11.想定外の展開
王太子主催のサロンは、貴族たちの優雅な談笑に包まれながら進行していく。
軽食と歓談の時間が一段落し、招待客からの注目も王家が誇る宝飾品や収蔵品の展示へと移る。
アリアは給仕係として、空になったグラスや皿を交換しながら会場の空気を読むように歩く。けれど、意識の半分は他のところにあった。
名代を名乗った見慣れぬ青年貴族。
今は会場の奥、柱の陰に近い展示品の前でグラスを傾けている。けれどその視線の先にいるのは決まってエレナだった。
(…さっきから、ずっとエレナ様のこと見てる)
ミカエル殿下が宝物庫の展示品について説明するのを聞き入っているエレナ嬢。どこか初々しさを残す彼女を、殿下がさりげなくフォローしている姿も絵になっている。
(本来なら尊すぎて卒倒するところなのに……)
視線の端に映る青年貴族が、すべてに影を落としていた。
彼の目はただ見ているだけの目じゃない。
観察でも賞賛でもない。もっと冷静で、冷たい何かを測っているような――そんな光を宿している。
(まさか……標的はエレナ様?)
すると、青年が動き出した。
周囲に挨拶をしながらあくまで社交を装いつつ、それでも確実にエレナのいる方向へと近づいていく。
(やっぱり……この人、狙って動いてる!)
アリアもすぐに足を動かした。
青年との動線がかぶらないようにしながら人々の間を縫っていく。
「すまない、シャンパンを一ついただけるかな?」
その瞬間、声をかけられた。
別の招待客。背の高い壮年の騎士団長と思われる男性だった。
「えっ、はいかしこまりました。どうぞ…」
サロンの空気を損なわないためにも、無視することなどできない。
そうしている間にも青年はエレナへと近づいていく。
(まずい……!)
アリアは笑顔を保ちつつ、迅速にグラスを差し出して丁寧に礼をして下がる。
そして再び視線を走らせたとき、あの青年はエレナの横を通り過ぎて会場の外へと出ていくところだった。エレナにもミカエル殿下にも声をかけた様子はなく、二人も特別な反応を見せていない。
(すれ違っただけ?……でも、)
アリアはその場で一歩踏み出した。
殿下の婚約者であるエレナを見つめていたあの目。彼をただの退場者として見逃すには、直感が危険信号を鳴らしていた。
(会場を出た後に何かするつもりかもしれない……ってことはまたフラグだ。ここで阻止しなきゃ、またあの未来になる……!)
会場から静かに離れる青年を、アリアは気配を消すように静かに後を追った。
サロンで奏でられる弦楽の音は、遠くから心地よく耳に届いている。
夜風の涼しいバルコニーからは銀色に輝く三日月が見えた。
(どこへ行くの…?)
青年がバルコニーへと出たとき、アリアも迷いなく後を追ったが彼の姿が見当たらない。
「……あれ、いない……?」
わずかに風が通り抜けた瞬間。
「……やっぱりな。見てたんだろ?最初から」
背後から低い声がかけられて心臓が跳ね上がる。
慌てて振り向いたアリアの前に、あの青年がいた。
そこには社交の場で見せていた柔らかな笑みはなく、ひどく冷めた目でアリアを見下ろしていた。
「俺のこと会場でずっと目をつけたもんな?盗みに来たのがバレたんだと思ったよ」
「……え?」
アリアの足が止まった。
予想外の言葉に、意味が理解できなかった。
「え?ぬ、ぬす……?」
「王宮の宝物だけじゃない。貴族から寄贈された展示品も今日の目玉だろ?どれも目が飛び出るくらいの宝飾品ばかりだ。俺はそれを失敬するつもりだったのさ」
そう言って、青年は上着の内側からそっと取り出した。
それはまさに展示されていたはずの深紅の宝石。
(え、え、え……?)
アリアは目を瞬いた。
(ちょっと待って、この人はただの泥棒……!?)
エレナを見ていたのではなく、そのそばにある展示品を盗むタイミングを見極めようとしていただけ。
その事実に、アリアの頭の中はぐるぐると混乱していた。
「これを取り返すために、俺のことずっと尾行してきたんだろ?」
「えっ、そ、それは……」
(ま、まずい!フラグだと思ってたのは勘違いだったってこと……!?)
「父の名代ってことであっさり紛れ込めてちょろいと思ったけど、やっぱ王宮って厄介だな……まぁ仕方ないか」
青年が口元を歪ませながらゆっくりと近づいてきた。
アリアは反射的に数歩下がる。
伸ばされた両手で肩を思いっきり掴まれる。
足元がぐらりと傾き、バルコニーの柵の端に体を押しつけられた。
「……っ!!」
背中に石造りの欄干が食い込んで声も上げられないほどの痛みが襲う。彼があと少し力を込めれば、ここから突き落とされるかもしれないほどの強さ。
「……っ、あ……痛…っ!」
自分の声が震えているのが分かった。
(私はただエレナ様と殿下を守りたくて、あの未来を変えたくて……)
それなのに。
五回目の人生は、こんなところで終わってしまうのだろうか。
(やだ……こんな……こんなところで死にたくない……!)
その瞬間――
「離れろ」
冷たく刺すような声が、月明かりを裂いた。
「な、なんだ、お前……!?」
青年が慌てたように振り返る。
すると、月光を背に奥から姿を現したのは一人の男だった。
暗がりの中でも、綺麗な蒼玉色の瞳が鋭く光る。
「警告はしたぞ」
そこにいたのはまぎれもなく、セドリックだった。