10.サロンの罠
まだ日も高くないというのに、王宮の空気はどこかぴりぴりと張り詰めていた。
今日は王宮で、王太子殿下主催のサロンが催される日なのだ。
代々王家に伝わる品々の中でも、普段は滅多に公開されない貴重な宝物や工芸品などを、選ばれた招待客だけに披露する格式ある催し。
使用人やメイドたちが慌ただしく準備に奔走する中で、アリアの動きがやたらと素早いのはこのイベントが特別な意味を持つからだった。
(今日のサロンは、絶対にフラグ回避が最優先!!)
貴族の間でも特に格式高い家柄のみが招かれる、王宮主催の特別な社交場。
発言ひとつ表情ひとつで、貴族間の勢力図さえ動くこともある。
過去のループでは、エレナに対して未来の王太子妃としての資質を問うような政治的な質問が集中した。
そのどれもが答えに詰まるような、嫌味なものばかり。
答え方を誤れば即座に「不適任」の噂が立つ。
実際にエレナは自信を失い、殿下との関係にも小さな亀裂が走ってしまった。
(つまりこのイベントは超重要フラグの温床!)
これは絶対に回避しないと……!と、アリアは気合を入れていた。
アリアは昨夜のうちに、エレナとの想定問答を何度も確認した。
聞かれそうなこと、答えるべきライン、想定外な質問がきたときの切り返し等々、過去の経験を活かしてすべてシミュレーション済みだ。
「エレナ様はきっと大丈夫。ちゃんと準備してきたんだから……!」
アリアは自分にそう言い聞かせるようにぎゅっとこぶしを握った。
* * *
サロンの時間が近づくにつれて、大広間はきらびやかな装いの貴族たちで満たされていく。
アリアもメイドとして給仕の任についた。
黒の制服に白のエプロン、頭にはレース地のホワイトブリム。控えめながら清潔感のある装いで、シャンパングラスや食器の確認に余念がない。
エレナはやや緊張した面持ちで殿下の隣りに立っていて、さっそく何人かの貴族と言葉を交わしている。
(うん、今のところ大丈夫そう…)
そのとき、不意にホールの入り口がざわめきに包まれた。
そして入場してきた一人の人物に、場の空気が一瞬だけ引き締まる。
セドリック・グレイヴナー。
王国の第一宰相にしてこの国の頭脳。
艶のある漆黒の礼装には宰相であることを示す金糸の肩章があしらわれ、シャンデリアの光を受けて煌めいている。髪もいつもより丁寧に整えられていて、顔立ちの整いぶりが際立って見えた。
(なんか…いつもより三割増しで威圧感がすごい……!)
静かに歩を進めるその姿は、上級貴族たちすら道を開けるほどの威厳をまとっている。
視線が自然と引き寄せられていると――一瞬、蒼玉色の瞳がこちらを捉えた。
一瞬、視線が絡む。
「……っっ!?」
びくっと肩を震わせたアリアは、慌てて目を逸らす。
(ちがうちがうちがう!何見惚れてんの私!?今はエレナ様を守る任務中でっ……)
テーブルにグラスを並べながら、ドキドキと高鳴る心拍数をおさえようと深呼吸を繰り返す。
そのとき、近くで交わされる会話が耳に入ってきた。
「クラヴィス嬢は言語学に精通しておられるとか。他国の文化などに興味がおありで?」
「はい、大学では言語学を専攻しておりましたが、他に文化人類学の講義も受けておりました」
「随分と学問に情熱を傾けておいでだったようですな。しかし、それでは王太子殿下の伴侶となるにはまだ早いのではありませんかな」
場の空気を凍りつかせるような声が響いた。
(さっそく来た……!!このおっさん毎度毎度嫌味なのよね…!!)
社交界の重鎮的存在の上級貴族。
過去のループでもエレナに答えにくい質問ばかりして、困惑する表情をニタニタ眺めていた。
「……確かに、皆様がご不安に思うのもごもっともかもしれません」
エレナは一瞬目を見開いたが、すぐにふんわりと微笑む。
「今は王太子殿下のお力も借りながら少しずつ学んでいるところです。まだ至らぬ点は多いかと存じますが殿下と共に歩んでいくことが、私の誓いです」
その場の空気に臆することなく答える姿に、どよめきが起こる。
「クラヴィス家は名門ですが、王室と公爵家との距離感についてはどうお考えですかな?」
「……身分を忘れず、けれどその距離を恐れぬようにと教えられてきました」
エレナが傍らのミカエル殿下を見上げると、殿下が微笑んで彼女の手を取る。
「公爵家の娘としてどちらにも誠実でありたいと思っています。そして民からの信頼に恥じぬよう努めること。それは王太子殿下も同じお考えであると信じておりますわ」
どちらも事前に用意していた想定問答だった。
でも、すべてエレナが自分の言葉で考えたものだからこそ、すごく自然で説得力がある。毅然とした何よりあの凛とした佇まい。
(完璧!完璧です、エレナ様…!!)
場が一瞬静まり返ったあと、一人の老紳士が声を上げた。
「素晴らしい。クラヴィス嬢はすでに王太子妃となる器をお持ちのようだ」
それに続いて、ひとり、またひとりと肯定の笑みを浮かべる貴族たち。
エレナの傍らに立っていたミカエル殿下が何かを囁きかけると、照れたように頬を染め恥じらいを含んだ微笑みを浮かべる。
(うわ、うわ……今の!絶対さっきの受け答え褒めたよね!?ね!?)
アリアは思わず胸元を押さえて、その場で感極まる勢いだった。
しかし。
その尊さに浸っていたアリアの目に、見覚えのない影が混じった。
白と紺の礼装に身を包んだ青年が、人混みの向こうに立っている。
年若く、整った中性的な顔立ち。一見すればこの場を楽しんでいる青年貴族に見えるが、アリアはその顔に見覚えがなかった。
(……え、誰だろうあの人…)
その青年の視線の先を追うと、エレナ嬢の姿を一身に見つめている。
好意的なというよりも獲物を見つめるような鋭さ。
アリアの背筋がぞわりと粟立つ。
(……え、やだ、もしかして初見殺しのパターン…!?)
確かに、嫌な予感はしていた。
今回は過去のループとは違って、少しずつ出来事の順番や関わる人物がズレてきている。あの青年貴族の存在も、第五ループならではの新たな罠である可能性は十分にあった。
(あの人が何か仕掛けてくることもありうる…)
人の流れに紛れるように、その男はエレナの方向へとじわじわと近づいていく。
アリアは意識的に呼吸を整えながら、自然な足取りで給仕に紛れた。
銀のトレイを掲げながら会場を縫うように歩き、エレナの方向へ歩みを進める謎の青年の正面へと立ちふさがる。
「失礼いたします。シャンパンなどはいかがでしょうか?」
声をかけられた青年は足を止めると、灰色がかった髪を軽く揺らしながら薄く微笑む。
「……いただくよ」
そう言ってグラスを取るが、その所作はあまり優雅ではない。
メイドとして多くの貴族と接してきたアリアの勘が働く。間違いなくこの人物はこういった場に慣れていない、と。
アリアは警戒度を上げつつも、何気ない体で言葉を続けた。
「王宮でのサロンへは初めてでいらっしゃいますか?」
「……あぁ、本当は父が出席予定だったのだが急な用件で来られなくなってね。代わりに私が名代として参加している」
その返答に、アリア頭の中で何かがはっきりと点滅した。
(やっぱり本来の予定にはいなかった人……!)
しかも父君名義での参加。
これでは招待状のチェックにも引っかからない。
「左様でございましたか。記録用のリストを修正させていただきたいので、差し支えなければお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「…ブライトン伯爵家だ」
ぱっと見はそれほど怪しいところはない。
でもアリアにとっては、この場にいることそのものが不自然な存在。
(なんといっても、エレナ様のそばに寄ろうとしたタイミングが引っかかって仕方ない…)
アリアは丁寧にお辞儀をしながら、心の中ではフル回転で策を練っていた。