12.別の意味で大ピンチです
(…ど、どうして……?)
アリアの思考が止まりそうになる中、セドリックの腕がすばやく動いた。
無駄のない一連の動作――相手の手首を取り、ひねりながら体勢を崩し、肩口を押さえ込むと同時に、床へと叩きつけるように制圧した。
バルコニーに鈍く響いた音とともに、青年がうめき声を上げる。
「ぐっ……なんで、あんたみたいな奴がこんな場所に……」
セドリックは冷ややかな目で見下ろすと、宰相直属の警護隊に合図を出す。
「身柄を確保しろ。サロンの展示品を狙った窃盗容疑だ」
「……くそっ、チャンスだったのに……!」
連行されながらもなお悪あがきを続ける青年を、警護隊の男たちは容赦なく引きずっていった。
静かな風が二人の間を吹き抜けていく。
張りつめていた緊張の糸が切れたように、アリアはその場にへなへなと座り込んだ。
「……どうして、ここに……?」
「あの男を追っていたからだ」
「……えっ、」
「実はブライトン家の財政は破綻寸前だ。今日のサロンも欠席の連絡がきていた。顔を出せば、金を借りている貴族から借金の返済を迫られるからだろうな」
目を丸くするアリアをよそに、セドリックは淡々とした声で返す。
「それが直前になって『息子が名代として参加する』と変更になった。だから何か意図があるのだろうと初めからマークしていた」
つまりセドリックが現れたのは偶然でも奇跡でもなく、的確な予測と準備の結果だということだ。
(いろんなことがいっぺんに押し寄せてきて、頭が追いつかないんですけど…)
「君がサロンであの男に目を付けていたのは分かっていた。声をかけてさりげなく名を尋ね、流れを乱さぬように立ち回っていただろう?」
アリアはぎくりと肩を震わせる。
まさか、あの一連の動きすら見られていたなんて。
「聡明だと思ったよ。あの場にいながら誰より早く気づき動いていた」
(違う、私は盗みに気づいたんじゃなくて……)
でも正直に言うわけにもいかず、アリアはただ顔を伏せる。
「……と思えば、危険を省みずに自分から飛び込んでいくとはな」
責めるでも呆れるでもなく、どこか困った部下に向けるような柔らかさを含んだ声。その心地いい声色に、アリアの胸がにわかに震える。
「まったくお転婆なメイドだな、君は」
「っ……!」
アリアの頬がじんわりと熱を帯びる。
「……う、バカにしてますよね…?」
結局はフラグでもなんでもなくて、自分の勇み足だった。
エレナを守るつもりが見当違いの予想をしていたあげく、バルコニーから突き落とされそうになるなんて。穴があったら埋もれたいくらいの大失態だ。
「バカにはしていない。むしろ…」
「むしろ…?」
問い返した瞬間、セドリックはふいと目を逸らした。
「……なんでもない」
優しさとも、甘さとも違う。
不思議な空気が辺りを包んでいるような気がして、アリアの鼓動が少しだけ早くなる。
「ところで、立てるか?」
「……っ、あ……」
立ち上がろうとするも、ガクンと膝から力が入らない。
痛いとかそんな感覚よりもただただ、全身から力が抜けていた。
そんなアリアを、セドリックは静かに見下ろすと、ふっと一言。
「立てそうにないな」
「え、いえ、大丈……」
言い切るより早く、視界がふわりと浮かんだ。
「ひゃっ……!?」
セドリックは一切のためらいなく、彼女の身体を軽々と抱き上げていた。不意に襲った浮遊感にアリアは思わず短く悲鳴を上げる。
「ちょ…っ、待ってくださいっ!自分で歩けますから……っ!」
「おとなしくしていろ。いま暴れるのは得策じゃない」
「で、でも、サロンが……!」
「立てないのに戻っても仕方がないだろう?」
「うっ、それはそうですけど…っ」
「俺の今日の目的は達成した。ああいう場はもともと性に合わない」
もがこうとするもセドリックの腕は揺るがない。
どこまでも淡々と、しかし迷いのない足取りでアリアを運んでいく。
(だ、誰かに見られたら誤解される……!!というか私が混乱する!!)
アリアは必死に心の中で叫びながらも、腕の中から抜け出すことはできなかった。
そして――
気づけば王宮の長い回廊を通り抜けて、重厚な扉の前へとたどり着いていた。
「え、ここって……」
開かれた先に広がるのは、豪奢だけれど品の良い調度品でまとめられた『宰相の私室』だった。
「な、なんで自室なんですか!?メイドの私がここにいるのって、すごくまずいんじゃ…!?」
「動けない君を他に預けるわけにもいかないだろ」
そう言って、彼はアリアの体をそっとベッドに下ろした。
沈み込むような柔らかさに、アリアは気まずくて視線が泳いでしまう。
セドリックはそんなアリアの混乱など意にも介さず、そのまま彼女の足元に視線を落とした。
「……ケガはないか?」
「……あ、えっと……大丈夫、です」
「本当に?」
「は、はい……たぶん…」
彼の蒼玉色の瞳が細められる。
それは、ただのケガの確認だけではない『別の何か』を見透かそうとしているような。
(な、なんでそんな目で見るの……!?)
アリアがじわりと背中を汗ばませた瞬間、セドリックが静かに動いた。
「……それなら聞かせてもらおうか」
そう言って、セドリックはベッドの上に両手をつく。
まるでアリアを包囲するように、正面から、身を屈めて。
「君はなぜ、あの男を警戒していた?」
(……えっ、)
ささやくような低い声が、耳の奥に落ちた。
あまりに唐突に核心を突かれて呆然と見上げると、息をすれば触れてしまいそうな距離にセドリックの顔がある。
「納得のいく答えをもらうまでは、ここから出さない」