリア」


「え、よろしいんですか?」


「……あぁ」


 どこか諦めたような――けれど、さっきより少しだけ柔らかい声。


「えっと、実は明日お二人で王立図書館へ向かわれるご予定でして!これは殿下からのお誘いなんですよ!」


 そう言いながら、アリアは先ほどまでと打って変わってきらきらと目を輝かせる。


「クラヴィス嬢は喜んでいたのではないか?」


「ええ、それはもう!お部屋に戻られてから、明日のお召し物をどうするかってずっと悩まれてて……それがまた尊いと言いますか……!」


「ほう、それは……興味深いな」


 くすりと笑ったセドリックの表情をアリアは見逃していたが、陰で書類を整えていたライナスはきっちりと見ていた。


(やれやれ。嫉妬して苛立ってるだけじゃないですか、閣下……)


 執務室の窓から見えていた、アリアとユーリの仲睦まじそうな様子。

 それを目にしたセドリックの表情とその後の行動を思い返して、ライナスは心の中で嘆息する。


 ――あれはどう見ても、嫉妬する男の顔と行動だった。


(まったく不器用にもほどがある……)


 これでもいまだに自分の好意には無自覚なのだから、世話が焼けることこの上ない。アリアも面倒くさい男に好かれてしまったものだと、ライナスは同情する。


(お互いに早く気づいていただけると、こちらの胃が助かるんですけれどね…)


 そう思いながら、いつもの明るい推しカプ報告に戻った空間を見つめて薄く微笑む。


 「ライナス」


 そのとき、セドリックの声がして顔を上げる。


「はい、何でしょうか?」


アリアが推し語りをしている横で、セドリックは二つ折りにしたメモをライナスに差し出した。

それを開いて、ライナスは眉を寄せる。


「……本気でおっしゃってるんですか?」


「もちろん」


「業務に私情を挟むのはいかがかと」


「挟んでなどいない。業務の一環だ」


しれっとさも当然のように答えたセドリックは「一週間以内にな」と付け足すと、再びアリアのほうへ向き直ってしまった。


(……まったく困ったものですね)


自分はセドリックに仕える筆頭秘書官だ。ノーを言うことはできない。


ライナスは嘆息しながらも、手の中のメモを折りたたんでそっとポケットにしまい込んだ。



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