表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/11

# 第3章:塔の気配

──断片記録/接触──

※記録の輪郭が現実に滲み出す兆候


---


塔とは、そもそも何なのか。


瀬名自身、その言葉に明確な像を持っていたわけではなかった。


記事の中に書かれた“塔”──自殺した理事が残した走り書き──

ネットに点在する断片的な噂──


それらはどれも、実体のある建築物を指しているようで、どこか夢のような曖昧さを持っていた。


“塔”が存在する場所について、地図は何も教えてくれなかった。

座標も、名前も、写真もない。ただ、人々が語る「失踪」や「沈黙」の背後に、確かにその存在を匂わせるものがあった。


瀬名は最初、その言葉を比喩的なものだと考えていた。

社会的な“塔”、情報構造としての“塔”、あるいは死を前にした幻想──そういった解釈が頭をよぎった。


だが、夢に現れるそれは、明らかに“場所”だった。


高く、冷たく、見上げるたびに首の奥がひやりと凍るような感覚を残す、輪郭のはっきりしない建造物。


おかしな話だが、形が見えないのに「塔」だと確信してしまう何かがあった。

その空間に立つだけで、意識の奥底から“記憶”のような感覚が呼び起こされる。


塔は見えていない。だが、それを「塔」と呼ばざるを得ない重力のような存在感。

まるで、あらかじめ誰かに“これは塔だ”と告げられていたかのように、思考の中に“名前”だけが先に存在していた。


実体のないまま、確かに“そこにある”という気配だけが、日に日に濃くなっていく。


そしていつしか瀬名は、自分の身の回りに漂い始めた“それ”の存在に、気づかずにはいられなくなった。


知ってしまったがゆえに、見えないものが見え始める──そんな感覚。


誰かの何気ない会話の端に、その存在がにじむような気がした。

街の雑踏の中に、“塔”という音が混じっていたような気がする瞬間もあった。


一度その名を意識してしまえば、そこから目を逸らすのは難しかった。

頭の片隅でずっと、“あれは何だったのか”という問いがくすぶり続ける。


まるで、思考の奥深くに種が植えられ、それが静かに芽吹いていくように。

忘れようとすればするほど、逆に輪郭が浮かび上がってくる──そんな執着のような感覚だった。


---


塔は、姿を見せていなかった。


だが、それは確かに“近づいて”きていた。


瀬名の生活の端々に、微かな違和感が忍び込んでくる。


日中、取材先に向かう道で、ふと足が止まる。

見慣れたはずのビルの谷間に、陰のような“縦の空洞”を感じる。


以前なら見過ごしていたはずの風景が、今は妙にざらついて見える。

空気が重く、音が遠く、誰かに見られているような錯覚が、時折、首筋をなぞる。


「おかしいな……」


そう思いながらも、なぜその“気配”を怖がっていないのか、自分でも説明がつかなかった。

むしろ、心のどこかで、それを待っていたような気さえした。


---


夜、資料を読みながらウトウトと意識が沈むと、夢の中に“塔”のシルエットが浮かぶ。

それはいつも遠くにある。霧に包まれている。だが、確かにこちらを見ている。


最初はただの夢だと思っていた。

だが、それが三夜、四夜と繰り返されるうちに、瀬名の中でその存在は“幻”ではなく“記憶”のような質感を帯びていった。


目覚めると、心臓が妙に早く脈打っている。

その鼓動が、ただの不安ではなく、“何かが近づいてきている”という確信に変わりつつあることに、瀬名は戸惑っていた。


自分の感覚を疑う反面、心のどこかでそれを否定しきれない自分がいる。


「気のせいだ」「考えすぎだ」

そう言い聞かせるたび、むしろそれが“何かを遠ざけようとする防御”に感じられる。


まるで──

その“何か”を受け入れてしまえば、もう戻れないことを、無意識に察しているかのようだった。


---


ある夜。


瀬名は、街を歩いていて、自分が“どこに向かっているのかわからない”ことに気づいた。


仕事帰り、編集部を出て、そのまま帰るはずだった。

だが足は、気づけば知らない道を選び、知らない方向へと向かっていた。


意識は朦朧としていなかった。だが、足が勝手に動いていた。


雑踏を抜け、駅を越え、ビル街の裏手へ。


まるで何かに引かれるように歩き続け、気がつくと、人気のない広場に立っていた。


その中央に、小さな階段があった。


何の変哲もない、石畳に埋もれかけたステップ。

だが、その先には、確かに“縦の気配”があった。


塔の姿などない。

だが、確かにここが“入口”であると、本能のような感覚が告げていた。


瀬名は立ち尽くし、しばらくその階段を見つめた。


なぜだかわからないが、涙が滲みそうになった。

恐怖でもなく、安堵でもない。

長い間、思い出せなかった何かが、ようやく目の前に現れたような気がした。


思考はまとまらなかった。

だが、心のどこかでは知っていた。

「これは見逃してはいけないものだ」と。


そこには“見えない建築物”が、彼の視界の外側に存在していた。


見えないのに、確かに“圧”だけはある。


──ここだ。


心のどこかでそう確信したとき、何かが静かに始まり、もう引き返せない地点を越えてしまった気がした。


---


その晩、瀬名は録音機の電源を入れた。


記録という行為の意味が、少しだけ変わり始めていた。


「……これは、誰に残すべき記録なのか」


自問しながら、録音機を机の上に置く。

機械の赤いランプが、静かに点灯する。


何も語らなくても、回り続ける記録装置。

その無音の記録が、瀬名の心をじわじわと締めつけていった。


“塔”という言葉を思い出すだけで、喉が詰まる。


誰にも言えない。

誰にも語れない。


けれど、確かに“何か”が始まっている。


瀬名は、言葉にできない焦燥と期待の狭間で、揺れ続けていた。

「自分は何を見ようとしているのか」「どこに向かっているのか」

その答えが出ないまま、ただ“何か”が近づいてくる気配だけが、日に日に濃くなっていった。


そして──夢の中で、初めて塔の扉が開く音を聞いた。

それは音ではなく、“感覚”として胸に響いた。


目が覚めても、その“開く感覚”は消えていなかった


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ